青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

渋7新緑絵巻

2018年05月11日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(大盛況@渋沢5号踏切)

GW、好天、新緑、午前中の良光線、引退間際の名車両。という事で、朝もはよからこどもの日の渋沢5号は三脚の林なのであった。渋沢5号のインカーブは古くからの撮影地であることは確かですが、ここまで集まるもんかねえと言う気はしないでもない。豊田の189系ラストが終わった勢とかが次のターゲットとして参戦してるんだろうけど、とてもじゃないですがまったりと撮影する雰囲気でもないので、場所を移動することにします。


という訳でやって来ました渋沢7号。渋沢6号7号は小田急線きっての秘境である。R246からすぐの場所ではあるけれども、四十八瀬に隔てられた場所にあり、訪れる人はまれ。それだけに、この時期素晴らしい新緑に包まれている。踏切脇の農家さんが向こうの畑と行き来する他は、僅かに僅かに我々のようなマニアと山歩きが好きな人が使うのみの、小さな小さな人道踏切です。


ここを訪れるために頼りになるのは踏切脇の農家さんが四十八瀬川に渡している仮橋なのだが、この日はその仮橋も外されていた。そのため四十八瀬川を渡渉してやって来たのだが、もともとここで撮るためにゴム長を履いて来たといっても過言ではない。渋7を見下ろす後背地の斜面で構図を整理がてら何枚か試し撮り。1000系の幕車はいいものだ。




GSEの返しを待っていると、頭高山の方から一人の同業者の方が。山からのアプローチとは珍しい。渋沢駅の南側にある千村台の住宅地の方から山を下りて来ることも出来るそうだ。簡単にご挨拶をさせていただいてGSEを。鮮烈なローズバーミリオンの車体が、四十八瀬の新緑の中でより一層映えます。グリーンサラダにトマトと青空を添えて。




第二菖蒲トンネルを抜けて、新緑のステージにLSEのはこね4号がやって来た。噂では、維持管理が面倒なので、使う人がほぼいないこの踏切を小田急が廃止したがっているとかなんとか…確かに、一日に何百本と列車が通過する踏切ではあるけれども、誰がために鐘は鳴る、という印象は拭えない。拭えないんだけど、こういう「あらかたの用事を終えたもの」をバッタバッタと切って捨てて来たのが平成の30年ではなかったか。何でも合理化と言えば許されるなんて、そんな世の中つまらんですわ。

現役としては残り少ないLSEの姿と、行く末の定まらない踏切の姿。
未来に残そうLSE、未来に残そう渋沢7号。小田急きっての癒しの空間です。
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LSE最後の春

2018年05月08日 22時43分11秒 | 小田急電鉄

(晩春の赤い絨毯@渋沢~新松田間)

非常に天気の良いGWでしたね。とはいえアタクシはその前の週に飯山線界隈で少し早めのGWを消化していることもあって大人しいもんでした。そもそも7日休みがあったとは言えそのうちの4日は普通の土日だったのだから大した話ではなかった。大半の時間を家族サービスに充当し、親に孫を会わせたり、買い物をしたりと至って普通の過ごし方、僅かに5日の朝から午前中だけ時間があったのでちょっくら四十八瀬界隈まで行って来れたんだけど、菖蒲の棚田ではこの時期恒例のクリムゾンクローバーの花畑が色付いていました。


GWの3~5日だけGSEで運転された臨時の「あしがら61号」。新宿6:20発で湯本7:48着という早起き列車。まあ日の長い時期だし行楽期だし、運行する価値は十分にある。ただ、「あしがら」の名前を復活させてくれたのは嬉しいけれど、マニア的にはLSEであしがら幕出して運行して初めて意味があるのではないかという気がしないでもない。GSEではあしがら感がまるでない。もちろん、一般ユーザーに対する需要喚起であることは論を待たない事は百も承知ですが(笑)。


小田原発モーニングウェイ充当のEXE10連送り込み。たぶんおそらくロマ界隈の被写体人気ではかなりな地味キャラのEXE一般色ですが、半逆光だと打ち出しの真鍮みたいな色味が出て来て悪くない。ここの構図は上空にかかる高圧線が実に難儀で、もうちっと線路に寄ってアングルを花寄せにすれば高圧線を切る事も可能なんだけども、青空にすっきり稜線を描く丹沢の山並みも美しいのでそのままで。


朝早く出て来た…にも関わらず、本命を前に四十八瀬界隈はたいそうな人出。特に渋沢5号のインカーブ側は三脚の林で、さすがGWと言うべきか。おそらく9時頃の上りLSE狙いと思われるのだが、そのために早い人間では3時間近く前から座を組んでいる。そこら中に路駐している車がだいたい他県ナンバーと言うあたり、記念撮影勢も多いのでしょう。1~2人でまったり撮っていたクリムゾンクローバーの構図にもだんだん人が集まり始め、割って入って来る隣の人間との間隔がどうにも鬱陶しいので場所移動。やや開いた位置からLSEのはこね1号を。


