福山市花園町1丁目のばら公園南側(駐車場より)の一角に石灯籠が置かれている。私は灯籠の存在をつい最近知った。「贈 岡崎石製品工業協同組合 岡崎石製品工業団地組合」という銘を見て岡崎と福山には関係があるのだと推測した。
岡崎石製品工業協同組合(岡崎市花崗町5番地)に電話をかけて担当の女性に話を聞いた。岡崎市と福山市の親善都市提携の調印(昭和46年11月9日)後に贈ったものだろうという回答に私は納得した。組合のある花崗町は「みかげまち」と読み、神戸では御影石(みかげいし)と表記するのに対し岡崎では花崗石と書くことを教わった。江戸時代には近場で良質な花崗石が採れていたという。
徳川家康公と水野勝成公がいとこであるのは有名な話(水野家断絶後も福山藩は幕府で重要な地位を占めた。それゆえ明治政府からは冷遇された)だが、徳川幕府初代将軍の生誕地が岡崎であることを私は見落としていた。両市の市制施行日が大正5年(1916)7月1日と同じ、昭和46年(1971)当時面積・人口もほぼ同じ、また米軍の空襲から劇的な復興を遂げたのも同じ、というのが調印に至った理由のようだ。
市制100周年を迎える平成28年(2016)にはぜひとも岡崎市と共同で江戸文化に関する展示会をやって欲しいものだ。獣臭のプンプン漂う施設のすぐ近くに工房を構えた30代の職人Mが先日民放のテレビ番組に出て「福山には何もない」と発言するのを耳にした家族が「お前が知らんだけよ」と扱き下ろしていたが、こういったお目出度いおっさんを減らすためにも備後福山藩の功績についてもっと語っていかねばならないと思う。
10万石の城下町だった福山市が不幸にも空襲の対象にされたのは現「ばら公園(西)交差点」そばに陸軍関係の建物があったからである。
岡崎石製品工業協同組合(岡崎市花崗町5番地)に電話をかけて担当の女性に話を聞いた。岡崎市と福山市の親善都市提携の調印(昭和46年11月9日)後に贈ったものだろうという回答に私は納得した。組合のある花崗町は「みかげまち」と読み、神戸では御影石(みかげいし)と表記するのに対し岡崎では花崗石と書くことを教わった。江戸時代には近場で良質な花崗石が採れていたという。
徳川家康公と水野勝成公がいとこであるのは有名な話(水野家断絶後も福山藩は幕府で重要な地位を占めた。それゆえ明治政府からは冷遇された)だが、徳川幕府初代将軍の生誕地が岡崎であることを私は見落としていた。両市の市制施行日が大正5年(1916)7月1日と同じ、昭和46年(1971)当時面積・人口もほぼ同じ、また米軍の空襲から劇的な復興を遂げたのも同じ、というのが調印に至った理由のようだ。
市制100周年を迎える平成28年(2016)にはぜひとも岡崎市と共同で江戸文化に関する展示会をやって欲しいものだ。獣臭のプンプン漂う施設のすぐ近くに工房を構えた30代の職人Mが先日民放のテレビ番組に出て「福山には何もない」と発言するのを耳にした家族が「お前が知らんだけよ」と扱き下ろしていたが、こういったお目出度いおっさんを減らすためにも備後福山藩の功績についてもっと語っていかねばならないと思う。
10万石の城下町だった福山市が不幸にも空襲の対象にされたのは現「ばら公園(西)交差点」そばに陸軍関係の建物があったからである。