青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

皐月遠州緑風記 その2

2014年05月06日 05時19分13秒 | ローカル私鉄

(森を抜けて@細谷~原谷間)

天浜線の線路は遠州平野北部の街をなぞりながら敷設されておりますが、その主要駅は遠州森(太田川)天竜二俣(天竜川)金指・気賀(都田川)とどこも山から流れ出た川が遠州平野に達する場所に発達した街にあります。街と街の間では、支流も含めそれぞれの川が刻む小さな丘をいくつも越えて行くため、大きな峠はないものの比較的細かなアップダウンが続く。そんな路線の特徴を表すような小さな名もなきサミットを、TH2100がエンジン音も軽やかに登って行きます。


天竜川橋梁の撮影を終え、列車もそろそろ毎時上下一本のまったりペースになって来ました。特にアテもなくぷらぷらと宮口駅。駅周辺は住宅地で、ここまでは天竜二俣方面からの区間列車もあったりする。旧浜北市の外れに位置する駅ですが、思い出したけど初めて天浜線に乗りに来た時にここで降りたことがあるよ。一昔前ならどこにでもありそうな赤銅色の瓦屋根、平屋建ての物件はこれも登録有形文化財。そこそこ、え~?これがぁ?とか言っちゃあいけないよw

  

これを何の変哲もない…と終わらせてしまうのは簡単かもしれないですが、駅の本屋よりも掛川方面のホームにある木造の待合室に実に惹かれます。なんすかこのキング・オブ・田舎の駅の待合室って佇まいは(笑)。国鉄時代そのままのフォントで、タテのホーローの駅名票が取り付けられている風合いも良し。そして三方原の台地に向かって緩やかに伸びて行く線路を眺めていると、静岡と言うよりは指宿枕崎線とか日南線みたいな南国のローカル線?的雰囲気があるように思えるな。


上り掛川行きが到着する時間に、親子三代の家族連れが現れた。列車に乗るのかな?と思って見ていたら、どうやら近所から孫と列車を見に来ただけの様子。そんな微笑ましい光景を横目に、小さな応援団の声援を受けて掛川行きTHが宮口駅を出て行きます。


午後は遠鉄に乗る予定なのであまり西下する気もないのだが、またふらふらとフルーツパーク駅先の都田川橋梁。宮口駅からフルーツパーク駅にかけてが天浜線の一番のサミットで、天竜川と都田川の分水嶺を越えた下り列車は浜名湖北岸に向けての下り勾配に入ります。段丘状に三方原台地を削る都田川の谷は、まさに今が全力で新緑を謳歌しているかのような。こんもりとした森の向こうから、THが鉄橋の上に躍り出て来ました。


フルーツパーク駅の裏側にある新東名浜松SAのスマートICから一気に進路を巻き戻し掛川方面へ。やって来たのは原谷駅。原谷と書いて「はらのや」と読みます。隣の細谷駅はほそのやでなくて「ほそや」なのだが。駅前に申し訳程度に吊るされた鯉のぼりが目に付く程度の静かな駅。但しこれも登録有形文化財(笑)。ほらほら、そこそこ、え~?これがぁ?とか言っちゃあいけないよ(二回目)


ここからは徒歩で原野谷川橋梁へ。途中のコンビニでおにぎりとお茶を買って、ぷらっと散歩がてら歩くこと駅から10分。到着してみると、川面を渡る鯉のぼりの群れが迎えてくれました。可睡(かすい)丘陵の谷戸を潤して流れる原野谷川の河原で、列車を待ちながら木陰で握り飯を食うひと時。気付けば向こう岸でも弁当を広げる老夫婦の姿が見えたりして…天浜線の魅力は、こーゆーまったりとした空気感にあるのかねえ。


モグモグと握り飯を食い、陽射しはだんだんとトップライト。持って来たお茶はぬるくなり、そして側面に光が回らずに撮るのが難しくなって来ます。本当であれば下流側から原野谷川橋梁を渡るシーン(辛うじて順光側)を収めるはずだったんだが、この鯉のぼりを見てしまっては季節モンだけに無理クソでも絡めに持って行きたいトコ。残念ながら鯉のぼりが掛かっているのは橋の北側で、手前に鯉のぼりを配して撮るには逆光ベース。そして鯉のぼり相手で一番問題なのは風!当たり前だが風になびかずダラッと下がった鯉のぼりなんか、腰越の商店街で下がってるメザシじゃねーんだからって感じでw(それはそれで情緒があるんですけど)構図と露出を検討して逡巡する事暫し…出した結果はこれですが、どうでしょ?


