青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

邪険にされたラッピング

2018年06月10日 17時00分00秒 | 只見線

(ネタモノ、ジャマモノ、評価は色々…@会津坂本~会津柳津間)

柳津であわまんじゅうのオヤツをいただいて、朝も撮った八坂野の踏切周りで午後の427D。おや、この列車は先頭にラッピング車両が付いてきました。「只見ユネスコエコパーク」のラッピング車両。若松にいるキハ40は只見線と磐越西線の共通運用なので、朝は磐越西線の方に行っていたのかな。磐越西線でも朝の輸送力列車に使われていて、西会津町の中心地である野沢駅から会津若松までを3連で運用し、1両外して昼過ぎからは2連で只見線の運用に就いているそうです。


この日は空模様は晴れたり曇ったり。梅雨の入り口…という感じの雰囲気。ラッピング&東北色が早苗の八坂野を行く。ちなみに朝の一橋の水鏡狙いで一緒になった地元氏が「ラッピングが入ってたらやだなあ…」みたいな事を言ってまして、どうやら正調の東北色キハ40こそ只見線!という原理主義的な向きには邪魔者扱いされているようです。気になって界隈の声を拾ってみたんだけど、「沿線の美しい風景に合わない」とか「雰囲気を壊す」とか「これが来たらハズレ」とかひどい言われようで、何だかかわいそうになって来た。まあ、確かに朝の4連狙いで1両だけこれが入ってたら編成美を乱すのかもしれないけど、この濃い緑色、別に悪くないと思いますけどねえ。

よく考えたら、ある意味編成美を乱しまくってる飯山色のキハ110なんかを「125D先頭きたああああ!」みたいに喜んで撮っている人間なんですよね私(笑)。個人的にもこーゆー派手な感じ嫌いじゃないですよ。ミャンマーに行っちゃったキハ40とか現地でこんな感じに塗られてるらしいしね。あくまでバリエーションの一つとして楽しめば良いのではないでしょうか…
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粟に託して願いごと

2018年06月09日 17時00分00秒 | 只見線

(静かな昼下がり@会津川口駅遠景)

1日6往復の列車が発着する会津川口駅。設定は朝夕が中心になっていて、昼間に川口を出る列車は12:30頃のこの428Dだけ。只見線のダイヤの中ではかなりの古株列車で、朝晩はちょこちょこダイヤの改正はあるものの、この会津川口12:30頃発の列車はずーっと変わらないようです。昼下がりの静かな会津川口、車内に人影は疎ら。


どこで撮ろうかな…とゆるゆると流しながら、早戸手前の高倉にあるアーチ橋で。ここは俯瞰でやるのが定番みたいですけど、ヤマに登っている暇もないので接近戦。3両くらいがバランスがいいのかな。森が迫る枯れた沢筋に架かるアーチをゆっくりと。


宮下手前から対岸に渡って第二橋梁。第二橋梁の構図ってどう取ったらいいのか悩みますなあ。ある意味只見川の鉄橋群の中では一番フツーの鉄橋なんで画にしにくい。水鏡でもなく、川霧がある訳でもなく、光もないし、ただ撮影しただけになってしまった…。逆サイドに回って歳時記橋の方から撮影した方が良かったかもしれない。


何となく追っ掛けて行くのにも飽きて、柳津名物のあわまんじゅうを食べながら一息。平日にもかかわらず、人の切れ目なくお客さんが買いに来る柳津名物。たまに福島の物産展なんかやってると都内のデパートでも買えたりするけど、やっぱ店でジカに買って食うのが一番美味い。家族の土産用とその場で食う用をオーダー。柳津と言えば虚空蔵さんとあわまんじゅうだよね。甘さ控えめのこしあんに、ザラザラブチブチとした粟の食感が美味しい逸品。


「今からおよそ170年前、日本三大虚空蔵尊の一つ福満虚空蔵尊のその界わいが大火災にあって、当時の喝巌和尚が2度と災難に「アワ」ないようにとの饅頭をつくり信者一般に御護符として配ったものが以来、柳津の名物となったと言われています。(小池菓子舗HPより)」

災難除けのご利益もあるあわまんじゅう。福島も、奥会津も、只見線も、もう二度と災害にアワないように…
願いを込めて、最後の一口をいただきます。
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熱意だけではどうにもならないが、熱意がなければ始まらないのも事実

2018年06月07日 17時00分00秒 | 只見線

(在りし日の第七橋梁@会津横田~会津大塩間)

