青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

旅の始まりは、0番線から。

2024年02月01日 23時00分00秒 | 上信電鉄

(とある冬の日、0番線ホーム@上信電鉄・高崎駅)

とある冬の日。ふらりと家を出て、湘南新宿ラインに乗り、高崎の駅までやって来た。最近、上信電鉄という私鉄が好きだ。地方私鉄で営業に供されている車両、最近はどこも基本的には大手私鉄のセコハンという流れにある中で、未だにそれなりの数の自社発注車が在籍していて、しかも東京から日帰り圏内の場所にある。最近になって、その中でも一番のお気に入りである自社発注車のデハ251(昭和の復刻上信ストライプ塗装)が久々にクハ1301とコンビを組んで【デハ+クハ】で運用に入っているという話を聞き及び、ついホイホイとわざわざ2時間半もかけて上州のからっ風に吹かれにやって来たのである。上信訪問でまずやるべきは、高崎線の車窓からの、上信電鉄車庫チェック。留置されているのは700がハムサンドとジオパーク、サファリがパン上げで出区待ち。6000、7000は動く気配なし。後ろに隠れた252も出番はなさそう。1000は・・・復活出来んのかなあ。幕も抜かれっぱなしだ。どうやらお目当ての251+1301は運用に入っているみたい。よしよし。上信の運用なんて追っかけてる人なかなかおらんから、ここまで来てクラでお寝んねなんかされてたら水上辺りまで行って温泉でも入ってヤケ酒でも飲もうかと思っていたところ。スマホに仕込んだ「ぐんまワンデーローカルパス」をひらりと見せて、上信電鉄の改札をくぐります。

高崎駅の端っこ、0番線から出るローカル電車に乗り換える。さっき車窓から確認した出区待ちのサファリ(「群馬サファリパーク」のラッピング編成)がホームでお出迎え。上信電鉄の運用パターン、基本的には午前中が下仁田出し、午後が高崎出しで、その中で高崎の車庫に仕舞われたり出て行ったりが繰り返される比較的簡単なパターン。何度か通ううちにだいたいの運用を掴んでいたので、まずは沿線に繰り出してどの運用に251+1301が入っているかを見定めなくてはなりません。さてさて、と交換駅ごとに目を凝らして対向列車を見ていると、なんと一つ目の交換駅の山名で251+1301のコンビが!島式ホームの山名の駅、急いで降りようと腰を浮かし掛けた瞬間、プシュー・・・とつれない音を立てて閉まるデハ251のドア。うん、いちいち交換電車の客の乗り降りなんて待ちませんよね。知ってる。ってーか、山名で交換した22レのスジ、高崎到着後入庫じゃねーかよ・・・

さて、困った。お目当てのデハ251+1301は高崎へ戻ってしまった。個人的な記憶だと、いつもは22レのスジは上がりのスジ。午後からの出番があればいいが、出るにしたって暫くは高崎の留置線だろう。やっぱ朝早くから来なきゃダメね。ダメなんだけど、高崎までそんな朝早く来れないんだよねえ。思い切り出鼻をくじかれた結果、いきなりノープランになってしまった。全くその気がなかった馬庭の駅で降りてみる。駅の下仁田側にある大きな農業倉庫がいかにもローカル私鉄という感じだ。小ぶりな上信標準規格の駅舎、駅員さんが詰めるのは平日の朝夕だけみたい。

壁に掛かったタブレットと制服、そして机の上に丁寧に置かれた制帽。制帽ということは、ここは女性駅員の駅かな。ひと山越えたお隣の秩父鉄道は、PASMOの導入により、おおかたの駅が駅員無配置になってしまった。どこも働き手が少なく、高齢化は進み、とお決まりの窮状に瀕する中、上信電鉄は主要駅以外でも案外と駅員を配置していて、そしてそれが妙齢の女性であることが多い。どの人も、穏やかで朗らかな接客があって、駅に優しい雰囲気を醸し出している。しんと静まる馬庭の駅、突然なり出した構内踏切の向こうから、高崎行きのコーラルレッド。澄み渡った空のもと、冬の西上州のひと時である。

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デハクハコンビ、梅雨雲の下を。

2023年07月03日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(デハクハコンビ・富岡ローカルに立つ@上州富岡駅)

