青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z

2017年03月25日 23時00分00秒 | 日常

(河津桜と東海バス@河津バガテル公園)

太川&蛭子コンビが解散し、すっかり注目度が下がった「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。今回からメンバーを田中要次&羽田啓介に変えて「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」として再出発。この2人については昨秋にパイロット版でこの企画を一回やらしているので、テレ東としてもまあ無難にそのままレギュラーメンバーとして横滑りさせた感じ。俳優の田中要次さんは元々国鉄マンで乗り物関係にそこそこ明るく、鉄道系の番組なんかにもよく出てるし、この土スぺ枠の番組では稚内から鹿児島中央まで特急乗り継ぎで行かされたりしてたところからも制作陣からの信頼が厚いのではなかろうか。対して作家の羽田さんとやら、まったく小説を読まない私には「なぜこの人?」と思ってしまうのだが、そこらへんは素人扱いには信頼のテレ東なのでたぶん理由があるんだろう(笑)。


(私も歩いたことがある@薩埵峠)

今回は伊豆の下田から知多半島の師崎まで。伊豆半島を東海バス2回の乗り継ぎであっさり抜けた田中さんが沼津でバスがあるのに1時間半もかけてメシ食ったあたりナメてるとしか言いようがないのだが(笑)、由比の薩埵峠越えを皮切りに後半戦できっちりその報いを受ける徒歩地獄があったりと結構面白かった。田中さんは「沼津での1時間半メシ」の他にも、浜松でアクトシティのオークラの4万近いツインルームに泊まったり、衣浦海底トンネルを「面白そうだから」と言う理由で行程に組み入れたりと「ゆるい」リーダーぶりに、熱血漢の羽田さんが絡んでいく構図と言うものが組み合わせの妙なんだろうね。静岡~愛知の県境越えの歩きの際、二川の手前で走って来た豊鉄バスを猛ダッシュで追い掛けて停留場で追いついたあたりのガッツとかね。碧南市内でコミュバスの乗り継ぎに失敗した時も本気で悔しがってたし…あと今回は結構現業の運転手の方から「よく番組見てますよ」とか「頑張ってくださいね」なんて声をかけられてたのが印象的。視聴率はともかく、現場に受け入れられている番組っていいよね。

日も暮れた知多半島の上野間でバスが繋がらず途方に暮れ、すっかり諦めモードの田中さん。自分も「河和まで歩けばバスあるだろ!」と画面に向かって叫んでしまったが、それが聞こえたのか諦め切れず河和までの6km歩きを決断する羽田とIMALUの若手コンビの根性により、最後の師崎までのバスが繋がったわけですが、太川&蛭子の主従関係に比べると、フリーハンドのリーダー田中にツッコミの羽田という構図が回を重ねるごとに固まるのではないだろうかと思っているのだが(笑)。
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6回目の3.11

2017年03月11日 07時00分00秒 | 日常

(福島放送HPより)

本日で東日本大震災から6年目、もう6年かと言う感じもするし、結構前の話になってしまったような気もするし。こうして書き連ねる事で、かえって記念日としての「3.11」をアニバーサリー的に消費するだけになってしまったのかという慙愧の念もあったりするんですけどね。ただ、直接の被害を受けた人間でなくとも、平成の世に生きた日本人の心に大きな爪痕と言うか引っ掛かりを作った出来事であることは間違いないと思います。

震災直後の約1か月間、鉄道網が断たれた被災地へ向け、日本海側を大迂回したJR貨物の緊急燃料輸送。今日の朝10時半から、福島ではこんな番組を放送するそうです。昨年の9月に同局の開局35周年番組として放送されたものらしいですが、つい先日までこんな良質な番組があった事を知りませんでしたよ。正直福島ローカルにしとくのは勿体ない。先日DD51を撮影して来た一人の鉄道貨物ファンとしてはぜひ全国で放送してやってくれんかなあ、と思う番組ですね。まあ今の世の中色々と見る手段はあるので少しでも気になった人はぜひ見て欲しいです。不覚にも、年を取ると涙腺が緩むことを実感させられてしまいました。


緊急燃料輸送に参加したDD51852号機。当時は門司機関区所属でしたが、愛知に移ってからの姿を四日市の駅で撮影しています。
今はもう鬼籍に入ってしまったカマですが、その功績はファンの間で永遠に語り継がれる事でしょう。
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奥深きかな地名

