青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

北海道の味

2008年08月16日 23時18分23秒 | 日常
最近周囲が北海道付いているものだから、自分も行ってみようかなあなんて思いながら時刻表だけパラパラと眺めているただ暑いだけの午後。せめて気分だけでも北海道っぽく、と言う事で今日の夕飯は北海道名物の「豚丼」を作ってみました。

豚丼と言うのももうメジャーになったと思うのだけど、帯広の名物料理で、分厚い豚肉のロースを甘辛い味のタレで炭火焼きにしたもの。シンプルですが、タレの焦げた香ばしい風味とロース肉の脂が混ざったところをモリモリと食うのが魅力の食べもの、と言えるのでしょうか。最近は、豚丼のタレも通販であったりそこそこ品揃えの良いスーパーなら売ってますが、一回の豚丼のためにタレを探しに行くのは面倒臭いので、我流の豚丼の作り方。超適当だが、結構旨いのです。

豚肉はショウガ焼き用がよろしいと思うのだけど、ショウガ焼き用はスーパー行くと意外ときれいに薄く切られた肉が多いので、本格的にやるなら肩ロースをカタマリで買って来て厚めにカットするのが望ましいです。安く済ませるなら切り落としでもいいかもしれませんが、いずれにしろ脂身は多めでお願いしたいところ。脂身のない豚肉なんて食ってもつまらんだろ。あ、調理に入る前にご飯はいつもより水少なめで炊き上げておいてください。調理時間が短いのでね。

まずフライパンを強火で熱し、肉は焼かずに大さじ2杯くらいの砂糖をいきなりフライパンの上にぶちまけます。しばらくすると、砂糖が溶けて飴状になって来ますから、少し火から離し気味に砂糖を全部溶かして下さい。少し砂糖飴が茶色くなって来たら、カップ4分の1くらいの水を一気にフライパンに注ぎ入れる。こん時物凄くはねますので注意して下さいね。自分はこれで火傷しましたからw
この水飴状態になって沸騰している所にしょうゆ・お酒・みりんをほぼ同量(量は適当でw)で加え、煮詰めて半分くらいになったところに豚肉を一気に投入。さらにタレを煮詰めながら豚肉に火を通して行きます。タレが充分煮詰まって、豚肉に馴染んであぶくだけになったところで火を弱め、少し焦げ目が出るくらいまで焼いて完成。強火にしっ放しだと一気に丸焦げになりますから注意。これを炊いておいたご飯の上にドッカドカとかけ、ゴマと七味唐辛子をかけて完成です。付け合わせに甘いタクアンでもあれば完璧。

こんな簡単な作り方で、結構帯広のあの豚丼の味に近くなるから驚き。
砂糖を火にかけて焦がす事がポイントだね。この一仕事でタレの味が濃厚な感じになってるので、タレと豚の脂が混じったメシを食べてるだけでも充分美味いよw
肉も少し焦がし気味に焼くと、ニセ炭火焼風味になってさらに美味いんだが。

ご飯がすすみますですよ。
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オリオンズデー

2008年08月14日 22時59分03秒 | 日常
最近、西武の復刻版西鉄ユニじゃないけど、ノスタルジックな企画モノも増えている日本のプロ野球ですが、昨日から千葉マリンで始まったソフトバンク三連戦はロッテがオリオンズ時代のオールドユニフォームを着て戦っている。
自分がロッテファンである、と言うことを意識した頃の川崎時代のユニフォームなので非常に感慨深いのだが、やはり堀であるとか小宮山であるとか実着経験のある選手の似合い振りにはかないませんな。もう15年も前の話なので。

試合内容は結構一方的なバカ試合ではあったが、スタンドもそんな「川崎的」な空気を読んでか、8回裏になるとライトスタンドから流れて来るオリオンズオールディーズにしびれる。ディアズの応援歌「魔法使いサリー」、横田の応援歌だった「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、平井のワッショイ、愛甲の走れコータロー。それに呼応した9回表の鷹応援団も、佐々木誠に岸川に若井に門田、最後は山本和範の応援歌まで流してくれた。雰囲気としてはすっかりロッテ-南海。スタンドも協力した粋な演出でありました。

こう言うオールディーズ風応援って、それこそ秋の草薙でやってたパ・リーグ東西対抗くらいしかなかったんだけども、東西対抗もなくなっちゃいましたからね。
試合はともかくかなり盛り上がったスタンドではなかったろうか。
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私の音楽的変遷~洋楽編~

2008年08月12日 23時19分09秒 | 日常
表題にもある通り、最近は80年代アイドルポップスにカブれている当ブログ。
じゃあ実際当時はどうだったのよ、と言う風に思い返してみると実際街にアイドルポップスが溢れていたのは小学生~中学生初期までだったんだよねえ。今になって思えば、もう少ししっかり見ていればと思うことしきりなんだけど(笑)。

アイドル全盛=ベストテンの全盛期と言うくくりでいいと思うんだけど、ベストテンが全盛(久米)爛熟(コニタン)衰退(松下)と世の中は流れ、それに比する形でアイドルは廃れ、中学生の半ばくらいから周りは「音楽の自分探し」の旅を始めたような感じがします。アイドルが廃れた後は「イカ天」に代表されるようなバンドブームだったんで、だいたいがそっち方面に流れてたような…ところで、「続いてはこのバンドだいっ!」の相原勇さん、お元気ですか。曙とはどうなったんでしょうか。まあどうもなってないと思うのだけど。会った人は「宮尾すすむと日本の社長」が生きてるかどうかは聞いておいて欲しいw

それこそおニャン子だ光GENJIだチェッカーズだと言ってた連中がいきなりBOØWYとかブルーハーツとかジュンスカとか聞き始めたと言うのも今思えば滑稽っちゃ滑稽(タモリ風に)ではあるんだけど、自分はその頃それほど音楽的なものに興味を示さず、専ら競馬に傾倒していったのであまり多くを語る資格はありません。「バンドやろうぜ」とか「PATI☆PATI」の中で競馬ブック読んでたんで。週末のロマンは月曜日に始まってるっちゅーの。

印象に残っているのは、まーったくそんな方面に縁のなさそうな友人がいきなり高校に入ると同時にエレキギターを担いで学校にやって来た事です(笑)。確かに「ヨットパーカーを着て、ギターをかついで登校」と言うのがある意味ファッションの一つでもあったかもしれないが、「お前高校デビューか」と罵った記憶が。ただ、そんな彼もしっかり高校の三年生になるといっぱしのギターキッズ(死語だな)になってまして、自分にいらないアコギを一本渡してくれて弾き方を教わったりもしてました。そのおかげで今でもすこーしだけギターが弾けたりするのですが。
高校になると周りは何故かHR/HMブームで、周りで広げられる雑誌も「YOUNG GUITAR」とか「BURRN!」に変わりました。個人的に「BURRN!」って世界で一番表紙の胸毛率が高い雑誌だと思うんですがどんなもんでしょ。閑話休題。それこそメガデスとかメタリカとかパンテラとかAC/DCだのガンズだのが教室で掛かりまくっていると言う中、彼は一人「AOR」と言うジャンルに傾倒しその良さをとくとくと語る横で相変わらず自分は競馬ブックを読んでいました。アメリカオンラインじゃないよ。それはAOLだ。
AORって何というのは説明がし辛いが、HR/HMがディストーション利きまくりのラウド&デス&シャウトなプレイだとするなら、AORはメロディアスでソフトな調子と言うか…フュージョンでもないと思うのだけどそんな感じです。高校生のオツムで聞くなら、HR/HMの例えばパンテラの「鎌首」とか言われると「何だか分からんが凄いな!」という感じに惹かれてしまうのは何となく分かるんだよね。インパクト勝負。それに引き換えAORって美しいのかもしれないけどナンパな感じしますし。うーん、説明になってねえなw書いててここの読者層と全く合致してないと思うしw

