青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

賞金王夜話

2010年12月23日 17時51分23秒 | 日常

(画像:クリスマスだよ賞金王)

今年は有馬と被るから決定戦は23日なんすね。最近はSGの優勝戦でもろくすっぽ中継なんか見てなかったんだけど、今日はたまたま家にいたんでテレビ観戦してました。メンツを眺めてさすがに知らない選手はいなかったけど、それこそアタマのてっぺんから爪先までフネにどっぷり漬かっていたあの頃と比べれば石野とか岡崎なんてペーペーもいいとこだったから時間は流れてますな。どちらかと言えば石野の父ちゃんの石野三好のほうが馴染みがあるっつ~か(笑)。あと優勝戦のファンファーレっていつ変わったんでしょう?全然知らんかったよ。

それこそ賞金王の頃になると住之江泊まり込みで遊んでいた時代を思うと、窓を開ければ朝からボートの音が聞こえたホテル阪神の部屋が懐かしく思い出されます。早朝の特観を競り合う並びの寒さとか、まだ空の明け切らぬ護国神社の交差点をコートに首丸めてみんなで歩いた日々と言うのは月並みながら楽しい思い出の舞台だったねえ。展示が済んで思い思いに舟券仕込んで、あの物悲しい住之江の締め切りメロディを聞きながら決定戦のファンファーレを待つ時間の、あの軽い疲れと眠気と緊張感は忘れられません。対岸のオッズ板の票数が着々と積み上がってベルが鳴りやおら「さ、全国の皆様の票数が確定いたしました」で始まる市岡アナの落ち着いた喋りで1億円バトルは始まるんだよな~。まあ色々レースに思い出はあるけれど、いつだったか山崎智也がFこいて全員「このアホ死にくされ!」とか「だから群馬野郎は!」とか吠えておきながらみんな智也から腰抜けるほど買ってて、あれは大爆笑したなあ(笑)。

結局昔語りばかりになってしまうのが情けないといえば情けないのだが、そういや賞金王ってあんまり儲かって帰った記憶は無い。基本的にここまで来ちゃうと予想と言うより好きな選手とか願望とかだったからなあ、まあグランプリってのはそんなもんだけど。フネからクリスマスプレゼント貰ったのは太田和美がセンターからマクって熊谷直樹が付いて来た1998年と平和島で市川がマクった2000年くらいでしょうか。ハギーさんがプレイバックした2003年の賞金王は松井の家庭訪問によって濱野谷70m起こし→1Mまで持たずみたいな展開だったと思うのだが、はからずも今年は楽イン決定であの時の忘れ物を取り返しに行った筈の濱野谷、なぜか6枠岡崎の牽制にビビってフネ向けるのは早いわ、起こしはトチるわでスリットでばっちり1艇身遅れ(笑)。決定戦のインのスタートコンマ26って焼き土下座ですよホントに。ただでさえ強い住之江のインコースに二回座って二回ともこんなタコスタートではもう一生金ヘル無理だから、せめて江戸川で賞金王開催出来るように誘致活動した方がいいのでわ。インから買って2コースからジカマクりされるほどせつねえ事はないっすよね。

そんな事をつらつら思いながら、道中は中島→今垣で走ってたんでこりゃ三国大歓喜だなと。東尋坊で靴揃える人も越前ガニ買い占めて、山中か芦原か片山津あたりで大宴会だなと思ったところで湯川の突っ込み(笑)。湯川は今度三国に斡旋される時には気をつけた方がいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

折り目は正しく

2010年12月21日 23時36分00秒 | 日常
三日三晩上がりっぱなしだった息子の熱もようやく下がりまして、夜もまあいつも通りスヤスヤと寝てくれたおかげで今日は溜まっていた年賀状一気書き。年末気分が全然しないなんて言ってても時間は刻々と過ぎるんで、とりあえずやれる事からやってかないとね。毎年毎年出す枚数が増えているので宛名を書くのは正直手が疲れるのだが、最近職場でもPCばかりで字を書く機会が減少しているからなあ…だんだん字が下手になってるような気がする。年賀状の宛名書きのためにプリンタでも買うかなと思って先日電気屋行って見て来たんだけど、よく考えたら年イチの行事のみで買うのも置き場所に困りそうだしいいやって事で。インク代も結構高いし。と言う訳で年賀状届く方、字が下手だったらごめんなさい(笑)。

