青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

追憶のサボ差して

2016年10月02日 16時34分57秒 | ローカル私鉄

(手書きPOP@大雄山駅ホーム)

ホワイトボードに書かれた、今回の復刻塗装イベントの概要。男性社員の方の字とお見受けしますけど、なかなかキレイな字で書かれていて読みやすい。自分もペン字はある程度自信があるんだけど、こういうホワイトボードとか黒板みたいなのに書くのは苦手。筆圧が高いから、手を置いて書かないととたんにヘタクソな字になってしまうんよね…ちなみに記念入場券とがグッズの類は買いませんでしたけど、親子でフリーきっぷを購入したので許してくれ(笑)。そう言えば以前は大雄山線ってフリーきっぷなかったんだよね。いつから出来たんだろう。


そぼ降る雨の中、赤電出発の一本前の電車に乗って大雄山を離れ、相模沼田駅で降りる。小田原と大雄山のちょうど真ん中あたり。小田原から大雄山まである12駅のうち、中間駅には五百羅漢・相模沼田・和田河原に交換設備がありますが、相対式ホームなのはこの相模沼田だけです。頭端式2線で交換する始発駅の小田原を含め、2駅おきに交換設備を置いて12分ヘッドの完全パターンダイヤなので、12分間隔が崩れる早朝深夜を除いては全交換駅で全列車が交換を行います。江ノ電と同じだね。



相模沼田を選んだのは、停車している列車を足元から抜きたいとなると相対式ホームのここしかないのかなというところでしょうか。前述のとおりこの駅では必ず列車交換するんで、小田原方の構内踏切逆サイドから構えると大雄山行きとのカブリが心配になってしまいますが、もとより大雄山で出発式をやって来るイベント列車なので若干の遅延を持って来る可能性が高く、そうなると大雄山行きが相模沼田には先入れ先出しになるはずとの読み。果たせるかな、読み通りに大雄山行きが若干の遅れを持った赤電の入線を待って先に出発…したのはいいが、赤電のサイドに思いっきり交換車両が映り込んでもうたw


少々画角を開き気味にしてもうワンカット。もうお気づきの方も多いと思われますが、大雄山の駅で留置されていた時とは大きく異なり、営業運転では前面に旧型時代のサボ風のヘッドマークを掲げております!これはいいですね!旧型国電ベースの角ばった顔つきに、四角サボがはまった古い電車が小田原駅の隅っこに佇んでいた風景…小さい頃の箱根旅行の途中で何度か見た事がありますけど、赤電塗装のV字型の塗り分けの所に黄色のサボがピシッとハマって、とてもスタイリッシュになりました。
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足柄山の赤電車

2016年10月01日 17時24分19秒 | ローカル私鉄

(…また今週も雨ですか@伊豆箱根鉄道大雄山駅)

本当は子供の運動会だったのだが、お寒い雨降りなので中止。一日の予定が全くなくなってしまったので、一応運動会に備えて早く起きていた子供と一緒に先日入線した大雄山線の5000系赤電カラーデビューイベントに参戦してしまった。天気が良ければ、なんて言ってたんだけど、天気が良かったら運動会だからどのみち行けないんだった。伊豆箱根鉄道大雄山線の終着駅でもある大雄山の駅は、トンガリ屋根が特徴の南足柄市の玄関口。バスで10分程度山を登れば、曹洞宗の古刹である大雄山最乗寺にお参りする事が出来ます。


そもそも「赤電塗装」とは何ぞやと言うお話なんですが、伊豆箱根の親会社の西武鉄道が今の黄色を基調とした色の前に使っていた旧塗色の事でして、いずっぱこも昭和30年代から親会社に倣って車体をえび茶とベージュの渋い色に塗って走っておったんですね。現在は赤電塗装の旧型車両は淘汰され、営業車両は青を基調としたライオンズカラーの5000系に統一されたんですけど、このたび大雄山線開業の90周年を祝って5000系のトップナンバー5501編成が旧型電車時代の「赤電塗装」に戻る事になったんですね。


ちなみにこの5000系は、第1編成であるこの5501編成のみが普通鋼製車で、他の車両はステンレスなんですよね。赤電塗装にするにはこの編成しかなかったって事だな。何年か前に撮影していた通常塗装時代の5501編成、他の車両はステンレス地に青いフィルムでカラーリングしているので、ベースが白のこの編成は異色の存在でした。ヒガンバナが咲いているから似たような季節か。この時期になると大雄山線に来たくなるのか、自分。


赤電塗装へのお色直しですが、大雄山線には検査や塗装をする車両区はありませんので、駿豆線の大場工場で施されました。全般検査および再塗装の上さる9月22日に工場を出場し、三島から東海道線を経由し西湘貨物駅で一泊。翌日の9月23日に小田原駅から搬入され、コデ165の牽引によりこの大雄山までやって来ました。この赤電甲種は熱海から西湘貨物~小田原までをJR貨物の原色EF65PFが担当したんで、マニアが土砂降りの雨ん中追い掛け回してエライ騒ぎになったらしい。