さて、時間も少々押し気味となっておりますので、これからはパークアンドライド。遠江一宮の駅に車をデポし、一路天浜線の乗客となるのであります。午前中天竜二俣の駅で仕込んだ「天浜線・遠鉄共通フリーきっぷ」の東ルート版。天浜線は掛川~西鹿島、遠鉄線は西鹿島~新浜松間の全線が乗り放題で1,450円。有人駅じゃないと手に入れられないんでお気を付けくださいw
天竜二俣方面の列車にはちょっと時間があるので、遠江一宮駅を遠景で。大きくカーブしたホームに到着する掛川行き、下りホームの大きな銀杏の木が印象的。駅舎は、昭和15年に二俣線が全通した当時のものらしいですな。正直、走ってる車両は新潟トランシス製の軽快気動車だし、車両ににさほど魅力がある訳でもない(笑)。それでも天浜線に惹かれるのは、そこかしこに漂う昭和の香りと風景、由緒ゆかりあるストラクチャーの数々なんでしょう。

これでいすみ鉄道みたいに旧型国鉄キハとか走らせたら、物凄く人気出るんじゃないか?と思わなくもないけど、そこらへんのヲタの理屈はともかく、もっと人気が出てもいい路線なんでないかね。全長たっぷり70km弱と乗りごたえあるし、各駅の沿線グルメを愉しみながら鉄道の歴史に触れ、のんびりした里山の風景に癒される。そんな一日を過ごすにはちょうどいいと思いますよ、天浜線。
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皐月遠州緑風記 その1

2014年05月05日 06時38分17秒 | ローカル私鉄

(てんはま×あかでんフリーきっぷ)

今年のGWは日巡りが悪いんで、なかなか旅行の日程などは入れにくく。3日の初日は子供にせがまれてこんなモノを横浜まで見に行ったりしてしまったのだが、電車の到着が近付くにつれてワラワラと集まり出した夥しい数のガキ…もといオコサマテツがデジカメ持ってホームを走り回るわアングルに割り込むわでとてもまともな画像を残せる状態になく(苦笑)。次の検査くらいまではそのままの塗装で走るんだろうからいずれその姿はゆっくりと鑑賞したいとは思いますが、側面だけ見ると「えっ、西武の新車って18m3扉なの?」と思わず言ってしまいそうな電車だなあれはw
閑話休題。そんなGWですが「一日くらいお暇を戴いてもいいんじゃね?」と言う事で昨日は終日フリーに。勢いで言ってしまったのでどこ行くか全然決めてなかったんだけど、最寄りICからとりあえず東名に乗ってしまったんでそういや未履修だった遠州鉄道の単位を取得する事に致しました。信州方面もちょっと考えたんだけど、それは圏央道が6月に高尾山まで繋がってからでもいいでしょう。遠鉄だけじゃ時間を持て余してしまいそうだったので、午前中は天竜浜名湖鉄道、午後は遠州鉄道のプランで回ってみます。

  

遠州森町PAのスマートICを出て到着したのは遠江一宮駅。朝の6時半ですからもちろん人っ子一人いません。無人駅ですが、「百々や(ももや)」と言う蕎麦屋さんが併設されていて駅を守っています。天浜線の得意技である「駅テナント化」ですな。駅のスタイルは天浜線によくある上下のホームが互い違いになっていて、その間を構内通路が繋ぐタイプ。互いの運転台を揃えるタブレット交換時代の名残でしょう。春の霞んだ空気の中、朝日がホームのベンチを染める光景を眺めていると何となく落ち着きますね。駅の時刻表で確かめると、7~8時台は30分間隔程度で列車が走る様子なので、沿線で展開してみましょう。

 

