(写真:ニセコ駅)
鉄道に乗らない旅なのに、こう言う写真があるのももはやお約束(笑)。
大いに北の海記念館を堪能した後、旅は続く。
●昭和新山(Mt.Syouwa Shinzan)
北の海記念館の南約1kmにある。昭和18年に有珠山の山麓にあるなだらかな麦畑がいきなり活発な火山活動によって隆起したもので、溶岩の成分が粘っこく、横に流れ出さなかった事もありその後3年間でこのような姿になったらしい。その姿は一目見て異様で、車の窓を開け放てば焼けた鉄のような異臭が漂う。ベンガラ色の山容からして、酸化鉄の多い山なんじゃないかと思われます。ちなみにグッピー氏は1ヶ月前の長崎旅行で雲仙普賢岳の「平成新山」も見学しているそうで、色んなところで二冠達成を果たしているようです(笑)。
この昭和新山の生成を克明に記録したのが当時の壮瞥郵便局長であった三松正夫氏でして、その調査記録がいわゆるミマツダイヤグラム(リンクはウィキ)。日本の地質学上の貴重な資料として、今でも功績は名高い。郵便局の屋上に縦横に渡した糸を基準にした定点観測を明けても暮れても続けたと言う話は、確か自分も学校の教科書で読んだ記憶がある。今でもその功績は三松正夫像として称えられ、昭和新山の観測を続けております。
見学の後、えび氏が山麓の土産物屋のオヤジに釣られ、怪しげなゲルマニウム鉱石を掴まされる(笑)。帰京してからその後の使用報告を聞かないのだがどうなっているのだろうかw。ゲルマニウムって「淡谷のり子の美容ローラー(顔の上でコロコロするだけでシワが消えるとか何とか言ってたヤツ)」に使われているというイメージがw女性自身とか週刊女性とか微笑(もうないけど)とかに必ず広告が出ていた記憶が。
最近見ないので、淡谷のり子と同時に天に召されたと思っていたのだが、どうやらまだ売ってるらしいw
●洞爺湖(Lake Toya)
北国の冬は日の落ちるのも早く、すっかり日は西に傾いた。宿泊地でもあるニセコ方面を目指し、洞爺湖沿いのR230の車窓に湖畔の風景を眺めながらスルー。真ん中に見えるこんもりした山は対岸ではなくて中島と言う島なんですねえ。島だけで南北2kmくらいあるらしい大きな島だが、人は住んでいない様子。
道は洞爺のメジロ牧場の脇をかすめ、留寿都から羊蹄山の麓の真狩村へ。この辺りから見える羊蹄山の眺望を大変楽しみにしていたのだが、雲がかかってその姿をあまり見る事が出来なかったのは残念。
●歌う細川たかし像(Singing Takashi)
さて、真狩村と言えばハギー氏も訪れた名所・「歌う細川たかし像」のある村としても知られている(そんな知られ方どうかと思うがw)。ネタとしては二番煎じ感は否めないが、このルートを策定した以上スルーするのもたかしがかわいそうだ(笑)。
てな訳で行ってみましたよ。たかしが待つ真狩川の河川敷に。
たかし~、たかしはどこだ~たかし~…?
ちょwwwwwwwww orz(本日2回目)
埋まっとるやないけ。
真冬のたかしは寒空に歌声を響かせる事もなく、台座にはドカシー(ドカタ用ビニールシート)をかけられて、真狩川の河原でさみしそうに熱唱しておりました。そんなたかしを何とかサルベージしてやりたく突入を試みるも、積雪に阻まれて近付く事すらままならん。
仕方がないので、目一杯望遠してたかしのご尊顔をカメラに納めるのが精一杯(笑)。つか、台座に雪がかぶって、それはあたかも演歌歌手にありがちなスモークを焚いたステージのようでもありw
ここまで来てのリアル心のこり(笑)を胸に、トボトボと車へ戻るのでありました。
●お宿(Koikawa-onsen in Kombu-spa)
今宵のお宿はニセコ昆布温泉の「鯉川温泉旅館」。池のほとりに立つ古めかしい木造の一軒宿は好みでもあり、滝見の露天風呂を配した温泉の質も良いと思った。しかしながら、この時期のニセコはさすがにスキー客が多くて、なおかつ宿泊客だけならまだしもマイクロバスで周辺のホテルから入浴のみのスキー客が夜遅くまでバンバン送り込まれて来るために温泉が常に異常に混雑していたのには閉口した。まあ、スキーシーズンにスキーもしない客がニセコなんぞ泊まるほうが悪いのかもしれないが…
おかげで「温泉に浸かってのんびり」と言うこの旅のポイントを外してしまったのは幹事としても不徳の致すところでもあります。来年はリベンジしませう。
