青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

駅の歴史は、郷土の歴史。

2024年08月12日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(七夕の駅、軒端に揺れる@上滝駅)

願いを込めた8月の七夕が、駅舎の軒端に揺れる、上滝線の上滝駅。路線名称に選ばれるほどの駅名ですが、現在は無人駅。駅前に富山市のコミュニティバスが発着していて、小さな交通の結節点になっています。今でこそ富山市の一部となっている上滝の駅ですが、以前はこの駅の周辺が上新川郡大山町の中心地で、町役場などの行政施設はここ上滝に集まっていました。上新川郡は、神通川沿いの笹津を中心とするお隣の大沢野町と、常願寺川沿いの上滝を中心とするここ大山町の二町で構成されていましたが、平成の大合併に伴いどちらも富山市に編入され、上新川郡は消滅しています。かつての大山町は、常願寺川の上流部の有峰湖から薬師岳を超えて黒部川源流部の三俣蓮華岳まで、北アルプスを挟んで長野県大町市と接する広大な面積を誇っていました。

「七夕」と書くからには、7月に行われるもの・・・と思いがちですが、意外にも7月にやらない七夕というものも結構あります。仙台がそうだし、高岡も8月。これは、明治以降の旧暦/新暦(グレゴリオ暦)の「7月7日」の解釈の分かれによるものらしい。個人的には、新暦の七夕=現在の7月7日の七夕はだいたい梅雨の真っただ中なので、天の川という感じにもならないから、旧暦の七夕(8月開催)の方がいいんじゃないかと思ったりもしますがいかがでしょうね。朝のうちだけの、少しひんやりした空気の待合室に、風鈴が揺れます。

かつては交換駅だったであろう島式ホームは、今は片面一線だけの使用に留まる上滝の駅。草生した夏の陽射しのホームに、コントラスト強めのかぼちゃ色の電車がのっそりと進入してくるのも、富山地鉄の夏だなあ・・・という感じがする。ここ上滝に、富山県営鉄道が線路を敷いたのは1921年(大正10年)のこと。戦前~戦後まもなくまでの上滝駅は、常願寺川の支流である熊野川の上流にあった黒鉛の鉱山(千野谷黒鉛鉱山)で採掘された天然の黒鉛を積み出す拠点駅だったらしく、貨物取扱いの数量もそれなりのものがあったそうです。黒鉛は、貨車で三日市(現在の黒部駅)に運ばれて精錬・加工され、アルミニウムの電極分解(電気精錬)に使われました。アルミニウムの製造工程というのは、原料のボーキサイトを苛性ソーダで溶かして、そこから「アルミナ」というアルミの原料成分を取り出すところから始まるのだけど、その苛性ソーダの溶液に電気を通してアルミナを吸着させる「電極」に黒鉛(黒鉛電極)が使われるのだそうで・・・

アルミニウムの精錬と言えば、三協立山(高岡市)やYKKap(黒部市)を筆頭に、アルミサッシを中心とした大手建材メーカーが集中する富山の主要産業ですが、そんな地場産業の黎明期を下支えするマテリアルの一部が、こんな小さな駅から積み出されていたとは感慨深いものがあって。そう言えば、少し昔の貨物列車には、北陸方面の常備駅を記した「苛性ソーダ」専用のタンク車がよく繋がれていましたけど、こういった用途に使われているんだなあ・・・といまさらながらに膝を打つ。特に、北陸信越方面はいわゆる化学系の会社の工場が多くて、黒井の信越化学、二本木の日本曹達、速星の日産化学工業などなど、鉄道貨物がお好きな方には「たまらない」会社ばかり。高速道路の発達による物流の改善と、メーカーによる生産工場の集約化によって、かつての「バケガク街道」であった北陸信越地区の多くの工場が、今は鉄道貨物から離れるか、またはその取扱数量を減らしています。

鉄道の歴史から郷土が見える、上滝の駅です。

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