夕方の富岡ローカルに入ったデハクハコンビ。富岡市は、鏑川沿いの西上州の中心都市で人口は5万人弱。高崎から碓氷峠を通って軽井沢へ抜ける中山道の脇往還として、古くから陣屋町・宿場町として栄えた町でもあります。この町を有名にしたのは、ひとえに明治維新からの官営・富岡製糸場の開場に尽きるのですが、上信電鉄の乗客の流動的にもここで一段落ちる。そのため、一日に三往復くらい富岡折り返しの電車があって、ダイヤ上のアクセントになっています。

この日のデハクハ、夕方の富岡ローカルを一往復こなした後、下仁田行きになって下仁田で滞泊の運用となっていました。折角なのでひと乗車してみようかという事で、上州富岡から上り高崎行きの客に。前の方の車輛に集中しがちなワンマン列車、ガラガラなデハ252側に陣取って流れゆく車窓の景色に身を任せつつ、少し疲れたのかうつらうつら。梅雨時の西上州、夕暮れもないような麦畑の中、鏑川を渡り、田園風景を走る列車に揺られながら過ぎて行きます。

何となくそのまま帰るのは勿体ないような気がして、根小屋の駅でデハクハを見送る。夜が迫ってきた高崎の街はずれ。駅員さんが一人また一人と、家路に就く乗客たちから丁寧に切符を回収する。いつもの上信電鉄の風景なのだけど、そこらへんの機微と言うか空気の流れ、大事にしたいなあと思わせる何かがあります。

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地方私鉄の苦労と苦悩。

2023年07月01日 10時00分00秒 | 上信電鉄

(安全の証、ミドリ十字@吉井駅)

上信電鉄の駅に大きく垂れさがっているミドリ十字の旗。工事現場とか交通事業体なんかでよく見るこの旗は、「株式会社日本緑十字社」というところが作っている「安全衛生旗」というものらしい。構内踏切の向こう、ちょっと古めかしいトタン屋根とモルタルの駅。その改札口に、大きな緑の旗が良くマッチしている。この旗一枚風になびいているだけで、いかにも「現場!」という感じが強くなるからだろうか。

吉井駅の、おそらくは元貨物ホームであったスペースには、現在上信電鉄の施設区(保線の詰所)が設置されています。無数に積み上げられたレールの継ぎ目の部品や枕木、安全帯や絶縁のためのゴム手袋なんかが大量に干ささっている様子を見ると、男の職場だなあって感じがします。この日も上信電鉄の保線職員がトラックから荷物を積み下ろししている光景を見ましたが、全国の地方私鉄、運転や駅務だけでなく、どこも保線作業や饋電管理に充当出来る職員の数も予算も相当に厳しいのが現状です。実際、上信の線路ってのはなかなか揺れますんで、保線と言っても本当にダメなところを交換して持たせる、みたいなギリギリのところでやってるんだと思いますが・・・夏暑く冬寒い屋外作業、作業環境も危険と隣り合わせですから、大変な仕事です。

日々の保線が、未来に繋がるそのレール。小学生の下校の時間。電車通学なんだね。彼が大人になるまで、鉄路は残っているだろうか。それとも、免許を取ったら、もう電車なんか使わないだろうか。そういう意味では、日本一自家用車の所有率が高い群馬県の地方鉄道ですから、ここからどうやって存続して行くのかって大事な話。富岡市内も国道254号のバイパスがどんどん東へ伸びていて、これが藤岡まで繋がるようだと相当に日々の人流は変わりそうですしね・・・。

そんな群馬県、何かと鉄道に対する政策は充実していて、県のブレインが総合交通政策の中で中長期的なビジョンを発表していたりする。この日に使った「ぐんまワンデーパス」も「GunMaas」というアプリでスマートフォン購入したのだが、こういう交通補助事業も群馬県の肝煎りの事業。そもそも富岡製糸場の世界遺産認定で群馬県が補助金で上信電鉄に導入したのがこの7000系。新車プレゼントだもん、気前がいいよね。

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寛ぎの時は流れて。

2023年06月28日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(上信各駅・恒例行事@吉井駅)

上信電鉄。地方のローカル私鉄らしく現状全線がワンマン運転の路線ですが、かなりの駅がまだ有人駅になっていて、列車が到着する前後で出改札をしっかりと行っています。そして上信の恒例行事が、出発して行く列車へ向けての駅務職員の一礼。乗客に向けてか、乗務員に向けてかは定かではありませんが、どこの駅でもこの光景が見られるので、おそらく社としての決め事なのでしょう。出発して行くのは、富岡市に工場を持つ子供向け文具メーカーの株式会社桃源堂のラッピングトレイン701形。