昨日のブログのほぼ同じ位置から第七橋梁を撮影した写真。およそ9年前の梅雨の時期であった。この写真からも、橋の流出前と後ではかなり川幅が違うのが分かる。増水した水の勢いで川の両岸が洗堀され、川岸に生えていた樹木などは根こそぎ持ってかれてしまったんだろうね。この区間の復旧には85億円と4年の期間が必要と算定されているようですが、その多くは只見川の橋梁部分の再架橋にかかる時間と経費とされています。


運休中の会津川口~只見間ですが、もとよりこの区間は営業時でも1日3往復の運行しかない超閑散区間でした。平時の輸送力の確保という観点で言えば、現状運行されている代行バス(ジャンボタクシー)で十分に間に合います。そんな状況でしたんで、JR東日本はさすがにこの区間を復旧させるだけの費用も理由も捻出しないだろうなあと。廃止とはしないまでも、休止として事実上の棚上げに持ち込むのだろうなあと個人的には思っていました。しかし、長期に亘る地元福島県と沿線市町村の熱心な働きかけと費用負担の折り合いが付き、なんとこの区間を正式に鉄道で復旧することが昨年末に決定しています。これは驚きのニュースでしたねえ。


勿論、復旧にこぎつけた最大の理由は、ただ熱心にお願いしただけでなく、「この区間を上下分離方式とし、県が復旧後の線路などを保有・管理し、その費用を負担すること」を地元自治体が表明したことでしょう。復旧費についても、JR東には1/3を求めるに留め、県と地元17市町村が残りの50億円近くを負担します。復旧に向けてのロードマップは完全に描かれたと言えます。


このブログを書いている現在、只見線の復帰を後押しする「鉄道軌道整備法改正案」が審議されています。JR東日本が只見線の復旧に慎重であった理由として、現行では「激甚災害によって被災した線路の復旧については、運営会社が黒字の場合は補助金は出しません」という法律の壁がありました。そりゃJR東にしても、いくら黒字が溜まり切ってるとはいえ、1日3往復の閑散区間に85億円も身銭を切って復旧させるなんて「ステークホルダーの皆様のご了解が得られない」という紋切り型の言葉で切り捨てられてしまう事案。ただし、この改正案が可決されれば、「被災した路線の単体ベースの赤字」が3年続いていれば、企業の赤字黒字に関係なく復旧費用の最大1/3の補助金が出ることになり、これはある意味只見線復旧特別法のようなものなのだそうです。「JR東に求めるのは復旧費用の1/3」という地元との取り決めを踏まえ、「復旧の1/3の補助金を出しますよ」という法令の後押しというのがミソですね。


いよいよ6月中旬から本格的な復旧工事が始まるとされていますが、その下準備でしょうか、この日の沿線には、関係者の姿が多く見られました。北海道などを見ていると、路線を残したいという熱意だけでは正直どうにもならなくて、やっぱりカネをいくら出せるかという現実のお話が大きく立ちはだかります。この復旧へのスキームが実を結んだのは、福島県が大きく窓口になって沿線市町村の熱意を集約し、熱意を証明する覚悟を持った支援策を打ち出した事。それが事業者たるJR東日本を動かし、国会でその復旧を補完する政令が発議されるまでになりました。ここまで漕ぎ着けた関係者各位の努力には誠に頭の下がる思いがしますが、復旧させるだけでは絶対にペイしない金額を投じるからには、すべからくどこまで鉄道を絡めた地域振興が図られるかの結果を出していかなければなりません。只見線を繋げ、回遊ルートを復活させた後、利用の促進とともに地元の盛り上がりと賑わいの創出をどうするかは課題となりそう。

それでも、まずはめでたい復旧への動き。
止まっていた時が動き出すのは、計画で言えば2021年度ということになりそうです。
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夏草に消えたレール

2018年06月06日 17時00分00秒 | 只見線

(再会の日を待つ@本名駅)

平成23年夏の新潟・福島豪雨以来寸断されたままとなっている只見線の会津川口~只見間。大雨で増水した只見川の溢水や、増水した水かさを受け止めきれなくなったダムの一斉放水などもあり、鉄橋は第五・第六・第七只見川橋梁が流失、第八只見川橋梁が損壊。軌道敷についても土砂流出や斜面崩壊、軌道変異など約30kmに亘って大きな被害を受け、現在も運休が続いています。もうあれから7年目の夏が来る事を考えれば、遅きに失した感が否めませんが、そんな只見線の運休区間を訪れました。川口から一つ目の本名駅、集落の中で駅はひっそり苔生して、植物に絡め取られていました。