普段は話題の少ない大雄山線ですが、この開業90周年を記念しての赤電塗装イベントは相当な意気込みらしく、なんと南足柄市長まで出席しての盛大な出発式典が挙行されました(笑)。市長のご挨拶の後ろでお愛想してるのが、南足柄市のゆるキャラ「よいしょの金太郎」。足柄と言えば「♪マサカリかついだ金太郎~」の童謡で有名な「足柄山の金太郎」の故郷。金太郎はその後源氏に仕え坂田金時(さかたのきんとき)を名乗りますが、その名前が箱根外輪山の名峰金時山に残っているのはご存知の通り。そう思うと赤電塗装の前面のVの字型の塗り分けも、金太郎の腹掛けに見えたり見えなかったり?


車庫に憩うコデ165と並んで。ホームに据え付けられた赤電塗装が、テープカットと発車の時間を待っています。あいにくの天気だったせいもあり、そこまでの混雑でもなかったイベント。この手のイベントは最近猟奇的なヲタクによる阿鼻叫喚っぽくなるのが凄く嫌で寄り付きたくないんだけど、近所の家族連れあたりがまったり記念撮影出来る程度で良かったですね(笑)。

テープカット&出発シーンを撮っても良かったんだけど、スペースが狭くて子連れではちょっと危なっかしいのでいったん離脱。まずは走行シーンを撮るべく沿線に展開してみる事にします。
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Forget me not

2016年03月11日 22時19分28秒 | ローカル私鉄

(静かなる爪痕@大洗町)

今日は3・11、あの震災から5年になります。3月11日だからとことさらに騒いでも詮無き話なのかもしれないけれども、やはり日本人の「何かが変わってしまった」あの日を改めて思い返す気持ちが生まれるのも、それは素直な気持ちであるのではないかなあと思います。あの震災以降、毎年のように行っていた東北地方に行く事もなくなってしまい…いや、震災がきっかけだったとは思いたくはないのだけど。そう言えば先日訪れた大洗・那珂湊も、茨城県の中では比較的被害の大きかった地域で、大洗港のフェリーターミナルや那珂湊の魚市場周辺は津波によって相当の被害を受けてもいます。地面より1.35mの津波を示すモニュメント。小学生の身長くらいと侮っていたら、一気に持って行かれるのが津波の力だそうです。


そんな那珂湊の街を走るひたちなか海浜鉄道線も、東日本大震災では震度6強の揺れに見舞われ、盛り土の崩壊、路盤の変形、レールの湾曲、施設の損壊と大きな被害を受けました。三陸の鉄道のように直接的に津波の被害を受けたわけではないのですが、地方のローカル鉄道には復旧への資金負担だけでも相当な重さであったろうと推測されます。震災直後、レールが波打ちズタズタになった光景からは考えられないほどきれいに敷かれたバラスト。色のない枯野を染める中根の朝焼け、キハ11の2連が盛り土の築堤を登って来る。


湊線と言えば中丸川の流域に広がる中根周辺の田園風景が一番の撮影スポットですが、こと地盤という意味では川沿いの低湿地帯。巨大地震の揺れには正直脆弱な地盤であった、と言う事なのかもしれません。しかしながら、迅速な復旧へのプロセスと、何よりも事業主である鉄道会社の熱意で約4か月後に全線を復旧。震災からこちら、被災した鉄道を地元の意向だのなんだのと理由を付けてはぐずぐずと結論を先送りして、不作為の継続によるフェイドアウトを狙ったJR東日本との取り組みの違いは正直感じてしまいますわなあ。


県立那珂湊高校へ通う生徒たちを乗せた8時の那珂湊止まり。震災の年に一高と二高が統合されたらしいですけど、県立那珂湊は茨城県の中でも歴史のある高校なんだそうです。構内踏切を渡る学ラン姿。茨城交通による廃線の申し出、そして東日本大震災を経てもなお、鉄道が地域の交通インフラの一つとしてしっかり機能している事を証明するかのような、いつもの那珂湊駅の風景が優しいですね。


アクアワールド大洗から見た太平洋。うららかな日差しに、男らしく強い波の打ち付けるさまは「水戸を離れて東へ三里、波の花散る大洗」と歌われただけの事はあります。はるか見晴るかす太平洋は、あの日あの時、牙を剥いて人間に襲い掛かったとは思えないのどかな早春の海の風景で、そこには正直震災の影はなかったんだけど…

5年が経って、「風化して来ている」なんてしたり顔でコメントする輩が増えた。そう言いたくなる頃合いなのは分かるけど、あの時本気で「日本が終わる」と思ったあの震災は、個人的には忘れようとしてもそんな簡単に忘れられるもんじゃないでしょう。自分は何をしてあげられる訳ではないけれど、忘れないのも支援だとするなら、きっと死ぬまで忘れないんじゃないかなと思う。
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波音騒めく踏切で