高崎市の西端に位置する吉井駅。旧多胡郡の中心地に当たる地区で、高崎から出た電車が初めて辿り着く街らしい街、という感じの雰囲気があります。小さな平屋建ての駅舎にかかる駅名標には「日本三古碑の一つ多胡碑のある町」と書かれている。「多胡碑(たごひ)」というものは、奈良時代の和銅年間にこの場所に多胡郡が生まれた事を記した石碑で、世界でも有数の古文書の一種。それぞれ地域における当時の出来事を記して同時期に建てられた根小屋の「金井沢碑」、山名の「山ノ上碑」と合わせて「上野三碑(こうずけさんひ)」と呼ばれています。

吉井の駅前は一応は小さな商店街になっていますが、店の数も人の通りも少なく・・・そして、駅前にハイヤーの詰所があるのってなかなかポイント高いですよね。鉄道模型における典型的な地方私鉄の駅前風景という感じで。上信ハイヤーは上信電鉄の系列の子会社ですが、吉井駅前からは上野三碑を巡る巡回バスなんかも運行しています。

上信電鉄の有人駅は、ほぼ列車別改札を行っているので、列車が接近する時間にならないと基本的にホームに上がる事は出来ません。少し薄暗い待合室で駅の空気を吸ってみる。あ、ここにもありますね上毛かるた。「昔を語る 多胡の古碑」ですか。そして改札口で卵から育てられているメダカ・・・駅員さんの趣味なのかな。何とも緩やかな空気が流れる、吉井の駅の待合室です。

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1301のReal Face。

2023年06月26日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(昼下がり、静かなる富岡の街@西富岡駅)

この日のデハクハコンビ、一応運用から察するに夕方までは稼働してくれるようで、何往復かの走行シーンを撮影する機会がありました。実は、GWにわざわざ高崎まで来たのに、到着した瞬間にデハデハコンビに高崎入庫されるという何ともツイてない車両運用にぶち当たってしまいまして・・・是非ともリベンジ!と思い再訪の機会を伺っていたのですが、あれやこれやしているうちにデハデハが組成を解除されてしまったという悲しい結末に。デハ251の独特の上信らしいリバイバルデザイン、撮りたかったんですが・・・という訳で、せめてもの慰めにデハ252を前パン位置で。クハ1301の優しい顔つきに比べて、パンタグラフ、貫通路、渡り板と動力車らしい盛りだくさんのイカツさがあります。

梅雨の走り、紫陽花の駅に一人降り立つ学生さん。上信電鉄も、主要な乗客は沿線の学校に通う高校生。

去って行くデハクハコンビを見送る。元々クハ1301は、制御電動車のクモハ1001・中間電動車のモハ1201・そして制御車のクハ1301を1編成として昭和51年(1976年)に新潟鐵工所で製造された1000系の片割れ。落成当時は3連固定の編成だったのですが、意外にも伸び悩む通勤需要に3連は過剰となり、朝夕のラッシュ中心の限定運用となっていました。そのため、上信電鉄は2連への改造を決意。中間電動車だったモハ1201にクハ1301の運転台&顔を移植し、余剰となったクハ1301には現在の切妻&固定三枚窓の独特な顔と運転台を新設。コンビ相手を両運車の250系デハ252に変えて現在に至ります。

その昔、上信電鉄に訪れた際に撮影したひとコマ。中線に入っているのがモハ1201改造のクモハ1201。そして左側に止まっているのが現クハ1301。1201のお顔は元クハ1301の顔と考えるとなんだか不思議な気もしますが、2連化に際してクモハ1001と顔を揃えるためにはしょうがなかったんでしょうね。クハ1301は当時は沿線のこんにゃく会社である「ヨコオデイリーフーズ」のラッピングを纏っていました。マンナンライフの陰に隠れて世間的には知名度の薄いヨコオデイリーフーズですが、経営する甘楽町の「こんにゃくパーク」は結構大ヒットコンテンツになってて、休日は観光バスが何台も乗り付けるような人気の観光スポットになっています。

ちなみに貴重な自社発注車のクモハ1001と1201のコンビ、長らく高崎本社脇の側線で特段の動きもないまま放置プレイ中です。最近の上信、とにかく1000系と6000系の動きが悪いんですよね。辛うじて6000系は行路の少ない運用に入ったりするようですが・・・

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