駅から車で線路沿いを走っていると、小高い丘の斜面に茶畑が広がる一角を見つける。♪夏も近付く八十八夜の「八十八夜」ってなあ5月の2日の事らしく、季節はまさに新茶のシーズン。新茶の風景と言えばお隣の大井川鐡道が知られてますけど、どっこい天浜線沿線も掛川茶の産地としてつとに有名。掛川茶の特徴は普通の茶葉より時間をかけてじっくりと蒸した深蒸しなんだそうですが、そんな新茶の絨毯の上を、滑るように天浜線の主力気動車TH2100型が走り抜けて行きます。


遠くで新茶の刈り取り作業が始まっている。農作業も写真も朝早くが勝負だ。今度の列車は天竜二俣行きで、光の加減は半逆光。逆光だとアンダーで撮る事が多いのだけど、朝の光に輝く茶畑の柔らかな新芽の色を活かしたいのであえて絞り開放で。どうせ空も白っちゃけてるから逆手に取ってみようってのもあるんだが…こんな雰囲気を露出オーバーと見るかどうかはお任せ致しますが、何となく春霞のフワッとした感じが出たような気がしないでもなくないっすか?(笑)。

 

朝のダイヤが過ぎると列車本数も落ち着くので、天竜二俣方面へ。天竜二俣駅にほど近い製材工場の脇を行くTH。南アルプスで切り出された材木は、天竜川を筏で流されてここ天竜に集められました。現在は浜松市に編入されてしまったけど、旧天竜市は製材の街。そして、旧国鉄二俣線時代から沿線最大の街であり、機関区が置かれていた鉄道の街。今も現役で残る扇形機関庫(登録有形文化財)は前回見て来ましたので割愛しますが、この日も結構な数の観光客が見学ツアーの申し込みをしてましたなあ。富岡製糸場が世界遺産に登録される事になってからゾロゾロ行くような手合いは好きじゃないけど(笑)、まあ産業遺産的な文化財に注目が集まっているとしたら喜ばしい事です。


二俣本町~西鹿島間の天竜川橋梁を行くTH。橋梁の長さ403mはもちろん線内最長、3連のワーレントラスとプレートガーターで「暴れ天竜」の名を持つ遠州の大河・天竜川を渡る。東海道本線の浜名湖橋梁が艦砲射撃で狙われた際の裏ルートとして命を受けた路線ですから、設備面ではそれなりの投資をもって建設された路線ではあるようです。C58が客貨を引いて走っていた往時から比べれば、大鉄橋に単行気動車はあまりに軽い荷物かもしれません。


そんな天竜川橋梁を俯瞰する鳥羽山と言う山に登ってみる。さっきの写真の後ろに見える山なのだが、徳川家康が1575年に武田方の二俣城を攻めんとする際に築かれた山城だそうです。チョメチョメ。二俣城は鳥羽山のさらに北側にある城山って山にあんだけど、1572年に家康さんは城山で信玄に負けてまして(二俣城の戦い)、鳥羽山城はそのリベンジマッチを挑むために築かれたものらしい。大きな歴史イベントでは三方原の戦いと長篠の戦いの間の2~3年間程度、二つの山城を巡って両軍がやったりやられたりを続けたそうな。そんな山城に登って眺めれば、なるほど鳥羽山は天竜川のほとりにそびえる天然の要塞。霞む三方原を一望の下に収める事が出来ます。

 

眼下に眺める天竜の流れを、トコトコと単行のTHが渡って行く。山城を吹き抜ける風に乗って、トラスを鳴らすジョイント音が聞こえて来る。正直単行では列車はどこにあるでしょうかクイズになってしまうのですが、新緑の眺めは美しいからやむを得ない事と割り切ってシャッターを切ります(笑)。天浜線の天竜川橋梁に並走するのは国道152+362号(重複)の鹿島橋で、これもカンチレバートラスと言う珍しい形のトラス橋。ツノのように見えるのが吊橋で言う所の主塔でして、これがトラスを両側から支える構造となっております。ええ、最近橋マニアですw