早ければこの夏にも落ちるのではないか?などと不穏な話の尽きない最後のLSEですが、海老名車両基地に隣接した場所へ建設が発表された「小田急ロマンスカーミュージアム(仮称)」の2021年度の開業に向け、何らかの形で保存される事が決定したのはまずは何よりの朗報でありましょう。

四十八瀬の最後の春を軽やかに、オレンジバーミリオンが駆け抜けます。
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飯山線歳時記・春

2018年05月06日 17時00分00秒 | 飯山線

(村人の暮らしとともに@野沢温泉麻釜)

森宮の駅前でマルヨしたは良いが、さすがに北信の朝はまだ少し肌寒かった。毛布はかぶっていたのだけど、体が冷えてしまったので結局朝も野沢温泉に温まりに行く。麻釜では、朝もはよから村の人が山菜を茹でていた。温泉で茹でると、アクもよく抜けて柔らかく仕上がるんだそうな。秋になると、野沢菜漬けにする葉っぱも温泉で洗ってるのを見る。野沢菜の茎のシャキシャキしたのが好き。葉っぱは葉っぱでご飯を巻いて食べるのが好き。


朝湯は今日も霊泉真湯。泉質は単純硫黄泉、痔疾など温めるとよい病に効能。誰も入ってない一番風呂は鬼のように熱かった。人生の終わりが見えた頃、隠居するんだったら野沢温泉辺りがいいかなと思う。温泉入って野沢菜でビールでも飲みながら飯山線撮って暮らすとかよさげ。もうその頃は飯山線もハイブリッド気動車だろうか。最近はインバウンド需要だけでなく、野沢に移住してくる外国人も増加しているそうだ。真湯を出る時、外国人の若い男性が普通に風呂に入りに来た。そういう時代らしい。


桑名川のバイパス旧道俯瞰から162D。R403の市川橋のたもとから登って行くのだが、結構崖にへばりついている道なのでそこそこ眺望は効く。上桑名川の駅手前、照岡の集落の裏の森が鮮やかな春の色になっていました。そう言えば去年の春にこの辺りの裏山が大規模な土砂崩れを起こして、土石流の危険があるとかで長いこと飯山線が運休になっていたことがありましたねえ。雪解け水をたっぷり含んだ土壌は滑りやすい。


列車は上桑名川の駅を出て、千曲川に沿いながら戸狩へ。桑名川のバイパス旧道俯瞰、おそらく冬季は除雪が来ないと思われるが、こういうトコにカンジキ履きで入って雪に沈む北信の里を俯瞰したら楽しいんだろうなあと思う。上向いたらすっごい崖なんで雪崩のリスクは相当だと思われるが…(笑)。


森宮始発の162Dは、戸狩で折り返して163Dへ。上境の駅先の踏切で。集落の外れの気持ちの良いインカーブ、里山の森の中でカミンズエンジンの軽やかなサウンドを聞きながら。うーん、ここは123D飯山色2連でやれたら結構最高じゃないかな?


振り返って、163Dをもうワンショット。北信の人々は、冬が嫌だ、雪が嫌だと言う。罪深き都会の人は、それを風趣として喜ぶ。それにはどちらにも理があって、日常と非日常のないものねだり。隣の芝生の色の話なのでありましょう。ただ一つ確かなことは、冬の厳しさがあるから、北信の春はこれほどまでに美しいんじゃないかなあ。

「何回むかえても春はいいねぇ」と
ひとり暮らしのおばあさんは笑った
誰もが嬉しい春だから
(滝沢豊満氏著「ふるさと飯山線」より)

押し寄せるような新緑のグラデーションの中を、飯山色のキハが去って行きます。
飯山線春の歳時記、これにて結びの一枚。
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七ケ巻今昔

2018年05月05日 17時00分00秒 | 飯山線

(北信の夜明け@森宮野原駅)

結局この日は飯山線の最終列車と一緒に、森宮野原の駅前でクルマルヨ。久しぶりの車中泊だったんだが、まあ寝れたのか寝れないのかわかんない程度の睡眠。結論から言えば布団の上で寝たい(笑)。ただ、どうせ宿に泊まったって夜遅くまで撮影してるし朝早くから撮影してるしでほっとんど宿になんていないのだろうから、カネが勿体ないよね。車中泊を快適に過ごすグッズの仕込みが大切だと悟った朝5時前の森宮野原で定点観測。明け始めた空の下、今日も一日が始まります。


スノーセットの脇の残雪。4月中旬とは言え、早朝は10度くらいまで下がる。それでも、この地方の雪解けはGW頃であったはずなので、季節の移ろいは相当に速い。速いと同時に、昔に比して季節ごとの寒暖の差は激しく、降り出せば風雪は暴力的であり、自然のもたらす優しさみたいなものがどんどんとなくなって行ったのが平成の時代であった。


