青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

日比谷っ子二代目、信濃を往く。

2023年01月21日 07時00分00秒 | 長野電鉄

(信濃の二代目・3000系@信濃竹原駅)

去る1月19日に、長電の鯨こと3500系は無事に定期運用を終了し引退となったようです。折しも長電の鯨の引退に合わせて、大阪の淀川やら東京湾やらに鯨が迷い込んで話題になっておりましたが、まあ市井の片隅の鉄道ファン的には、有機物と無機物とは言え、鯨同士惹かれるものがあったのだろうか・・・とバカなことを考えてしまったのだが。うん。大阪の鯨は残念なことになってしまったね。子供はあれを見て「刺身何人分?」って疑問を持ったらしいが、海を泳ぐものをすべて刺身に換算して勘定するの、日本人の良くないところ。

閑話休題。去って行くものあれば来るものあり。という訳で3500系の後継である3000系。2年前から長電に入って来てるので、もうすっかり信州の皆様にはお馴染みの元日比谷線03系であります。長電の3500系が日比谷線時代には営団3000系を名乗っていたので混乱してしまいそうだが。18m3ドアという地方私鉄には「手頃な」サイズ感、鯨の時は木島・屋代線運用も加味して2連と3連の2パターンで投入されましたが、今回は3連×5本。もう旧河東線はありませんのでね。3連で統一されています。雪の朝、夜間瀬川橋梁からの下り坂を慎重に信濃竹原へ進入する3000系。正直、この区間で3連は供給過剰ではあるものの、いまさら2連を拵えるのも面倒なのでしょう。

日比谷線からは二代目となる車両の投入。03系を追い出した日比谷線のメトロ13000系は20m7連なので、次があるかどうかは私がおじいちゃんになってから分かるのだろう。それまで生きてるかな。ともあれ長野では「新車」となる3000系。昭和末期~平成初期のいわゆるバブル時代に作られた営団の車両ってのは、デザイン性も車内設備もボディ剛性もクオリティが高いというのが一部マニアの中では通説となっているのですが、「一部マニア」の中で多数を占める40代の連中が子供の頃に「新車」として意識した車両なので、そこらへんの声の大きさが評価の下駄履いちゃってるんじゃないか疑惑も少しあり。いや、3000系乗りましたが確かにいい車両ですよ。レストアされてきれいだし、静かだし、SS上げてもLEDが切れないし!(←ココ重要)

既に製造から30年を経過した車両ではありますが、ここ長電の他にも熊本電鉄・北陸鉄道へ納入されており、腐食の心配のないアルミのボディ・地方鉄道向けのサイズ感と改造し易さ・取り回しの良さ・性能なんかはある程度のお墨付きはあるのでしょう。熊本は行こう行こうと思って行けてない(遠いすからねえ)路線ではありますが、あの黒髪町~藤崎宮前の併用軌道を走る姿も見てみたいものです。

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駅を守る、駅守との邂逅。

2023年01月18日 17時00分00秒 | 長野電鉄

(地域の足を守る@上条駅)

山ノ内線の各駅は、それぞれに違う顔を持っていて撮り飽きる事がない。上条駅は、湯田中駅から続く集落の南の端にあって、駅の上は民家、坂の下に向かって果樹園が広がるという半農半住の境目のような場所にあります。雪降りしきる朝の上条の駅、駅の周りを歩きながらどう撮ろうかとアングルを固めていたら、駅の脇の民家から赤いスノースコップを持ったおじいちゃんが一人。「おはようございます」なんてお互いに声を掛け合ってその背中を追うと、駅に続く狭い路地の雪かきを始めるのであった。

雪の山ノ内。とは言え、やはり最近は暖冬の影響か降雪量も乏しく、クリスマス前後にはそれなりの雪もあったのだそうだが、あらかた溶けてしまったそうだ。この「気温が高いせいで降っても積雪は伸び悩む」という傾向はどこの雪国でもそうらしい。とはいえ、一介のおじいちゃんに駅のホームの雪かきはそれなりの重労働。雪を掻いては空を見上げて肩で息を付く様子。

上条駅。湯田中駅の手前の小駅に、日々どれくらいの乗降客がいるのだろう。古いデータで20人ちょっとという数字が出ているが、コロナ禍の今ではひょっとしたら20人も割ってしまっているかもしれない。それでも、こうやって毎日駅の事を陰に日向に守っている人達がいる事には、改めて頭が下がる思い。いわゆる「おらがムラの駅」を守る気持ち。 まことに地方公共交通というものは、地元の人々の地道な支援で支えられているのだと実感。

駅の傍らの踏切の鐘が鳴り、やおら手を止めて電車の到着を見守るおじいちゃん。降りしきる雪の中、山を降りて来た鯨が上条駅に滑り込む。お名残り乗車と思しき青年が一人現れ、車両に吸い込まれて消えて行きました。