先ほどの曇天はウソのように、霞みながらもしっかり晴れた皐月の遠州路。
車内の汗ばむ陽気にクーラーを入れながら、次の撮影地に向かうと致しましょう。
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嗚呼、失意のいずっぱこ

2013年12月15日 21時55分12秒 | ローカル私鉄

(広小路にも数あれど@伊豆箱根鉄道駿豆線・三島広小路駅)

師走ともなれば人並みに正月の準備などもせにゃならず、昨日は近所の写真屋で来年の年賀状を頼んで来た。子供二人持つ親となれば、年賀状と言うものもマイホーム的な雰囲気のソレらしきものになってしまうのでありますが、こと写真を趣味とするものにしてみたらいささか物足りないのも事実。数は少なくとも趣味色満開の年賀状を作ってみたいよね、なーんて思ったのでありますよ。と言う事で6時前に家を出てインターまで20分、東名乗って1時間、インター降りて10分と合計1時間半でやって来たのは静岡県。雑居ビルに囲まれたコインパーキングに車をデポして辿り着いたのは、伊豆箱根鉄道は駿豆線、三島広小路駅でございます。上野広小路でも大崎広小路でもなく三島広小路、駅の壁には役所広司、コウジ繋がりか(笑)。


いきなり話を振ったので今日許された時間は午前中だけ。朝7時の三島広小路駅からちょっくら撮影に出てみるのだが、伊豆箱根鉄道と言えばご存じリゾート開発が大好きな堤一族が伊豆と箱根に送り込んだ刺客みたいな会社なんで、そこそこに近代化されております。三島広小路駅で自動改札になってるとは思わなんだ。小田急=箱根登山&東海バス、東急=伊豆急行、そして西武=伊豆箱根と言う首都圏大手私鉄の伊豆箱根における勢力争いも調べてみれば虚々実々の血みどろの争いの歴史ではあるのですが、ここで語ると時間が長くなるので割愛。


三島広小路から電車に乗って、3駅目の大場(だいば)駅で下車。時間があればフリー切符でも買って全線乗り降りしてみたいところではあるんだけどね。駿豆線ってまともに乗った記憶ないので…ここ大場駅は伊豆箱根鉄道の本社と駿豆&大雄山線の車両の検修を一手に引き受ける大場工場があるいずっぱこの心臓部。Daibaって書かれると「DAIBAッテキ!」とか思い出すんだけど。今思うと司会がドロンズで提供がドリームキャストってのが物悲し過ぎる番組だよな。DAIBAッテキ!と渋谷系うらりんご、ともにおニャン子復活を夢見たCXの徒花であるのだが、前者がチェキッ娘で後者がうらりんギャルだからよく覚えといて欲しい。


そんなDAIBA駅で交換する1300系。また出ましたね元西武新101系。今年出先で見かけたのは近江、上信に続いて3回目です。本家の方では本線運用からそろそろ外れそうな雰囲気もあるようですが…この形式は全国6社に譲渡されているのだが、これで唯一見てないのは一番簡単に行けそうな流鉄に行っちゃった車両だと言うのも何だかなあ(笑)。
大場から1つ三島側の三島二日町駅にかけては、富士山をバックに田園風景の中を走るシーンが撮影出来る駿豆線でも有名な区間。天気も西高東低冬型の気圧配置で出がけに家から見た富士山もバッチリでしたから、午前中だけテキトーに三脚立てて年賀状用の写真でも撮ろうかなと思って来たんですけど…


うーむ…
Where is FUJIYAMA???

初めて見る風景だけど、写真では何度も見た事ある場所だから、たぶん「このへん」の辺りに富士山がドカーンと来てるはずなんだけど、どこ行ってしまったんでしょうね…つーか、ここまで来て富士山見えないって意味が92%くらいなくなっちゃったんですけど。天気いいから同業者の3~4人くらい出てっかな、とか家出る時に思ってた自分が大バカもいいところだなヲイ…と放心状態で田んぼのあぜに座り込み、近くのミニストップで買ったおにぎりをかじる横を近所の住民が犬を散歩させながら通り過ぎて行く。


