青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

山のあなたの空遠く。

2023年06月24日 08時00分00秒 | 上信電鉄

(広い構内、貨物の面影@下仁田駅遠望)

西上州の鏑川沿いの段丘上の平地を走って来た上信電鉄は千平から山峡に入り、白山神社の山裾を小さなトンネルで抜けると、下仁田の小盆地に入って終着駅・下仁田に至る。ここから先に鉄道を通すのは難しいな、という感じで駅の向こうには山が迫り、そしてその向こうには妙義荒船に続く奇岩錚々たる山並みが続いている。下仁田駅の構内を見渡す四種踏切から駅を眺めると、いつも「山のあなたの空遠く・・・」なんてカール・ブッセの詩なんぞを諳んじてみたくなるのだが、明治の時代に、上野鉄道が下仁田まで鉄路を敷いた時代には、この先の内山峠を越えて佐久に至る計画があり。さすがに碓氷峠を超える高さの山並みを貫き鉄路を穿つような工事は夢物語ではあったのですが。上信電鉄という社名に、「山のあなた」にあったはずの夢だけを残して現在に至ります。

下仁田の街。全国に名前の知れ渡った、下仁田ねぎとコンニャクの街。その発展は古く、農産物や石灰石を中心とした鉱物、そして富岡製糸場のために盛んとなった養蚕など多種多様な第一次産業で栄えた街でもあります。街のあちらこちらに「古くから栄えた街」の名残りが見受けられ、駅のすぐ近くを少し歩くだけでもレンガ造りの立派な農業倉庫があったり、昔懐かしのホーロー看板があったりといわゆる「絵になる」街並みが続いています。

今は保線用のバラストの積み込み場所となった旧貨物ホームより。青倉石灰という会社が、この貨物ホームから平成の中頃まで石灰石の積み出しを行っていました。上信電鉄のご本尊様的な存在であったドイツ・シーメンス社製の古典電機デキ1・デキ2が、無蓋車に白く積まれた石灰石の貨車を牽いて、週2~3回の運行をしていたそうな。古い鉄道雑誌なんか見るとその当時の写真が載っていたのだが、黒塗りの小さな凸型デキが平日の昼間にのんびりと貨車を入れ替える風景が見られたらしくて、まあその当時はおそらく誰も気にしちゃいなかったんだろうけど、豊かな鉄道情景だったんだろうなあと思いますよね。

「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」。上州かるたの一枚ですね。よく覚えておいてください。テストに出ますよ。ってか、上信電鉄の昔っからの古めの駅って、必ず待合室に上州かるたが飾ってありますよね。鉄道写真で訪れるだけでなく、街歩きや食べ歩きなんかも楽しそうな雰囲気がある下仁田の街。駅前の老舗旅館「常盤館」なんかに泊まって、コロムビアの下仁田ねぎのすき焼きでも食べながらじっくりと味わってみたい街ではあります。

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ああ、上信栄光の70’s。

2023年06月21日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(躑躅の額縁@千平駅)

鏑川に沿って走る上信線のデハクハコンビは、富岡の街を過ぎて麦畑の平野を西へ西へ。神農原から南蛇井に向かって上信越道の高架をくぐり、目の前に妙義荒船の前山が迫る。富岡盆地の平野部が尽きる頃、電車は下仁田の一つ前の小さい駅に停車して・・・思わず反射的に飛び降りた千平の駅。駅を囲む家の生け垣に、遅咲きの躑躅が満開。電車を降りた私の目に飛び込んで来たのは、躑躅の額縁。

高崎の駅から小一時間、私だけを山裾の小さな駅に残して、デハクハコンビは終点の下仁田に向けて走り出して行った。クハ1301の変形三枚窓と切妻のペッタンコなお顔、そして大きな深海魚のようなまん丸ライトが愛らしい。もう紫陽花の季節だというのに、未だに躑躅が咲いていた山峡の駅、千平。いつ来ても箱庭のようなつつましい設えで迎えてくれる。個人的にも好きな駅の一つ。

