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後南朝・自天王の宮があった瀧川寺(上北山村)/毎日新聞「やまと百寺参り」第31回

2019年11月25日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。11月14日(木)付で掲載されたのは「南朝の宮 無念の最期」、執筆されたのは川上村在住の前田景子さんだった。
※トップ写真は瀧川寺の山門と本堂=上北山村小橡(ことち)で

瀧川寺は金剛寺(川上村)とともに、後南朝ゆかりの寺として知られる。私は以前「上北山 イズ ミステリー」という話を書いたことがある。では、今回の記事全文を紹介する。

奈良県南東部「奥の奥」にある上北山村は、東に台高山脈、西に大峯山脈に囲まれた大自然の中にあります。村の中を北から南へ熊野灘に注ぐ北山川の支流で、清流の小橡(ことち)川に沿って村役場からさか上ること2㌔にあるのが、瀧川寺(りゅうせんじ)です。

1392(明徳3)年の南北朝合一後、和睦の条件が守られないため、南朝方は1443(嘉吉3)年に京の御所に乱入して三種の神器のひとつ神璽(しんじ)(勾玉(まがたま))を奪い吉野へ持ち帰ります(禁闕(きんけつ)の変)。

南朝・後亀山天皇の玄孫(げんそん)(孫の孫)自天王(じてんのう)(北山宮(きたやまのみや))は、この寺を北山宮御所としました。弟の忠義王(河野宮(こうののみや))は川上村に神之谷(こうのたに)御所を設けました。

ところが1457(長禄元)年12月2日の粉雪の夜、赤松氏の残党にこの二つの御所が襲われます。あわてて応戦しましたが突然のことで、2人の宮はあえなき最期をとげました。自天王は享年18といわれています。

自天王の墓が寺の境内にあり、北山宮墓として宮内庁が管理しています。毎月12月2日には法要が行われます。(奈良まほろばソムリエの会会員 前田景子)

(宗派)曹洞宗
(住所)吉野郡上北山村小橡228                  
(電話)0746-83-0066
(交通)近鉄大和上市駅からバス「河合」下車、徒歩約20分
(拝観)境内自由(無料)                   
(駐車場)有(無料)


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