あまりの思惑の外れっぷりに、石っころでも蹴っ飛ばして帰ってしまおうかとも思ったのだが、とりあえず駿豆線の電車だけは15分間隔で頻繁に走って来るのでアングルを組んでみる。やって来たのは7000系、バブル期に線内の快速運用&沼津乗り入れを目論んでオール転換クロスでブチ込んだいずっぱこの意欲作。ワイドなピラーレスの1枚ガラスに角目灯、窓下で軽く腰折れたスタイルは、まんまステンレスになった京急2000系(笑)。中間車だけ2ダァと言うのが変わっているよね。


さっき大場で交換してった1300系。風があるので雲が流れてくれないかなと願うものの、ちょこちょこと頂上が見えたり見えなかったり程度の雰囲気。純正いずっぱこ車と違って方向幕が「三島⇔修善寺」と機織り運用型になっている様子。白にライオンズブルーって配色は西武でも6000系とかがそうなんで、そんなに違和感を感じませんな。


いずっぱこオリジナル3500系、修善寺寄り1両がクハ車の2M1Tです。大雄山線の5000系とほとんど同じなんで、伊豆箱根の車両と言えばこの形をイメージする人も多いのでは。これは最終増備の第6編成のようでスカート付。ドアの部分だけコカ・コーラのラッピングが入ってますですね。


時間が経てば雲行きも変わるか、と淡い期待を持ってはみたものの、厚い雲が乗っかって来たりとむしろ状況は悪化傾向…もう既に富士山を狙う構図は捨てて、小俯瞰スタイルでアウトカーブを大きく抜いてみる。冬枯れの大場川を渡って大きく右カーブして来る3500系、今度は鋼製車の1次型。同じ形式でも鋼製車とステン車があったり、スカートの有無など細かいところが色々と違うのは、大雄山線で走ってる5000系と同じですな。

 

7000系と1300系の正面ドカン。光がなく風景もないのでどーしてもこういう構図にせざるを得ない。苦肉の策。7000系は伊豆天城ミュージアムで開催されている大鉄道博のヘッドマーク付き。ちなみに7000系はオール転換クロスで意気込んで作ったはいいが、中間車の2ダァといい乗り降りに時間がかかる・車内が混みやすいと言う理由で積極的に増備されることもなく、2編成だけの希少な存在。今日も朝は2編成が動いてたけど、日中になったら1本落とされてしまいましたので、現場サイドでは使いにくいクルマって事なのかなあ。

 

光を探しながら三島二日町駅方面へ歩いていく。全く富士山は見える気配のないまま、空を見ると駿河湾側からどんどん雲が流れ込んできているのが分かる。北風ではなく南西方向から吹いて来る風が、愛鷹山にぶつかって富士山の南麓に雲が出来ている様子。予想に反して意外に湿度が高いのも誤算だなあ。3000系トップナンバーは韮山反射炉の世界遺産登録祈願ラッピング編成。いや、さすがにそれは結構ムリスジやろw


185系修善寺踊り子は5両の補助編成、大場川へ向けての上り坂を軽やかに上がって来る。JR東日本→JR東海→伊豆箱根と3社を跨いで乗り入れて来るんだが、一説によると熱海~三島の僅かな区間だけで乗務せにゃならんJR東海が面倒くさがって廃止したがっているとかなんとか。「伊豆の踊子」と言えば修善寺から天城湯ヶ島や天城トンネルなんかが出て来る中伊豆方面のお話ですから、修善寺に向かうこの「踊り子」こそ正調なる踊り子号なのかもしれません。ちなみに修善寺踊り子はいずっぱこ線内は快速扱いで特急料金いらないんで、乗り得な列車でもあります。


イチゴ農家のビニールハウスと1300系。昼近くになって晴れ間ものぞくようになって来ましたけど、今日の活動は午前中までなんだよなあ。夕方まで粘ればもうちょっと違った展開になったかもしれないが、仕方なし。デジカメの電池もなくなってきたところで、三脚を収める事といたしましょう。


ヨコハマタイヤの三島工場の真横にある三島二日町からクルマをデポした三島広小路駅へ。帰りは7000系。結局晴れ間もあったが空模様はあまり好転せず、そもそも富士山は全く見えなかった。割と富士山とは相性いい方なんだけどなあ(笑)。ちなみにデジカメの電池がなくなったんでこの写真はスマホで撮ってますw

