青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

夏が苦しい時代。

2024年08月18日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(散居の夏、とやまのなつ@横江~岩峅寺間)

今年の夏は、7月の入口から本当に暑かった。人間として半世紀くらい生きてますけど、子供の頃はこんなに暑くなかったですよ。朝の涼しいうちに朝顔に水をやり、算数ドリルを片付けて、午前中は学校のプール開放に行き、帰って来てそうめんを食べ、午後は和室で扇風機を掛けながらうたた寝をするような・・・そんな夏休みであったような気がするのだが、今は日がなエアコンは点けっぱなし。早朝のわずかな時間だけ、窓を開けて部屋の空気の入れ換えがてらにエアコンを止めてはみるのだけど、もう朝の8時ごろには部屋の温度が30℃を超えてしまいたまらず再びエアコンを点けてしまう。そして令和の子供たちはあまりの暑さに部屋から出ることも出来ず、手持ち無沙汰を慰めるのはYoutubeやスマホのゲーム。外に出るには危険過ぎて、何か夏らしい思い出を作ってあげる事も出来ない。ひたすらに「夏が苦しい時代」の子供たちは、夏の夏らしさみたいなものは年寄りの昔語りと諦めて、ひたすら快適な空調環境で黙ってインドアに過ごすもの、と割り切っているのだろうか。

それでも首都圏に比べれば、こちらの方にはまだ「昔らしい」夏の景色が残っているのではと思う。
稲田を渡る風に乗って現れたキャニオンエキスプレス。
富山も、暑いは暑いが。

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立山源流、清冽に。

2024年08月16日 23時00分00秒 | 富山地方鉄道

(猛暑に一服の涼@本宮砂防堰堤)

弥陀ヶ原の南側にある立山カルデラは、日本でも有数の活動量の多いカルデラで、現在でも崩壊を繰り返しては常願寺川の下流へ大量の土砂を押し流しています。ひとたび暴れれば、富山平野の豊かな耕土を覆いつくすほどの大量の土砂や岩石を流し込んで来た立山カルデラ。現在は、立山砂防軌道による懸命な治山工事と、幾重にも建設された砂防ダムによって、カルデラの崩落防止と常願寺川の治水がおこなわれています。この辺りの常願寺川は、山間に大きな大きな氾濫原を作って流れて行くのでありますが、急流・・・と見せかけて、比較的河川勾配は緩やか。その要因が、カルデラから大量に流れ込んだ土砂を受け止めるこの本宮砂防堰堤にあります。高さ22m、幅107m、貯留する土砂は500万㎥。500万㎥って言われてもどのくらいの量だかなかなかピンと来ないのだが、東京ドーム1個分の容積が125万㎥くらいみたいなんで、この砂防堰堤の向こうに東京ドーム4杯分の土砂を溜め込んで氾濫原を作り、万が一があった時に下流へ向かって流れる土砂の速度を緩やかにしている訳だ。砂防ダムなので自然に作られた滝とは違うが、堰堤を超えてビロードのようにきれいに糸を引いて二段に落ちて行く水の風景は優美。猛暑の中で、一服の涼である。

富山シリーズの冒頭でもご紹介したが、そんなこんなでこの日は涼を求めて、本宮砂防堰堤の下流での川遊び。頭の上から降り注ぐ焼けつくような日差しは容赦なかったが、それでも足元だけはせめてもの涼しさがあった。足元に流れる立山源流の冷たさを味わいながら、常願寺川の谷底から仰ぎ見る千垣の鉄橋。谷を彩る木々の緑よ、岩を流れる水の青さよ、そして沸き立つ雲の白さよ。雷鳥が天翔ける立山路、盛夏を満喫のひとときである。

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岩峅寺、打ち水の傍らに。

2024年08月14日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(旅の始まり@岩峅寺駅)

上滝線沿線の撮影を済ませ、岩峅寺の駅で一日フリーきっぷを発行してもらう。今日は一日だけの滞在で、正直一日フリーきっぷの元を取れるほど乗れるかどうかは怪しいのだけど、正直言って、この手のフリーきっぷは使う使わないに関わらずその路線を撮影するための許可証みたいなもんじゃないかと思っている。小規模な地方私鉄ならどのみち大した額じゃないし、どこも苦境に陥っている地方私鉄をささやかな応援するものとして、「あいつらは撮るだけ撮って何にもカネを落とさない」って後ろ指差されるのも嫌なのでねえ。自分の中のちょっとした矜持みたいなものですし、これが岩峅寺駅の売上、ひいては地鉄の売り上げに繋がると思えば、ね。嘱託のじいちゃんが窓口手売りなので発券に時間はかかりますが。という訳で、買って撮りましょフリーきっぷ。撮るのに疲れたらもちろん乗ってもよいし。