踏切の部分だけを残して、あとはすっぽりと夏草にうずもれた線路。鐘の音を忘れた踏切警報機が、再び本名の集落に列車の接近を告げるのはいつの日になる事か…思えば平成23年と言えば東日本大震災のあった年で、福島県は地震被害、津波被害、原発災害に続いての奥会津の豪雨被害と、福島県は災厄続きの年でありました。


それでも足元を見れば、レールと枕木を繋ぐ金具の部分に真新しいペンキで書き残した数字が読み取れて、復活に向けての最低限の保守管理は日々行われているようです。しかし跋扈する夏草の勢いというのは物凄いものがある。保守の手が緩めば、バラストの間からにょきにょきと伸びて、あっという間に路盤を覆いつくしてしまうのであろう。


あの豪雨から7年を経た今、只見川流域では今も大規模なダムの浚渫や堤体の復旧作業が進められています。只見川とその流域に設置されたダムは電源開発や東北電力による水力発電事業のために作られたものであり、流域の市町村には「電源立地地域対策交付金」という名の迷惑料が振る舞われ、公共事業として優先的に配分される工事による雇用創出などの副次的な恩恵に与って来ました。本名ダムの大規模な復旧工事に囲まれ消え入りそうな第六橋梁のガーター。ここのトラスは豪雨によるダムの緊急放水によってあっという間に流されたと聞きます。


会津横田~会津大塩間に架かっていた只見川第七橋梁。横田側の町道から見ると、右カーブして行った先でスパッと何かに切られたようにレールがなくなっていて、その先には対岸の森が広がるのみ。虚空を掴むかのように消えた鉄路、銀河鉄道999ならば空に昇って行けるけど、キハ40じゃあねえ…重いからねえ…と冗談に逃げるしかないような景色。


第七も他の只見川橋梁同様、上路トラスの立派な焦げ茶の鉄橋が架かっていた。隣に架かっている町道の歳時記橋は、この橋を通る列車をいいアングルで収める事の出来る撮影地であった。川の横田寄りに残されたコンクリートの台が、トラスの橋桁の跡。


雪国仕様の高い位置につけられたキロポストと、僅かに夏草の中から見えるレール。よくよく注意して見なければ、ここが線路なのかどうなのかも危ういような見てくれだよなあ。頻発する地震や、豪雨、温暖化によって気象条件が荒ぶる昨今、全国各地で頻発する自然災害による交通網の寸断。道路はすぐ直すけど、鉄道はなかなか時間がかかる。インフラとしての優先度では後回しになるのはクルマ社会の自明の理なのかもしれないけど、ダム工事に頻繁にダンプが行き交う国道の脇で、何だか割り切れなさも残ったりして。
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奥会津に生きる

2018年06月05日 17時00分00秒 | 只見線

(秋の実りを祈って@会津中川駅遠景)

会津中川駅を見渡すあぜ道で構えていたら、ぴょこっと頭を下げて農家の方がフレームイン。どうやら農作業の時間らしい。そもそもこちらの方がヒトサマの土地で図々しくも生活の場を撮り荒らしているとも言えるのに、えらい丁寧な方だなあと感心しきり。田植え直後の田んぼの見回りは、畦の草を摘んだり、水路の間仕切りを確認したり。毎日何かと手間のかかるのが農業。


9時半過ぎの425Dが到着して、一人の乗客が下車して来ました。会津中川の駅は小さな木造の風情のあるものですが、ここからの角度だと農業倉庫の方が大きくていささか目立ちません。現在は単式ホーム一線のみの会津中川の駅は、線路を渡ってやや離れた位置に駅舎があります。駅舎とホームの間には、かつては貨物ホームと側線があったそうで、おそらくC11の貨物列車とかがやって来ては、集落で採れた農産物を積み込んでいたのでしょうな。農業倉庫の位置を見るとなるほどなあと思いますよね。


中川の駅前には大きな桜の木があって、それこそ花の時期は只見線を愛する写真家たちの格好の題材。そんな桜の木も、春を過ぎてすっかり青葉の季節。終点の会津川口まではあと少し、大きなエンジン音を里に響かせ、キハ40が重そうな車体をブルブルと震わせながら中川の駅を後に。

農家の方は、去って行く列車の姿に脇目も振らず、農作業を続けています。
奥会津で生きる人々の日々の営み。忙しなく動き回る編笠に、秋の豊作を願うのみです。
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