ここ千平から下仁田にかけては、富岡盆地と下仁田盆地を分かつ山が鏑川に迫り、鏑川は「不通(とおらず)渓谷」や「はねこし峡」と呼ばれる深い谷を刻んで流れて行きます。図らずも車窓風景としたら比較的単調な上信線の沿線の中では、この千平から下仁田にかけてが一番アクセントが効いた区間と言えます。駅間距離的には一番長い区間なのですが、思い切って鏑川沿いを下仁田まで歩いて行く事に。

千平の駅でお別れしたデハクハコンビ、返しの列車を赤津信号場近くのストレートでお出迎え。赤津信号場は、駅間距離の長い千平~下仁田間に設けられた交換設備で、沿線が高崎市のベッドタウンとして開発された昭和50年代に上信電鉄の輸送力増強が急務とされた時代に作られたもの。同時に佐野・新屋の両信号場も開設されていて、交換設備の増強による本数増とスピードアップ、そして車両の更新が群馬県の補助によって行われたのだそうで。当時は急行も準急も走らせていたというのだから、その頃の上信電鉄の鼻息の荒さたるや・・・と言ったところでしょうか。

デハ252とクハ1301のコンビも、そんな上信電鉄に非常に勢いのあった昭和50年代前半の自社発注車両なのですが、あれから半世紀弱が過ぎて、ご多分に漏れず沿線の高齢化と人口減は地方私鉄の目下の課題。西上州の山並み迫る隘路を、非常にゆっくりした速度で走って行きました。

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西上州、湿っぽい空気の中を。

2023年06月19日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(西上州を下る@上州福島駅)

朝の通勤通学が終わった時間帯の列車、しかも下仁田行きの下り電車なので、車内は閑散。高崎を出て烏川を渡り、高崎商科大学前と山名、吉井辺りまでで大半の乗客は下車して行ってしまった。上州福島で上下列車の交換待ち。外の空気を吸いにホームに降りると、趣のある木造の駅舎の向こうに「マンナンライフ」の工場の看板が見える。こんにゃくと、こんにゃく粉を使った食品加工産業は、製糸業が衰退して以降の西上州の主力産業。食品としてのこんにゃくよりも、最近はゼリーや主成分のグルコマンナンを使ったダイエット食品の需要の方が多いのかな。ともあれ、マンナンライフと言えば「蒟蒻畑」。あの独特の食感とフルーティーな味わいにファンも多いとか。

なんとなくだけど、地方私鉄の少し小ぶりな電車に乗る時は、連結された部分の座席に座るのが好きだ。ロングシートに腰掛けて、横窓から揺れ動く連結面を見つめる。デハとクハ、手に手を取っての西上州の旅路、梅雨空の雲間から差し込む一瞬の日射しに浮かぶ陰陽。下仁田行きなんですが、連結面の幕は【高崎-上州富岡】の区間運転幕でした。

僅かな客が上州富岡で降りると、あとは自分と下仁田まで帰るおばあちゃんが乗車しているだけの2両編成の車内。少しだけ冷房が入っているような入っていないような微妙な空調。大してスピードも出していないのに、とにかく左に右にガタピシと揺れる車内に、蒸し暑い西上州の梅雨の空気だけが漂っています。

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デハクハコンビ、乗って揺られて。

2023年06月17日 11時00分00秒 | 上信電鉄

(今やレトロな電光掲示板@高崎駅)

とある梅雨の一日、上州は高崎から下仁田を結ぶ上信電鉄に乗って来ました。今年の正月・・・長野電鉄からの帰りにちょっと寄ったので、訪問するのはおよそ半年ぶりか。ここに来て少しづつ自分の中で気になり始めて来た鉄道会社と言うか、マイブームになりつつあるのかなと。湘南新宿ラインを2時間半乗り尽くして辿り着いた高崎の駅、改札を抜けて右手に階段を降りて行くと、小さな上信電鉄乗り場への入口があります。壁に掲げられた次の列車の発車時刻を示す電光掲示板。何となく後楽園球場とか神宮球場チックな雰囲気を醸し出しています。