夏の岩峅寺の駅。季節ごとにその雰囲気に魅了される、地鉄の中でも自分の中では一、二を争う好みの駅です。富山に行くたびに訪れているから、写真集でも作れるんじゃないかというくらい、もう何十回、何百回とシャッターを切っていると思う。カメラを握りながらふと気づくと、ホームの上には赤とんぼが飛んでいて、猛暑ながらも季節だけは確実に秋に近づいているようだ。暑さに耐えかねたおじいちゃん駅員が撒いた打ち水の水たまりにトンボが羽根を休めていると、構内踏切が鳴って、「TY5」こと特急たてやま5号が姿を現しました。

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駅の歴史は、郷土の歴史。

2024年08月12日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(七夕の駅、軒端に揺れる@上滝駅)

願いを込めた8月の七夕が、駅舎の軒端に揺れる、上滝線の上滝駅。路線名称に選ばれるほどの駅名ですが、現在は無人駅。駅前に富山市のコミュニティバスが発着していて、小さな交通の結節点になっています。今でこそ富山市の一部となっている上滝の駅ですが、以前はこの駅の周辺が上新川郡大山町の中心地で、町役場などの行政施設はここ上滝に集まっていました。上新川郡は、神通川沿いの笹津を中心とするお隣の大沢野町と、常願寺川沿いの上滝を中心とするここ大山町の二町で構成されていましたが、平成の大合併に伴いどちらも富山市に編入され、上新川郡は消滅しています。かつての大山町は、常願寺川の上流部の有峰湖から薬師岳を超えて黒部川源流部の三俣蓮華岳まで、北アルプスを挟んで長野県大町市と接する広大な面積を誇っていました。

「七夕」と書くからには、7月に行われるもの・・・と思いがちですが、意外にも7月にやらない七夕というものも結構あります。仙台がそうだし、高岡も8月。これは、明治以降の旧暦/新暦(グレゴリオ暦)の「7月7日」の解釈の分かれによるものらしい。個人的には、新暦の七夕=現在の7月7日の七夕はだいたい梅雨の真っただ中なので、天の川という感じにもならないから、旧暦の七夕(8月開催)の方がいいんじゃないかと思ったりもしますがいかがでしょうね。朝のうちだけの、少しひんやりした空気の待合室に、風鈴が揺れます。

かつては交換駅だったであろう島式ホームは、今は片面一線だけの使用に留まる上滝の駅。草生した夏の陽射しのホームに、コントラスト強めのかぼちゃ色の電車がのっそりと進入してくるのも、富山地鉄の夏だなあ・・・という感じがする。ここ上滝に、富山県営鉄道が線路を敷いたのは1921年(大正10年)のこと。戦前~戦後まもなくまでの上滝駅は、常願寺川の支流である熊野川の上流にあった黒鉛の鉱山(千野谷黒鉛鉱山)で採掘された天然の黒鉛を積み出す拠点駅だったらしく、貨物取扱いの数量もそれなりのものがあったそうです。黒鉛は、貨車で三日市(現在の黒部駅)に運ばれて精錬・加工され、アルミニウムの電極分解(電気精錬)に使われました。アルミニウムの製造工程というのは、原料のボーキサイトを苛性ソーダで溶かして、そこから「アルミナ」というアルミの原料成分を取り出すところから始まるのだけど、その苛性ソーダの溶液に電気を通してアルミナを吸着させる「電極」に黒鉛(黒鉛電極)が使われるのだそうで・・・

アルミニウムの精錬と言えば、三協立山(高岡市)やYKKap(黒部市)を筆頭に、アルミサッシを中心とした大手建材メーカーが集中する富山の主要産業ですが、そんな地場産業の黎明期を下支えするマテリアルの一部が、こんな小さな駅から積み出されていたとは感慨深いものがあって。そう言えば、少し昔の貨物列車には、北陸方面の常備駅を記した「苛性ソーダ」専用のタンク車がよく繋がれていましたけど、こういった用途に使われているんだなあ・・・といまさらながらに膝を打つ。特に、北陸信越方面はいわゆる化学系の会社の工場が多くて、黒井の信越化学、二本木の日本曹達、速星の日産化学工業などなど、鉄道貨物がお好きな方には「たまらない」会社ばかり。高速道路の発達による物流の改善と、メーカーによる生産工場の集約化によって、かつての「バケガク街道」であった北陸信越地区の多くの工場が、今は鉄道貨物から離れるか、またはその取扱数量を減らしています。