日本郵便の年賀状CM「1月1日の 貴方の心にいたいから」ってのはなかなかいいフレーズだと思いますね。別にJPの回しモノじゃないけど、夫婦で120枚と言うのは最近は儀礼的なものは簡略化する傾向の中で出している方なのかなと。個人的には年賀状出すのって割合嫌いじゃなかったりするしね。と言うか、歳を取る毎に折り目折り目の事ってやっとかないと気持ち悪く感じないっすか?(笑)。「やらないで後々言われたり後悔するんだったらとりあえずやっといた方が」と言うのはいかにも日本人らしい感覚なのだが…初詣に始まって厄払いとか七五三とか、みんなそうだよね(笑)。

どうでもいいが最近PEPSIのCMに出てる宇多田ヒカルがかわいく見えてしょうがないんだが。
全米進出とか抜かしてた時は下ぶくれしてて病み病みの顔だったのになあ。
ウソみたいだろ?バツイチなんだぜあれで…と思わず上杉和也になってしまうのであるが。
あのダッフルコートにミニスカートは反則。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がんばれ、長男

2010年12月19日 21時21分19秒 | 日常
あっと言う間に今年もあと十日になりましたが、週末から忘年会+親戚の集まり+子供が大風邪ひいて熱出して+でも年賀状も書かなけりゃいけないしとイベントの量がハンパない事になってまして、加えて自分の仕事は何だか全く片付かなく、どうやったら年末を迎えられるのかイマイチ良く分からない状況に陥っております。今週はそんな感じなので富士山画像はありません(笑)

あ~、それにしても今子供が熱でウンウンとうなされているのだが、何だかせつない声で泣き叫ぶので親としても胸が痛い。熱を下げるにも大した事してやれないし、所詮男親なんてものは無力なものである。柄にもなくがんばれ、長男などと思ってみるのであるが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の基礎

2010年12月14日 22時05分52秒 | 日常

(画像:上総の国の地場産業)

てな訳で日曜日は上総湊界隈まで出掛けていたのだが、ふと思い出してとある店に立ち寄ってみる。以前ネットでツラツラと房総関連の情報を漁ってた時に見付けて行ってみようと思っていた「宮醤油店」である。千葉県と言えば野田のキッコーマン、銚子のヤマサ&ヒゲタと日本を代表する醤油メーカー発祥の地。今もって日本の醤油の生産量のトップの座をキープしているのだが、昔はこのような小さな町の蔵元がちょこちょこと醤油を生産していたらしい。ほとんどが前述のような大手メーカーにそのシェアを奪われて姿を消す中、ここ富津市の佐貫町で天保年間の創業以来170年余に亘って現在ものれんを守る老舗の醤油店であります。場所で言うと上総湊のお隣佐貫町のR127とR465の交点、佐貫町の駅から駅前通りをまっすぐ行った場所にあります。


その風合いは東京湾の潮風にいい感じで侘びて、醤油の色に染まり切ったような焦げ茶色の建物の佇まいは風格十分。明治25年に建てられたものだそうな。国の登録有形文化財にも指定されているその建物は、桁行5間、梁間3間の木造2階建。商号である「たまさ醤油」の大のれんに抜かれた意匠は、醤油を絞るもろみ袋を上から圧搾した図柄を「玉」の字に当てはめた凝ったデザインですねえ。この手の産業系文化財がことに好きな私、その建物の周りを思わずウロウロして写真を撮りまくってしまいました(笑)。


重い引き戸をガラガラっと開けて店内へ。大量生産にて安価な醤油が幅を利かす中、未だにこの「宮醤油店」では木の樽を使って気長に一夏も二夏も越させながらゆっくりと昔ながらの醤油造りを続けているそうな。長い事使われた醤油蔵には、醤油を発酵させる酵母が住みついているらしく、その酵母の働きに任せた天然醸造。ゆえに醤油のデキは樽ごとに違うらしい。折しも世の中お歳暮シーズンと言う事で、この日も朝から大口の発送を頼む近所の人がちらほら。この建物の風合いといい、作り手のこだわりといい、小規模ながらこの富津界隈ではそれなりのブランド商品のようで、「アド街ック天国」あたりで富津が紹介されたなら確実に上位ランクに入選するであろうなあ、とテレ東マニアらしい目線で店内を物色。どうでもいいけど「アド街」ではそうでもないのになぜ「モヤさま」の大江アナは俺の嫁にしたい程愛らしいのでしょうか(笑)。