彼が大好きだったのがシカゴとTOTO。どちらも代表的なAORバンドで、今でこそ何となくそっち方面も分からんでもないが、当時は「スティーヴ・ルカサー奏法」にチャレンジして「できねえ~!」とか言われてもチンプンカンプンでしたねえ。マイク・ポーカロとか言われても「アブクマ・ポーロ?」って感じだったし。今思うと音楽的には相当渋い趣味だったんだね。一応自分も洋楽聴いてた時期はあったんだけど、一番いいなあと思ったのがヴァン・ヘイレンとジプシー・キングスだったんでw全然ジャンルが合わん。

先日惜しまれつつ解散したTOTOの「Africa」がFMで流れて来た。
聞いていて、サビの部分でそう言えばさんざっぱら彼に聞かされたのがこの曲だった事を思い出した。
このくらいの歳になって聞いてみて、やっとなかなかいい感じだなと思えるようになりましたけど。

今ではどこで何をしてるかさっぱり分からない友人に15年ほど遅れて、TOTOのCDでも買ってみようかなと思う今日この頃。
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アイドル残酷物語

2008年08月11日 23時05分17秒 | 日常
キョンキョンがアイドル復帰(日刊スポーツ) - goo ニュース

>ライブは「艶姿ナミダ娘」でスタート。
>新曲「小泉今日子はブギウギブギ」の初披露をへて、
>ラスト5曲目の「なんてったってアイドル」で、盛り上がりのピークを迎えた。

サマソニ行った香具師はこれだけで元取れたんじゃないすかw
まあ、サマソニ行くような人のニーズとは合ってないのかも知れないけど(笑)。

5曲も歌ったんだ~。うーん、あとの2曲は何を歌ったんだろうね。
個人的には「迷宮のアンドローラ」と「素敵なラブリー・ボーイ」がいいんですけど。
つか、この2曲初期過ぎてあんま知られてないよね。「素敵なラブリー・ボーイ」はシングル2曲目でしかも林寛子のカバーだし。元々デビュー曲の「私の16歳」も2曲目もカバーだったって事実は小泉今日子、実は余りアイドルとしては期待されていなかった説を個人的には唱えたいのであるが(誰に?)。普通アイドル売り出すのにはそれなりにプロダクションもレコード会社もチームを組むと思うのだけどなあ。一応出来レースとは言えスタ誕優勝者なんだし。ちなみに小泉楽曲では康珍化が作詞してたあたりまでの作品が好きですね。私は。

凄く残酷な話をすれば、元アイドルがアイドル時代の曲を歌う=離婚してるか旦那の稼ぎが悪いか、と言う図式はだいたいの人に当てはまると思うのだがいかに。ご本人様の必死メーターがレッドゾーンに入っている事の証拠でもあるのだが…

まあ昨日アイドル小泉今日子の復活を生で拝めた人は、永瀬正敏GJと心で感謝しておいたほうがよさそうだ(笑)。
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どこの誰だか知らないけれど

2008年08月10日 23時30分01秒 | 日常
このブログ、最近では一日で約100人の人が見ているらしい。
いったいどんな人が見ているのか、私の知らない愛読者の方がいたら是非一報を(笑)。

つか、このgooのブログなんだけど、一記事に画像が一枚までと言うのが最近やけに不満。乗り換えちまおうかなと思っているのだが、そうなるとこれまでの828回分は置き去りかと思うともったいなくもあり。要するにgooの担当者ここを見てたら一記事にせめて三つくらいは画像を貼れるようにしろやと言う訳でありますが(笑)。

まあ家にいると嫌でも五輪の話題を目にするので、今日はこんな映像を見ていた。

恋人よ - 五輪真弓


ベタやな~w
つか、この歌の「♪来る日の寒さを物語り~」の部分って物凄い音程取るの難しくないですか。
カラオケで成功した事一度もないんですけど。
コメント (2)
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