続く。
鉄道に乗らない旅なのに、こう言う写真があるのももはやお約束(笑)。
大いに北の海記念館を堪能した後、旅は続く。
●昭和新山(Mt.Syouwa Shinzan)
北の海記念館の南約1kmにある。昭和18年に有珠山の山麓にあるなだらかな麦畑がいきなり活発な火山活動によって隆起したもので、溶岩の成分が粘っこく、横に流れ出さなかった事もありその後3年間でこのような姿になったらしい。その姿は一目見て異様で、車の窓を開け放てば焼けた鉄のような異臭が漂う。ベンガラ色の山容からして、酸化鉄の多い山なんじゃないかと思われます。ちなみにグッピー氏は1ヶ月前の長崎旅行で雲仙普賢岳の「平成新山」も見学しているそうで、色んなところで二冠達成を果たしているようです(笑)。
この昭和新山の生成を克明に記録したのが当時の壮瞥郵便局長であった三松正夫氏でして、その調査記録がいわゆるミマツダイヤグラム(リンクはウィキ)。日本の地質学上の貴重な資料として、今でも功績は名高い。郵便局の屋上に縦横に渡した糸を基準にした定点観測を明けても暮れても続けたと言う話は、確か自分も学校の教科書で読んだ記憶がある。今でもその功績は三松正夫像として称えられ、昭和新山の観測を続けております。
見学の後、えび氏が山麓の土産物屋のオヤジに釣られ、怪しげなゲルマニウム鉱石を掴まされる(笑)。帰京してからその後の使用報告を聞かないのだがどうなっているのだろうかw。ゲルマニウムって「淡谷のり子の美容ローラー(顔の上でコロコロするだけでシワが消えるとか何とか言ってたヤツ)」に使われているというイメージがw女性自身とか週刊女性とか微笑(もうないけど)とかに必ず広告が出ていた記憶が。
最近見ないので、淡谷のり子と同時に天に召されたと思っていたのだが、どうやらまだ売ってるらしいw
●洞爺湖(Lake Toya)
北国の冬は日の落ちるのも早く、すっかり日は西に傾いた。宿泊地でもあるニセコ方面を目指し、洞爺湖沿いのR230の車窓に湖畔の風景を眺めながらスルー。真ん中に見えるこんもりした山は対岸ではなくて中島と言う島なんですねえ。島だけで南北2kmくらいあるらしい大きな島だが、人は住んでいない様子。
道は洞爺のメジロ牧場の脇をかすめ、留寿都から羊蹄山の麓の真狩村へ。この辺りから見える羊蹄山の眺望を大変楽しみにしていたのだが、雲がかかってその姿をあまり見る事が出来なかったのは残念。
●歌う細川たかし像(Singing Takashi)
さて、真狩村と言えばハギー氏も訪れた名所・「歌う細川たかし像」のある村としても知られている(そんな知られ方どうかと思うがw)。ネタとしては二番煎じ感は否めないが、このルートを策定した以上スルーするのもたかしがかわいそうだ(笑)。
てな訳で行ってみましたよ。たかしが待つ真狩川の河川敷に。
たかし~、たかしはどこだ~たかし~…?
ちょwwwwwwwww orz(本日2回目)
埋まっとるやないけ。
真冬のたかしは寒空に歌声を響かせる事もなく、台座にはドカシー(ドカタ用ビニールシート)をかけられて、真狩川の河原でさみしそうに熱唱しておりました。そんなたかしを何とかサルベージしてやりたく突入を試みるも、積雪に阻まれて近付く事すらままならん。
仕方がないので、目一杯望遠してたかしのご尊顔をカメラに納めるのが精一杯(笑)。つか、台座に雪がかぶって、それはあたかも演歌歌手にありがちなスモークを焚いたステージのようでもありw
ここまで来てのリアル心のこり(笑)を胸に、トボトボと車へ戻るのでありました。
●お宿(Koikawa-onsen in Kombu-spa)
今宵のお宿はニセコ昆布温泉の「鯉川温泉旅館」。池のほとりに立つ古めかしい木造の一軒宿は好みでもあり、滝見の露天風呂を配した温泉の質も良いと思った。しかしながら、この時期のニセコはさすがにスキー客が多くて、なおかつ宿泊客だけならまだしもマイクロバスで周辺のホテルから入浴のみのスキー客が夜遅くまでバンバン送り込まれて来るために温泉が常に異常に混雑していたのには閉口した。まあ、スキーシーズンにスキーもしない客がニセコなんぞ泊まるほうが悪いのかもしれないが…
おかげで「温泉に浸かってのんびり」と言うこの旅のポイントを外してしまったのは幹事としても不徳の致すところでもあります。来年はリベンジしませう。
続く。