上信電鉄は、大きな国鉄駅の端っこを間借りするような形で高崎駅の一番西側の0番ホームから発車する。1面2線で乗降を分けるタイプの頭端式ホームは、何となくせせこましくて肩身の狭い感じの印象を受けます。高崎に官営鉄道がやって来たのが明治17年(1884年)ですが、上信電鉄の前身である上野鉄道は明治30年(1897年)に早くも現在と同様の高崎~下仁田間を開通させておりまして、今年で開業123年の歴史を数える超老舗鉄道路線なんですよね。鉄道の開通が相当に早かったのは、やはり中山道の宿場町として古くから栄えた富岡の街に、明治5年(1872年)に官営の富岡製糸場が開かれた事なんじゃないですかね。そこに絡んだ人流物流の需要が大きかったではないかと思われます。明治維新と殖産興業、日本史で習いましたよね。

ホームの先には本社と車両区が併設されていて、この日も数々の自社発注車と今や主力となった元JR107系の譲渡車である700形が寝転んでいた高崎の駅。そして、この日のファーストミーツは自社発注車のデハ252+クハ1301のコンビ!ド派手な上信リバイバルストライプを纏ったデハ251とのデハデハコンビは解消されてしまいましたが、最近は検査から出て来たクハ1301とのコンビに戻されて運用に入ってるんですよね。そんなデハクハコンビに乗って揺られて、梅雨の西上州の一日旅であります。

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猫の駅 空澄み渡る 日曜日。

2023年02月18日 08時00分00秒 | 上信電鉄

(高崎の街の町はずれ@根小屋駅)

上信電鉄で高崎の駅から三つ目、根小屋(ねごや)という駅があります。あまり多くはない(?)上信電鉄のコアなファンの方で、この駅をモチーフに素敵な作品を上梓している方がいましてね。ちょっと気になっていたんですよね。そんな根小屋の駅は、県道から一本入った路地裏の駅。普通にクルマで走っていては少し見つけづらい場所に、色褪せた下見板張り&年季の入ったトタン張りの外壁と、紅い瓦屋根が葺かれた可愛らしいサイズ感の駅舎がありました。高崎に向かうサラリーマンが一人、気怠そうに駅に入って行く。駅前の「上信ハイヤー」のポール看板と併せて、「昭和の郊外電車の駅」という雰囲気と情緒を感じます。

今でも平日は駅員が常駐する駅で、窓口では出札業務も行われているようですが、この日は日曜日で窓口は休み。その代わりと言っては何ですが、駅付きの猫が一匹、出入りする乗客の相手をしておりました。結構全国の地方鉄道で「駅付きの猫」を売り物にするシーンってあるような気がするんだけど、上信電鉄の「根小屋の猫」は特にそういうアプローチはないような・・・電車がやって来るまでの時間、ひとしきりこの駅猫と戯れてみたのだけど、あまりいい表情をしてくれなかった(笑)。動物の撮影ってなかなか難しいですね。

明るい朝の日差し、目に染みるように鮮やかな黄色いベンチ。腰かけてコーヒー飲みながら電車を待つ女性の横顔にも平日にはないまったり感があって、何となく緩い空気が流れる日曜日の朝。高崎行の電車がやって来て、ホームに並んだ乗客をすべて回収。猫が見守る出発風景、駅員のいない土日。この駅は、根小屋ではなく、猫家になるらしい。

根小屋の駅を眺める踏切脇にて、高崎を折り返して来るデハデハを待つ。上州福島から高崎の間でもう一発やれれば・・・と思ったのだが、そこはローカル線と言えども腐っても電車。足が速くて捕まえる事は出来なかった。風は冷たいながらも、空晴れ渡り澄み渡り、何とも気持ち良い冬の朝。猫の駅を出る下りの列車は、空とお揃いのスカイブルーを身に纏ったデハ252が先頭の下仁田行き。それぞれの車両のパンタが上がっているのが、上信唯一無二のデハデハコンビの絆だろうか。 遠く榛名の山並みを從えて、何とも愛らしい大目玉のライトと、独特なボックス型の造形を写真に収めました。

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