2016年03月08日 22時23分41秒 | ローカル私鉄

(波音騒めく@沢メキ踏切)

「ひたちなか"海浜"鉄道」とは言いながら、車窓から海を眺められる場所はそれほど多くない湊線。そんな沿線で海を眺められる貴重な瞬間が、沢メキ踏切からちらりと見える太平洋の大海原。「沢メキ」というのはこの踏切のある地名(ひたちなか市沢メキ)なんですけど、ちょっと変わってるよね。波の騒めきを思い起こすような名前の沢メキ踏切。沖を行く船を見晴るかす高台に、湊線の列車を待ちます。




那珂湊で大半の乗客を降ろしたアニマル柄の37100+3710の2連が、ゆっくりと朝日に染まる海をバックに沢メキの踏切に姿を現しました。踏切を待つ車は、週初めの出勤途中にたまにしか閉まらない踏切に捕まってなんだかイライラして見えるんだけど、そんなイライラしたドライバーの気持ちをなだめるかのように、ゆる~いライオンの絵が書かれた列車が悠然と走って行く姿がなんだか可笑しかったのでありました(笑)。

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黎明の那珂湊

2016年03月07日 22時56分42秒 | ローカル私鉄

(おさかな天国@那珂湊魚市場)

年度末に近付いてくると全く消化できてない有休を消化しろって会社から言われたりしますが、さりとてホントの年度末(3月)に休みは取りにくい。ってなもんで2月は平日に休みが出来たりもしたので、子供の参観日の代休と絡めてちょっと茨城まで。1月に上の子とは湯田中まで行ったんだけど、嫁さんと下の子は置いてけぼりだったんでねえ。基本的に日中は大洗のアクアワールド(水族館)行き~の、ひたちなか海浜公園行き~の、那珂湊で美味しい海鮮丼食べ~の、「もしもツアーズ」かよ!って感じのお決まりの行動を取っておりました(笑)。それにしても那珂湊の魚市場の魚種の豊富なことと言ったら凄いですねえ…茨城名物冬場のアンコウのみならず、様々な魚が所狭しと並ぶさまは水族館行くよりもよっぽど興味深い。特に銚子から茨城通って常磐沖までは底モノ系が多いイメージだね。カレイ系がとにかく多かったのだが、そんなに生魚いっぱい買っても始末に困る。悩んだ挙句鍋物用の大きな鱈を一本買って帰ったんだけど、鱈鍋美味しかったわあ。


今回は大洗に宿泊したんだけど、目と鼻の先にあるのがひたちなか海浜鉄道。翌朝家族が寝ている間に、そっと那珂湊の駅を訪問して来ました。黎明の時、那珂湊で静かに眠る旧型キハ。昨年東海交通事業の城北線からキハ11を導入したため、ついぞキハ205以外の旧型キハは鬼籍に入ってしまいました。が、ひたちなかの旧型キハは、昨今の鉄道ファンの耳目を集めイベントでは花形扱いの活躍を見せていた車両たちだけに、何らかの形で活用される事を期待するのでありますが。


国鉄標準色に近いオレンジとベージュの塗り分けのキハ205。水銀灯にプレスドアの凹凸が浮かび上がります。ひたちなかの旧型キハの中で、この1両だけが廃車を免れ車籍が残っています。それもこれも冷房付きというのが大きいんだろうな。以前は土日の運用に入っていることが多かったけど、最近は予備車扱いでめったな事では出動しないそうです。気まぐれでたまーに動くこともあるらしいけど…後ろの旧国鉄準急色のキハ2004は北海道の留萌鉄道からやって来たキハで、去年の12月にさよなら運転を実施して引退しましたね。


底冷えのする那珂湊駅、AM5:50。ひたちなか海浜鉄道の朝は早く、平日の始発列車はなんと阿字ヶ浦発の4:49である。そこらの首都圏の鉄道よりもよっぽど始発が早いのは、港町の那珂湊を抱え、首都圏へ魚を納めに行く行商人などの行き来が多かったからなのだろうか。前の職場からさほど外観の変更もなく、すんなりと営業運転に入ったキハ11の勝田行き、18mのスマートで小回りの利きそうな車体はいかにも非電化のローカル私鉄向き。転轍機の蒼いカンテラが風情ありますね。


何年か前に引退しているキハ222。塗装は錆びて剥がれているものの、解体されることもなく那珂湊の中線ホームで静かに時が過ぎるのを待っています。北海道の羽幌炭鉱鉄道の廃止に伴って、茨城に安住の地を求めた3両のうちの最後の生き残りでした。ひたちなかの旧型キハは、羽幌炭鉱鉄道、留萌鉄道と北海道の廃止された小鉄道の生き残りが多く、資料的にも価値のある車両が多かった。誰もいないホームでじっくりとキハ222の姿を堪能していたら、奇しくもこの日が2月22日であった事に気付いたのでした。

旧型キハになんだか呼び寄せられたような気分になった、那珂湊の黎明の時です。
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