最近カメラを振り回してなかったんで気晴らしにはなったけど、基本的には失意のいずっぱこ。
要リベンジでしょう、これは。
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足柄のいずっぱこ

2012年09月30日 21時55分37秒 | ローカル私鉄

(彼岸花の咲くころに@飯田岡~穴部間)

朝起きたら台風が接近している割には意外にも天気が良かったので、今日も今日とて子連れ狼。最近我が家の近所の田んぼでも彼岸花が咲き乱れて、いよいよ秋も本番かなと思わせる風景になって来ましたね。盛夏が過ぎ、紅葉に至るまでの間の9月と言えば実りの秋と彼岸花。そんな田園風景を探して今日も神奈川県の西部方面、小田急の渋沢5号とか行こうかなと思ったけど、台風でロマとか早々に運休にしちゃいそうなんで今日は2年ぶりくらいにいずっぱこの大雄山線に行って来ました。2年前に来た時に、飯田岡の駅の辺りで田んぼがあった事を覚えていたので、大雄山駅に車をデポして飯田岡駅から狩川の土手沿いを子供と散歩。予想通りに田んぼの畦に咲く彼岸花を見付けて、子供と構える線路際。


小田原から足柄平野の西端を流れる狩(かり)川に沿って、神奈川県の都市の中で一番人口が少ない南足柄市(人口4万人ちょっと)へ向かって走る全長10km足らずの大雄山線。使われてる車両も5000系の一種類だけと趣味的には無味乾燥ですが、私的には結構この車輛嫌いじゃないのよね。昭和59年から平成8年までの13年間に渡ってチマチマと7編成が増備されたため、出て来る編成が常にバージョンアップされて同じ形式でも微妙に仕様が異なっているんですね。まるで写真集出すたびに何かが違っている釈由美子のようだ(笑)。あっちはいつアップグレードが終了するかもはや誰にも分からない状態になっているけどな…
いっちゃん最初に落成した第一編成@5001Fが狩川の堤防下を。この編成だけ鋼製車輛なんですよね。


コデを横目に、大雄山へ上がって来る第4編成@5007F。
台車についた置き石防護用の機器がカニの足みたいになってるのが特徴ね>5000系
まったくネタと言うもののない大雄山線ですが、唯一のネタモノと言えば駿豆線(三島~修善寺)の大場工場まで大雄山線の車両を検査に出す時くらいですかねえ。大雄山線には全般検査を受けるような工場なんかないですから、大雄山線の車両が検査を受ける場合はこのコデ165が大雄山から5000系を引っ張って小田原まで行き、小田原でJRの機関車に付け替えて三島、三島から凸型電機に牽かれて大場工場へ持って行くんですね。「コデ」って聞き慣れない種別ですけど、「工事用電車」の略称のようです。昭和3年製にて元相鉄の2000系。そう言えば相鉄のかしわ台車両基地の隅っこにも似たようなのが留置されてますね。まあコデって言われると基本こっちを思い出すけどw


狩川の鉄橋を渡る第7編成@5013F。
最終編成はスカート付き&行き先表示がLEDだったりする。
大雄山線は深夜早朝を除いてほぼ全線12分間隔のパターンダイヤなんで、乗ったり降りたりして撮り歩くにはまったく苦労がない路線です。駅間距離も基本1kmないから、歩いたってたかが知れてるしね。途中の五百羅漢と相模沼田と和田河原の3つの交換駅で必ず対向列車と交換するから、電車の来るタイミングも非常に分かりやすい。


狩川の土手から小田原行きに懸命のアピールをする息子の図。
かように趣味人でもなかなか興味を引きづらい地味路線ではありますが、それだけにカメラを向ける人が珍しいのか駅員氏&乗務員氏の愛想はすこぶる良かった(笑)。息子はおそらく今日の仕業に就いているウテシ氏およびレチ氏全員に「バイバイっ!」と手を振ったんじゃないかと思われ…

声援に 汽笛よ響け 足柄の 曼珠沙華咲く 狩川の土手
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