2017年01月28日 00時20分31秒 | 日常

(読めねーよ@北海道釧路郡釧路町)

会社から帰って来てメシ食いながらテレビ見ていたら、ジャストミートこと(古いか)福澤朗アナが「日本の難読地名50問に挑む」と言うクイズ企画をやっていて、「まあ難読地名なんて言っても大したことないんでしょ?」なんて見ていたら行政地名以下の小字レベルの問題をガシガシ回答していく福澤アナの地名に対する博識ぶりにいたく驚いてしまった。元々「ズームイン!朝!」の司会進行を務めるにあたって、日本中からのレポートに対応するため独学で始めた地名の読み方の研究だったそうなのだが(うろ覚え)…そんな福澤アナが50問目で最後の最後、間違えたのがこの地名。北海道は釧路郡釧路町の「重蘭窮」、JR根室本線(花咲線)の尾幌駅の南にある集落なのだが、これで「ちぶらんけうし」と読むらしい。これを福澤アナは「ちぷらんけぷし」と読んで誤答してしまったのだが、そこまでニアピンに寄せるだけすごいと思う。どこまでガチなんだか分からんけど。重=じゅう=じう=ちぶ、蘭=らん、窮=きゅうす=けふす=けうし、と言う事なのだろうか。


ひょんな事から見ていたテレビで改めて日本の地名の奥深さに感じ入ってしまったのだが、この釧路町の地理院地図を見ていると「重蘭窮=ちぶらんけうし」に勝るとも劣らない難読地名のオンパレードでクラクラしてしまう。特に北海道はアイヌ語からの当て字だったり和訳合成していたりと難読になりがちなのだが、「跡永賀=あとえが」「十町瀬=とまちせ」あたりはまあいいとして「冬窓床=ぷゆま」「浦雲泊=ぽんとまり」などはほぼ初見では判読不能であろう。もとより相当に人跡まれな過疎地と思われるんで知らなくても人生には何の影響もないのであろうが、こういう知識が人生にコクを出すと思うからしつこく拾っていくよ。


さらに釧路町を東に海岸線を辿って行くと、「分遣瀬=わかちゃらせ」「賤夫向=せきねっぷ」「入境学=にこまない」「初無敵=そむてき」ともうここまで来ると難読地名も座りションベンで参りましたレベルだな。特に「入境学=にこまない」って何よ。もうちょっと考えて地名も付けて欲しいもんだ(笑)。サカイマナブが入って来てなんで「にこまない」なのか全く意味不明。そもそも「にこまない」って日常会話じゃん。「シチューはあんまり煮込まない方が好きですねえ」みたいなさ。ちなみにサクッとググってみたら「にこまない」とはアイヌ語で「川尻に流木の集まる川」の事なのだとか…まあそれはいいんだけどもうちょっと漢字は読みに寄せよう。そしてサカイマナブと言えば現役では日本一ニホンピロの勝負服が似合う乗り役だと思うのだがいかに。

当事者である釧路町のHPを見ていたら、町サイドでもこの難読地名をちょっとは観光資源として意識しているらしく特集コーナーがあったのだが、もっと大々的にアピールして行った方がいいと思うぞ!ちなみに私は国土地理院の2万5千分の1の地図をただ眺めているだけで半日は過ごせる人です。ビバ地形、ビバ地名。地図は黙して語る。

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安らかに。

2017年01月13日 22時38分05秒 | 日常

(あの日も今も、走り続けて50年@営団6000系)

今年で95歳になる祖母にお迎えが来ました。まあ年末辺りから母親からそろそろかもしれないと言われてはいたので、ある程度気持ちの準備はしていたつもりではありましたが、やはりそれを事実として知らされるとすっかり不義理をしていた我が身を恥じ入るのみである。大学くらいまでは向こうも元気だったから、しょっちゅう千葉県の東葛地区にあるじいちゃんばあちゃんの家に行ってたんだけど、祖父母の家と私の実家を結んでいたのがこの車両。小田急線から千代田線を通り、常磐緩行線まで足を延ばしていた営団6000系である。それまで長い事3社直通をやるのは営団車だけという不文律がありましたね。JR車は代々木上原まで・小田急車は綾瀬までとそれぞれが片乗り入れの域を脱しなかったのが、平成29年3月の下北沢の複々線開業による増発を見据えてようやく解禁されたのが去年の3月。


