(歴戦のコルゲート@湯田中駅)
ステンレス車両としては日本の中でも相当に早い時期の車両ですから、3500系のコルゲートは同世代の東急7000系や京王3000系の様に細く細かく刻まれています。このステンレス地にコルゲートが実に写真映えするというか、光の加減でドラマティックな陰影を付けてくれるのですよね。そんな無骨なボディに突き出るように配置された前照灯と尾灯の立体感も、また昭和の工業製品的で良きものがありますよね・・・
湯田中駅のホームにて。日比谷線から移籍して来た時に、長電の車両なので長電レッドの赤帯を巻いた3500系。重たくてなかなか開けづらい無骨な二段窓に歴史を感じます。後継の3000系は何故か赤帯が前面だけで、横のラインはシルバーなままになっているのだが何でなんだろうか。ケチるにしても中途半端なので何がしかの理由があるのかと思うのだけど、ひょっとしたら「サイドまで赤帯にしたら営団02系(丸の内線)っぽさが出ちゃうから」とかそんな理由なのかもしれません(笑)。
車内放送を電話の受話器で行うというのも、何とも昔の電車のそれらしい。そもそも今は車内放送すら自動音声の時代である。不肖私めも某鉄道会社で学生アルバイトをやってた事があるんだけど、駅務の中でもマイク持たせてもらってホームで案内放送するのとか、結構楽しかった思い出があるなあ。ホームに自分の肉声が響き渡るのもそうだし、何というか駅員独特の節回しってあるじゃないですか。あれは結構ハマると自己陶酔に入り込んじゃうんよねえ(笑)。
定刻、信州中野行き発車。ちょっと高い位置にある客用扉の窓も、営団の車両だなあって感じしますよね。まだこの時間は長野行きの特急がないので、早い時間に湯田中を出る旅行客の方々も信州中野でお乗り換え。自分が長電に来始めた時代は、朝も7時台から湯田中発の長野行き特急がB特急として運転されていました。2000系がいた時代は信州中野~湯田中を各駅扱いにしてローカル運用を兼ねさせていたのだけど、ゆけむり1000系はどうしても構造的に山ノ内の中間駅で乗降ができる構造になっておりませんのでね。2000系がいなくなり、3000系が入ってくる間はそれこそ山ノ内ローカルは鯨3500系の独壇場でもありました。
雪に消えて行く信州の山鯨。足元には、40パーミルの勾配に対応するべく増強された抵抗器がズラリと並ぶ。山鯨ってのは場所によっちゃあイノシシの別名称らしいが、信州の四季を走って30年、マッコウクジラも大海原をとうに忘れた山男になりました。3500の後に入って来た東急の8500は、回生ブレーキが勾配線区には合わず、スピードを落とした時のブレーキの信頼性が低かったんで、結局信州中野より先には入れませんでね。結局クラシカルな抵抗制御の3500がこの区間の主力車両になっていました。結果的に「山ノ内の40パーミルを走れた」事が、ここまでこの車両が長生き出来た要因の一つだったと思いますよね。芸は身を助けるって事で。
右側通行の竹原へ進入するN8編成。何だ坂こんな坂登って降りて。これが鯨の生きる道。