地元氏に教えてもらったモーターランド俯瞰から。今日もいい天気である。眼下に横たう千曲の流れ、関田山塊にブナ林の芽吹く季節。さわやかな朝の空気を大きく吸い込んでいたら、背後の森でガサガサっと音がした。サルか?シカか?あまりの暖かさに動き始めたクマだったらやだなあ。真面目に北海道とか、撮り鉄は平気でクマの出てくるような場所行きますもんね。自分だったらちょっとおっかなくて待ってらんないよ(笑)。


朝の162Dは桑名川駅の対岸の七ヶ巻から。西大滝ダムがあるせいで、この辺りの千曲川はダム湖と言ってもいいほどに相当に流れが緩い。眠気の頭に飛び込んでくるのは、はっと目を覚ますような木々の若葉の色。飯山色が、水鳥が泳ぐ岸辺を行く。


萌ゆる緑を眺めながらゆるゆるとスピードを落とす列車は、間もなく桑名川の駅。ここで、長野始発の123Dと交換します。臨時の「おいこっと」運行時以外、桑名川で交換が行われるのは朝の2本だけ。桑名川の交換設備を潰して戸狩~森宮を1閉塞にしてもダイヤが組めないという訳でもなさそうだけど、ここに交換設備を残しているのは、冬季の除雪作業の兼ね合いだろうか。


七ケ巻の渡し場跡。船頭小屋と鉄塔が残る。七ケ巻の渡しは、A字型の鉄塔にワイヤを張って対岸と結び、船頭はオールを使わずにそのワイヤを手繰りながら渡し舟を操作していたようだ。流れも緩やかと見えるので、オールはあまり必要なかったのでしょうね。一枚前の写真に川沿いに降りる小道が見えますが、おそらく駅側の渡し場に向かう道だったと思われます。運行は午前6時半から午後8時半。渡し舟が対岸にいる場合は、ブザーを鳴らすか一斗缶を叩いて船頭さんを呼ぶという、まあなんとものどかな渡し舟だったらしい。

既に廃止から30数年を経て、果たして七ケ巻の集落の人々は、対岸に走る飯山線をどれくらい使っているのだろうか。鉄道と旧道が残る左岸より、今やR117バイパスが通過する右岸の七ケ巻側の方が、よっぽど便利になってしまいました。
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森宮の夜は更けて

2018年05月04日 17時00分00秒 | 飯山線

(夜の底に佇む@森宮野原駅)

175Dを追い掛けて、森宮野原の駅へ。既に到着した飯山色は、既に車内の灯りを落とし滞泊留置の準備をしていました。そんな風景をいつもの軽俯瞰から。いつもの場所からいつものように撮るだけで、何とも能がないなあ…と自嘲してみるのだけど、さりとて他に思い付かず。そして、ここからの眺めがとてもローカル線らしくて好きだ。短編成の普通列車には持て余すほどの広い構内、ポイントに光る転轍機のカンテラ。漆黒の闇の中で、駅の灯りがとても頼もしく、暖かく見えます。


175Dが到着してから約10分。暗闇の向こうに強い光が見えて、二条のレールを照らします。今度は十日町発の最終列車である172Dがやって来ました。こちらもキハ110系の単行。ちなみに東京を19時半の新幹線に乗れば、越後湯沢~十日町経由でこの最終列車に乗り継げます。森宮到着22:20。冬は豪雪に沈む北信の郷が東京から3時間弱と考えると、思った以上に近いんだなあとも思う。


豊野と川口のちょうど中間点として、森宮野原の駅は飯山線を東西に分けるサミット。毎日こうやって最終列車がやって来ては、翌朝に備えて2名の乗務員が一夜を明かします(冬場除く)。最盛期に比べるべくもない利用者の数ではあるだろうけれども、鉄路はこうやって守られているのだなと実感する、そんな駅です。


森宮野原という駅名は、長野県栄村の「森」集落と、川向こうの新潟県津南町「宮野原」集落の合成名。信濃と越後の国境でもあり、ここで千曲川は信濃川と名を変えます。信濃から越後、越後から信濃と川筋に沿っての往来が古くから盛んな場所で、江戸時代は越後方面からの善光寺参りの主要ルートとして賑わったそうです。鉄道が開通してからは、栄村や秋山郷からの物資の集散地であり、それこそ蒸気機関車の時代は、C56が貨車を引いてやって来ては農作物を積み込み、構内で貨車の入替や給炭を行っていたそうな。

鉄道の栄華の時代はとうに過ぎたとは言え、今でも国境の村は交通の要衝。
北信妻有の守りを担うキハ2両、今宵はどんな夢を見る。
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