鉄道の歴史から郷土が見える、上滝の駅です。

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向日葵も 強い陽射しに 項垂れ。

2024年08月10日 07時00分00秒 | 富山地方鉄道

(向日葵もうなだれる陽射しに@開発~月岡間)

富山から帰って来て一週間ですが、日向灘で起こったM7超えの地震によって初めて発令された「南海トラフ『巨大地震注意』」という気象庁の発表。世の中に何だか不穏な空気が流れ始めてきたところで、我が家のある神奈川県でも久し振りに大きな地震がありました。ちょうど会社から帰って来て、嫁さんが出してくれた煮込みハンバーグの夕飯に口を付けたところでズシンと腹に来るような縦揺れがあって、大きな横揺れが始まったところで家族全員のスマホから緊急地震速報のアラートが鳴った瞬間「ヤバい!」と思いましたね。緊急地震速報より前に揺れ出したってことは震源が近いってことですから・・・そして、スマホのアラートが鳴った瞬間に、子供二人が真っ先に自分が飯を食っているテーブルの下に飛び込んで来て、身を守る動きを促す緊急地震速報がもたらす役目の大きさを感じている。揺れ始めたら、人間意外にオロオロしてしまって身を守る行動が取れなくなるものだが、あの不気味かつ強烈なアラートは脊髄反射的にそういう行動を取らせる力がある。震源は神奈川県西部、精緻な位置を確かめると秦野市の北部の深さ13km、1923年の関東大震災を引き起こした相模トラフの上部・・・と言われるとこれまた不気味感は増す。専門家筋は「南海トラフとの関連性はない」と火消しに必死だが、東日本大震災から・・・いや、長い目で見れば1995年の阪神・淡路大震災以降、日本中どこでも大きな地震が起こる可能性は高いまま、ということではないのだろうか。この30年に発生した地震の数を指折り数えてみても、それはそう思う。30年なんて、プレートテクトニクスの理論からしたら、人間の一生における一呼吸にも満たない短い時間なのだろうけど。

閑話休題。いや、現在進行形の災害の危険性の話なので、閑話でもないのだが。富山もねえ、お正月の能登半島地震でそれなりに揺れた地域なので、全く地震被害がなかったと言う訳でもない。特に北西部の氷見・伏木方面は実際の地震の揺れもそうだし、家屋の倒壊や水道を中心としたインフラの破壊による被害が大きかったと聞く。この日は地鉄を撮りつつ呉西方面にも少し顔を出したのだけど、地元の方の話なんかを聞いて、まだまだ復興どころかその入り口にも立てていない能登の現状とその難しさなんかを聞いたりした。能登の道筋もなかなか付けられない現状で、それこそ国家の存亡にかかわるレベルの被害が想定されている南海トラフなんかが発生してしまった日には、国による迅速な支援はアテにならないだろう。支援の手が届くまでは生き延びれるか、どこまでの自衛策を取れるのかわからないけど。

今度こそ閑話休題。夏の朝、向日葵の横を抜けて行く14760形。この日の上滝線は、朝から60形の雷鳥カラーが2編成運用に就いていた。地鉄の運用は、正直言って宇奈月方面に行かれてしまうと「よく分からん」となってしまうのだけど、現在の地鉄はそう車両数に余裕がある訳ではなく、一部の特急車両を除けば現在の保有車両をほぼフル回転させないと回らない状態。お目当ての車両が稲荷町でお休み・・・ということが許されないので、どこかで走ってはいるのだ。それがどこだか分からないのが問題だけど、とりあえず上滝線と立山線は行って帰ってくるまでは運用が保証されているので掴みやすい。感覚的なものだけど、立山線に入った車両は割と立山線の中で一日動くようなイメージがありますね。交換があるとしても夕方になってから、みたいな。

朝から強い陽射しで、向日葵すらうなだれて見える月岡界隈。
14760形、お会いしたのは1年2ヶ月ぶりだけれども、特にお変わりなくといった感じで結構な事である。
上滝線逍遥。

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