所狭しと並べられた醤油瓶の中から選びに選びぬいて「かずさむらさき丸大豆しょうゆ(JAS特級)」1リットル580円を購入。醤油なんて近所のスーパー行けば1リットルが安売りで158円くらいですから、高級醤油ですねえ。まあでも日本人の味覚の基礎ってのは醤油味ですから、たまにはこだわってみるのもいいのかもしれません。まだ台所の戸棚に「キッコーマン丸大豆しょうゆ」の買い置きが残っているので封は開けてませんが、同じ「丸大豆」でもどんだけ違うのか試してみたいと思います。よっぽど美味かったらまた買いに来るかもな。近いし。色々掘り下げて調べてみたら電話すれば工場見学も出来るらしい。この手の社会科見学にも興味があるw

てか自分で書いてから「アド街」のHP見たら富津って紹介されてたのね(笑)。
2010年4月24日に放送されたらしい。
1位は鋸山、2位はマザー牧場、3位の潮干狩りに続いて「宮醤油」は堂々4位!
東京湾観音や竹岡式ラーメンより上かよ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終章近きベイキング

2010年12月13日 22時15分46秒 | 日常

(画像:霞富士 東京湾に スカ色を)

先週に引き続き朝早く起きてちょろっと出掛けて来たのだが、今月は「富士山と○○」と言うのをマイテーマとしているので夜明け前のアクアラインを通って房総の方に抜けてみた。房総じゃ富士山と反対側じゃねえかって?いやいや、房総でも場所を選べば東京湾越しの富士が見えるんですよ。ってな訳で佐貫町~上総湊間の高台から富士山をバックに走る内房線のスカ色こと113系なんぞを。先週とは違って富士山から100kmくらい遠くなっているのと、なんか予報よりも冷え込まなくて空気のモヤモヤが抜けずに富士のクリア度合いはイマイチ。房総では数少ない富士見のお立ち台だけに、三々五々集まって来た同好の士と「イマイチっすね」なんて談笑しながら待つ事しばし、国鉄型のモーター音を響かせて初冬の東京湾岸を往く113系。個人的にはこの列車、富浦の夏合宿を思い出しますなあ~(笑)。千葉駅でみんなで集まって、万葉軒の弁当を買って乗り込む夏の内房線。ボックス席で開くのは焼き蛤弁当か菜の花弁当かって感じですが、私はトンカツ弁当が好きでした。安い割にボリュームあっていいんですよ万葉軒のトンカツ弁当って。


さっきの113系が館山から返して来る間に、ちょっと場所を移して上総湊へ。河口部に架橋されたトラス&ガーターの湊川橋梁は海の上を渡るような趣で、ここも内房線の名撮影地のひとつ。遥か東京湾の向こうに横浜のランドマークタワーを望みつつ、「特急さざなみ」が通過して行きます。館山まで高速が開通し、すっかり劣勢に立たされたこの特急、残念ながらこの12月改正で減便されてしまいました。木更津過ぎたらほぼ各停、単線の交換待ちが多く所要時間が縮められないと言うのがどうしてもネックなんでしょうなあ。値段も時間もバスに対しては分が悪すぎますからねえ。銚子行きの「特急しおさい」も成東過ぎたらほぼ各停、単線の交換待ちが多く所要時間が縮められないと言う病巣は同じ。某労働組合のせいでカネが投入されなかった結果なんだろうが、根は深いものがあります。


返しを待って佐貫町付近のストレートへ。かつては横須賀線の久里浜から総武内房と東京湾岸をぐるりと囲むようにその足を延ばしていたこの車両は、まさに湾岸の王者でありました。房総ではまだまだ現役だと思いきや、最近は東海道や高崎線、宇都宮線から転属して来た211系だの209系だのに押されてその活躍の場は極端に狭まりつつあります。ウジャウジャいた時は見向きもされなかったものにもいずれ終わりは来るって事なんですかね。意外にもこのスカ色だけを狙ってる人もいるみたいで、着実に「終わりの気配」を感じ取ったファンの撮りの対象になっているようです。
昨日は堂々の8両編成で館山~千葉の往復に付いていましたが、木更津から先のこの区間ではさすがに空気輸送かな、と言った感。色のない初冬の里山、ススキ光る半逆光の中を、千葉に向けて上って行きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする