寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

住民を悩ませる犬猫の問題

2013年01月30日 | 日記
郊外を散歩するとこんな看板(警告)をよく目にする。ある町内ではおよそ10m置きに「フンニョウお断り」という直球表示があって思わず笑ってしまった。

犬や野良・放し飼い猫の問題で頭にきている住民の感情は尤もだと思う。私は看板の多い町で犬(稀に猫も)の散歩をする者がどういう行動をとるか早朝に調査した。電信柱の近くでキョロキョロするのは犬ではなく人間の方であった。

反社会的行為に罪の意識はあるが、自分1人くらいならどうってことはないという安易な逃げが見てとれた。袋を持っている飼い主が皆無だったのは大きな驚きである。

何故か誰も指摘しないが、「人情」をやたらと前面に押し出す田舎町の路地裏は汚物だらけだ。それは「民度の低さ(恥部)」と言い換えることができよう。私がこれまで旅した城下町の中で最も掃除が行き届いていたのは島根県松江市である。多くの住民が町を綺麗にすれば汚す者は確実に減っていくという良い見本だと思う。

「能書き」よりもまずは「実践」、そして非常識な人間を捉まえて「注意」することも重要だ。

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浅草公園の絵葉書(大正期)

2013年01月30日 | 日記
浅草十二階と呼ばれた凌雲閣は明治23年(1890)に完成。十二階前(下)の建物が大正6年(1917)に改称した吾妻座(芝居小屋で元浅草国技館)。瓢箪池の畔にはコンクリート建築が建ち並び、凌雲閣は既に過去の遺物になっていた。

左端の建物が万盛館(落語常設館)で大正12年9月1日の関東大震災で凌雲閣とともに崩壊する運命だった。大正9年3月に焼失した吾妻座が写っていることから撮影年代は大正6年以降の数年間と特定できる。

敗戦から暫くして瓢箪池は埋め立てられ現在は楽天地とウインズ浅草になっている。ちなみに万盛館の跡地が浅草ロック座(ストリップ劇場:台東区浅草2-10-12)で、ここから北へ行くと吉原(現役の色街)、すぐ東には有名な居酒屋・鈴芳(すずよし:浅草2-5-1)がある。浅草は時代と共に大きく姿を変えたが、今でも独特の魅力を持つ面白い街だ。

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