じいちゃんばあちゃんに会いに、母親に連れられて通った代々木上原の駅。かわいい孫は大きくなってやがてワルさを覚え、じいちゃんばあちゃんの家を根城に有馬記念を始発で見に行ったり、夏休みの時にやっぱり朝早くじいちゃんに天王台の駅まで送って貰って、始発電車に乗って18きっぷで浦河まで行ったりと色々と好き放題をしてしまうのであるが、そんな孫の無茶にも文句も言わず(言ったかな?)付き合ってもらってしまったなあ。ちなみに始発で見に行った有馬記念の勝ち馬はダイユウサクだから、何年前の話だよと言う…思い出を懐かしみつつ行く先流れる年月を数えると、月並みだけど、お疲れさまでしたという言葉しかない。
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コンビ解散

2017年01月08日 07時04分01秒 | 日常

(コンビ終焉の地@余目駅)

あ、そう言えば正月2日の第25回を以って蛭子バスこと「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が終了してしまいましたね。正確に言うと番組自体は続くそうなのだが、シリーズ開始以来コンビを組んでいた蛭子&太川のあのコンビが番組を卒業したと。今回は会津若松から羽後本荘(由利本荘市)というもうルート組みからして苦しいなあという感じありあり(笑)。前回の放送時に「もう(バス旅を)やるルートがないんです」と太川さんが言ってたけど、さもありなんだ。今回はそもそものスタート地点である会津若松を抜け出すのに思いっ切り手間取り、初日の宿泊地が郡山、二日目が白石(宮城県)という超スローペースだったんでさすがに無理だと思ったね。仙台~新庄の長距離急行路線バスを見付けて逆襲はしたものの、だいぶ先を残して山形県は余目駅前で無念のリタイア。会津若松っちゃ第16回(館山~会津若松)でも出て来たけど、この時も郡山から会津若松を残して失敗だったんでこの企画においては鬼門としか言えない場所でもあります。ってかそもそもこの収録最終日が土曜日だったみたいなんだが、ただでさえ本数少ない田舎のバスでロケやんのにスケジュールに土日絡ませちゃダメだろプロデューサーさんよ。

それにしてもコンビ10年ですか。最近蛭子さんが露骨に衰えて徒歩中とか歩き終わった後の表情とか死相が出てたんで、ルートがないのもあるけど蛭子さんが限界と言う感じなんだろうなあ(笑)。ルートがなくなるとなれば余計に無理ゲーっぽいルート(徒歩前提)も増えていくのだろうし、個人的に蛭子さんが70になるまでだと思っていたのでいい潮時かなと。また回を重ねるごとに本来ならエリアを管轄する基幹バス会社が運行すべき路線がコミュバス化していたり、そもそも路線が廃止になっていたりと地方のバスのネットワーク自体もあまり機能しなくなっている現実が回を追うごとに酷くなってるよね。「半分以上の路線が存続出来ない」なんて言いだしたJR北海道レベルの話が、地方のバス路線ではとっくに起こっている。太川蛭子コンビが歩いた10年で、確実に地方は老いて衰え痩せ細ったよなあ。今回の放送でも、陸羽西線の清川の駅前で駅前のお店にバスの情報を聞きに行くシーンがあったんだけど、「ここあたりの人は基本クルマでバスの事とか知らないんですよねえ」と言う回答があった。駅前から出てるバスの話を、駅前に住んで商売やってる地元の人が知らんのよ。交通機関としての役割の終わった路線バス、本数が少なく利用者のいないバスは、地元の人にすら関心を持たれていないという現実。ここ重要だと思ったねえ。

まあ疲弊する地方と公共交通の現実を嘯いても、そんな現実どこ吹く風と窓口のババアを問い詰めて繋がったバスに喜び、片田舎のしょぼくれた喫茶店でコーヒーを飲み、県境を歩いて超えて宿でビールを痛飲し快哉を叫んでいたルイルイとマドンナに毒づきまくる蛭子のコンビにもう会えないのは寂しいもの。本当にお疲れさまでしたと言うしかない。企画自体は極めて優良なコンテンツだと思うので、新しいコンビでもこの番組自体は楽しみにしていこうという気持ちに変わりはないんだけどね。
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