青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

木曽の作りし基礎

2010年08月22日 11時10分14秒 | 日常
  

と言う訳で、昨日は長野県は木曽郡上松町にある「赤沢自然休養林」に行って参りました。
木曽福島までは御嶽の方に行ったりする時に通るんですけど、こっちの方はなかなか来ないもんでね。
朝5時に家を出て、中央道相模湖IC~伊那IC。権兵衛峠を通ってR19中山道経由で上松まで4時間。適当に音楽聴いて流してれば余裕で着いてしまうあたり、高速1,000円の効果はでかいですな。ここまで来ると一応長野県ですが駐車場は中京圏のナンバーが多く、木曽路と言うのはだいぶ名古屋文化圏に毒されている感じはします(笑)。


自然休養林って何ぞや、って感じですが、ようは整備された植林地帯に散歩コースがいくつか設定されてて、森林浴をしたり川遊びをしたり木工細工が作れたりと親子がファミリーで一日お手軽アウトドアライフを満喫するには適当な感じの場所です。そんな場所に大人の男が一人と言うのは極めて場違いなのは言うまでもなく、なんか浮いてた感じはするのだがまあご愛嬌と言う事で(笑)。この歳で大きいカメラ持って川で水遊びをしているょぅι゛ょにレンズ向けたらそれこそとっ捕まっちまうよw


つーかね、別に森林浴にも水遊びにも興味はないんですが、わざわざこんな所まで来たのはどうして?っつーと、この赤沢自然休養林に保存されてる「木曽の林鉄」に乗りに来たんですよね。
この地域の主要産業と言えば何をおいても林業ですけど、旺盛な住宅着工に支えられて栄華を極めた高度経済成長の時代、木曽の山中を沢筋に沿って枝葉に分かれた「林鉄」が走っていたのですけれども、その林鉄を動態保存しているのがここ赤沢の「赤沢森林鉄道」。方々の林鉄がトラックにその役割を奪われる中、木曽の林鉄は日本最後の林鉄として昭和50年まで走り続けました。木材の運搬・集荷だけでなく、山奥の営林署に向かう職員や、街の学校に通う子供達のための通学列車「やまばと号」など通常の旅客列車の設定もあり、山奥の集落の足としても活躍した木曽の林鉄は、形としては林鉄だったんだろうけど実際は旅客扱いもする軽便鉄道だったのかなと。最盛期には国鉄上松駅を起点に木曽の山中に総延長80kmに亘る路線網を持っていた巨大な林鉄は、国の産業の発展に寄与したと言う事で平成20年めでたく産業文化遺産に認定されております。最近文化遺産マニアづいてるな。

   

林鉄として保存されているのは片道1.1Kmと短いながらも、きちんと軌道は整備されてますし標識も設置されております。いわゆるスイッチャーと呼ばれる小型の機関車の速度は歩みより速く走るよりは遅く、往時を偲ばせるには充分な雰囲気だけど、機関車は新製されたものだし客車は鋼製だし、昔と比べたら乗り心地はいいんだろうな。あ、機関車の上に付いてる長いパイプは、黒煙を除去するために付けた触媒みたいですね。
植林された森と赤沢の流れを見ながら、終点の丸山渡停車場までは10分程度。ここで機関車は機回し線を利用して前後の付け替えをし、乗客は一旦降りて記念撮影やら休憩やら。帰りはここで降りて歩いて行く人も多いですが、ここから乗車は出来ませんのであしからず。

 

とりあえず一往復乗ってから撮影してみたんですが、まあ記念写真的に撮る人はいても「鉄」な目線でガッツリ撮ってるのは自分だけ(笑)。三脚立ててカメラ構えているとみんな手を振って来るのでやりづらいw観光地のリフトとかにいる業者の人間かと思われてたらやだな(笑)。
ちなみに始発駅から丸山渡までは機関車がバック向きに付くので、撮影は丸山渡から始発駅方向の列車を狙うと良いでしょう。バック運転も嫌いじゃないけど、いくらなんでも消火器が殺風景だろとw

   

森林鉄道乗り場の隣には「森林鉄道記念館」があって、木曽の林鉄の歴史を学べるようになっている。入口横に当時の注意事項が書かれた掲示板があるのだが、乗客はあくまで木材のついでに乗せていただけであって「乗ってて事故が起こってもなんも保障せんからね」と言う事が書かれているのだが、昔の黒部峡谷鉄道とか明延鉱山のトロッコとかもみんなそうだったんだよね。大量の木材を積んで黒煙を上げながら鉄橋を渡る蒸気機関車の写真とか見ていると、本当に日本が力強く近代化して行った時代の推進者…と言った風情でカッコいいですよねえ。


その写真の主役である蒸気機関車はアメリカのボールドウィン社で製造され輸入されたもので、排煙の中から火の粉が飛び散らないようにとタマネギ型に改良された煙突が特徴的です。木曽の林鉄で使われた数多くの蒸気機関車のうち、このボールドウィン社製のものだけは今でも木曽の青空の下で余生を送っています。
天高く上げる煙に導かれ、山から切り出された木曽の木材は、文字通り日本の基礎を作って行った
のでしょうなあ。
コメント
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