ちなみに、記憶違いでなければ、この上条駅の駅守とも言えるおじいちゃんの事を私は結構前から知っている。この駅の利用者でもあり、集落の人達と連れ立って電車に乗って行くシーンなど、そのお姿を拝借したことが何度もある。そういう意味では、名も知らぬ駅守と私の勝手な片思いは、もう10年以上に亘って続いている事になる。いつまでも、お元気でいて欲しいものである。

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老鯨の 跡目継ぐ人 どんな人。

2023年01月16日 17時00分00秒 | 長野電鉄

(駅舎と朧な公衆電話@信濃竹原駅)

前日の23時頃に自宅を出て、中央道の須玉から真夜中の野辺山を抜け、朝4時の戸倉上山田温泉で朝湯に浸かったりしながら信濃竹原の駅に到着したのが朝の6時過ぎ。高速で松代PAを抜けた辺りから雪が降り始め、信州中野ICを降りて山ノ内の方に上がって来たらそれなりの降りになっていた。まあ、スタッドレスを履いてるからにゃこんくらい雪が降ってくれた方が張り合いがあるよな・・・なんて思いながら、開業96年の古駅舎を持つ駅を味わう。屋代線とか木島線があった時代は、開業当時からの木造駅舎が残っている駅もそこそこあったような気がしますが(木島とか信濃川田とか松代とか東屋代とか)、今となってはココと村山くらいなんですかね・・・

長野方面行きのホームにある架線柱。よーく見ると「竹原四號 昭2.3」と書かれていて、それこそこの架線柱も開業当時からのモノである事が伺い知れます。よくホームの屋根を支える柱の古レールとかに西暦の刻印があったりして、相当の年代モノが使われている事が分かったりするのだけど、架線柱に設置年の表記があるのってなかなか珍しいような。

須坂発の始発で湯田中に送り込まれた上りの一番電車。この日は鯨こと3500系2連。さんざん長野でお世話になったこの車両も、このN8編成がついぞ最後の1編成。そして、今月の半ばを持って定期運用を終了することが決まっています。今回の長野行、温故知新というのもあるけど、鯨にお別れを言いに来たというのも少しだけある。思えば昭和30~40年代デビューの車両が、こうして三つの元号を跨いで令和の時代まで約60年間に亘って走り続けたというのも結構凄い事だ。営団で30年、長野で30年か。

凍て付く信濃竹原で交換する3500&3000系。平成初期に一気に40両近くが送り込まれ、長野オリンピックを控えた長野電鉄の輸送力強化と車両の均質化に貢献した3500系。その跡目を継ぐのは同じ営団日比谷線で活躍していた03系というのも、一部マニアには現実になる前から噂にはなっていましたが「本当にそうなるんかい!」という感じもあり。営団03系改め長野電鉄3000系は一昨年より順次5編成が導入され、東急の8500系がカバー出来ない湯田中方面まで入線するなど既に主力級の活躍を見せています。ってか、最近とみに長電で8500系の影が薄くなっているような・・・なんだかんだ言ってあのクルマも50年選手だかんなあ。

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新春・長電・温故知新

2023年01月14日 11時00分00秒 | 長野電鉄

(夜明けを待つ@長野電鉄・信濃竹原駅)

正月休みってのは年末年始的なやる事がありますので、大掃除だったり大晦日だったり初詣だったり親戚との挨拶事だったりと行事が盛りだくさん。なので、正月明けの成人の日に絡んだ三連休ってのが、自分の趣味と向き合ったり好きな事をしたり出来る本当の正月休みなのではないかと思います。そういう意味での2023今年の撮り始め、どこにしようかな・・・という事で色々と考えたのですが、長野電鉄に行って来ました。思えば自分の中で「地方私鉄巡り」というものをライフワーク的にし始めたのって、それこそ15年前くらいに2000系を追い掛けて長野電鉄に行くようになったのがきっかけだったように思うんですよ。そういう意味での原点回帰と言うか温故知新と言うか。年の初めに改めて「原点」の部分を確かめるのもいいんじゃないかなあと。

長電に通い始めた頃は・・・どんくらいだったっけな。木島線が廃線になって、ちょっとあって「ゆけむり号」こと小田急HiSE10000系が導入された頃か。まだ日比谷線車両も3連(3600系)がブイブイ走ってたし、2000系も朝夕のB特を中心にA・D編成が健在で、8500系が新車みたいな扱いをされてたかな。屋代線は夏でも非冷房鯨2連で扇風機という劣悪環境、木島線に続いて廃線か?みたいな雰囲気になっていて、地元自治体の温度によるお決まりの「活性化協議会」の開催だったり、増発の社会実験なんかをしてたのを記憶している。その長電に通い始めた頃・・・2000系D編成を信濃竹原で撮影したカットがあった。季節は同じ冬、軒先に垂れる氷柱に信州の冬の厳しさを見る。

今回の長電行。そういう意味で温故知新、なので、そんな信濃竹原で撮影した雰囲気をあえて定点撮影的な感じで収めてみる。そうだった、以前の信濃竹原は、老朽化した駅舎側の入口を締め切って県道側の通路から出入りするようになっていたな。最近になってこの旧駅舎の価値が見直され、再整備しているようではあるのだが・・・それでもパルプ踏切側の貨物ホームにあった上屋はいつの間にか取り壊され、入線する車両も2000系ではなく3000系(日比谷線03系)に変わった。温故知新と言うけれど、やはり変わるべきものは変わっている。当たり前の事ではあるけれど。

 

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青いリボンのスカーレット。

2023年01月09日 10時00分00秒 | 名古屋鉄道

(いざ討ち入り@名鉄・吉良吉田駅)

という訳で蒲郡線の終点・吉良吉田駅。折しも年末、年末と言えば赤穂浪士の討ち入りこと忠臣蔵。浅野内匠頭に恨みを買った吉良上野介が松の廊下で刃傷沙汰に遭うという例のアレ。この「吉良」こそ吉良上野介の吉良でして、出自は三河国幡豆郡吉良荘を中心に領地を持った江戸時代の高家。すっかり忠臣蔵の敵役として有名になった彼ですが、地元では低湿地帯に苦しむ農民のために治水や灌漑事業に精を出した名君として慕われており、決して悪人であったわけではないらしい。そういや、昔は年末年始でテレ東が12時間くらい忠臣蔵やってた記憶があるんだけど、最近のテレ東はすっかり「孤独のグルメ」を1シーズン垂れ流しで放送して時間潰しするようになってしまいましたよね。まあ孤独のグルメ大好きだからいいんだけど。今回も年末SP含めてガッツリ見てしまったので・・・(笑)。

吉良吉田駅蒲郡線ホーム。折り返しの蒲郡行きが停車中。蒲郡線は手前の蒲郡側から見て西向きの突っ込んだ場所にある相対式のホームに入線するのですが、以前はこのホームの先に名鉄三河線が碧南方面に向かって伸びていました。碧南~吉良吉田間は長年利用者の少ないローカル区間として数々の合理化が為され、末期は電車運転をやめてディーゼルカーによる単行運転に切り替えられていた曰くつきの閑散線区。沿線自治体の補助金を頼りに運行は続けられていましたが、2004~2005年にかけての名鉄が振るった大ナタ(揖斐・谷汲・岐阜市内線・八百津線・竹鼻線・三河線南北末端区間の廃止)によって、バッサリと廃止されてしまいました。

旧・三河線方面の末端部分。暫く先まで線路は伸びていますが、踏切一つを越えた先でぷっつりと線路は途切れています。右側に停車しているバスは、その三河線廃線区間を結ぶ碧南・西尾市運営の「ふれんどバス」。名鉄バスに運行を依頼する形で、一色・平津・平坂とかつての三河線沿線を結びながら碧南に向かっています。少なくとも日中でも毎時一本は確保されていて、そこそこの本数はあるようです。

陽だまりの吉良吉田駅ホームに憩う名鉄6000系。燃える深紅のスカーレットが冬の低い日差しに映える。名鉄の顔って言うとまずはパノラマカー7000系なんでしょうが、こと一般車となると団塊ジュニアに一番ブッ刺さるのがこの6000系辺りの顔ではないでしょうか。自分より上の世代だと5200系か5500系あたりだろうし、下の世代だと3500系とかがスイートスポットなのかなあ。ともかくパノラミックウインドウに両端尾灯に謎の通風孔?が付いたこの顔が、自分的な名鉄のスタンダードなのだ。

名鉄初の3ドア車、そして通勤車両としては珍しく、鉄道友の会からブルーリボン賞を受賞している6000系。名鉄のブルーリボン賞受賞車としては国鉄乗り入れ用気動車キハ8000形(北アルプス)以来のもので、後に受賞したのもパノラマDXこと8800系のみ。いかに名鉄においてこの車両が画期的な新型通勤車両であったか、という事なのかもしれません。本線筋では4連・6連もまだまだ活躍を見せていますが、他の大手私鉄も東急の8500系とか、団塊ジュニアに刺さる車両はそろそろ50年選手。どこも徐々に廃車になってたり、ゆくゆくは引退・転用の気配も強まっており、この手の車両は抑えに行くなら早目にね・・・という感じですね。

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