寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

愛知県岡崎市の親善都市・広島県福山市

2013年01月17日 | 郷土史
福山市花園町1丁目のばら公園南側(駐車場より)の一角に石灯籠が置かれている。私は灯籠の存在をつい最近知った。「贈 岡崎石製品工業協同組合 岡崎石製品工業団地組合」という銘を見て岡崎と福山には関係があるのだと推測した。

岡崎石製品工業協同組合から贈られた石灯籠(ばら公園)

岡崎石製品工業協同組合(岡崎市花崗町5番地)に電話をかけて担当の女性に話を聞いた。岡崎市と福山市の親善都市提携の調印(昭和46年11月9日)後に贈ったものだろうという回答に私は納得した。組合のある花崗町は「みかげまち」と読み、神戸では御影石(みかげいし)と表記するのに対し岡崎では花崗石と書くことを教わった。江戸時代には近場で良質な花崗石が採れていたという。

徳川家康公と水野勝成公がいとこであるのは有名な話(水野家断絶後も福山藩は幕府で重要な地位を占めた。それゆえ明治政府からは冷遇された)だが、徳川幕府初代将軍の生誕地が岡崎であることを私は見落としていた。両市の市制施行日が大正5年(1916)7月1日と同じ、昭和46年(1971)当時面積・人口もほぼ同じ、また米軍の空襲から劇的な復興を遂げたのも同じ、というのが調印に至った理由のようだ。

市制100周年を迎える平成28年(2016)にはぜひとも岡崎市と共同で江戸文化に関する展示会をやって欲しいものだ。獣臭のプンプン漂う施設のすぐ近くに工房を構えた30代の職人Mが先日民放のテレビ番組に出て「福山には何もない」と発言するのを耳にした家族が「お前が知らんだけよ」と扱き下ろしていたが、こういったお目出度いおっさんを減らすためにも備後福山藩の功績についてもっと語っていかねばならないと思う。

10万石の城下町だった福山市が不幸にも空襲の対象にされたのは現「ばら公園(西)交差点」そばに陸軍関係の建物があったからである。

ばら公園(西)交差点

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地元のことを書く上で重要な点

2013年01月17日 | 日記
地元の問題点を指摘する際に現地を見て話を聞くのは基本である。できれば一度ではなく何度も足を運んだ上で複数の人間から取材する。現地でいきなり聞いても真実はわからないことが多い。しかし、2km、4km離れたところで住民に話をふると温度差の違いを感じ裏話まで引き出せる場合がある。

若い人は他人の記事を鵜呑みにせずにじっくり検証して真実を探り出して欲しい。ゴム管(目先のネタ)に喰らいつくブルーギル(節穴君)では駄目で釣り針を丸飲みせずに餌を少しずつ啄ばむ野鯉のようなしぶとさと知恵が重要なのである。そして自分なりの問題解決策まで提示して締めるべきだ。(所謂自称プロにはこれがない)

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福山市の入江の痕跡

2013年01月17日 | 郷土史
福山市東川口町1丁目1から入船町のイトーヨーカドーを望む。運がいいことに引き潮で入江の痕跡を見るのには最適だった。築切(つっきり)から港へ延びていた入江は次第に埋め立てられ、今ではこんなに狭くなっている。

東川口町1丁目1より福山市立大学を望む

歴史に疎い人はコンクリートと鉄板で仕切られたただの水路と思うだろうが、昔はここを船が通って繁華街へ石炭などを運んでいた。福山市立大学及び公園は埋立地に建設されたのである。

東川口町1丁目1より福山市中央ポンプ場を望む

水路は私の立つ位置から折れ曲がり東方の橋の先から福山港となる。右手に見える建物は福山市中央ポンプ場だ。

福山市立大学(建造中)周辺の航空写真

手持ちの資料を整理していた時に入江と港周辺の航空写真を見つけたので載せておく(元ネタは数年前の分譲住宅の広告)。赤丸が私の位置で港町の大学は建造中であることがわかるだろう。

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