奈良新聞の「明風清音」欄に寄稿している。先週(10/31)掲載されたのは「立ち上がれ日本林業」。森林ジャーナリスト・田中淳夫(あつお)氏が書かれた『絶望の林業』(新泉社刊)の紹介である。日本の林業の隅から隅までを知りつくした田中氏の指摘は正確で、しかも重い。日本の林業は、もうダメなのだろうか。以下に全文を紹介する。
『絶望の林業』(新泉社刊)を読んで暗澹(あんたん)たる気分になった。著者は日本で唯一の森林ジャーナリストで生駒市在住の田中淳夫氏だ。本書の帯には《補助金漬け、死傷者続出、低賃金、相次ぐ盗伐、非科学的な施策…官製“成長産業”の不都合な真実!》と手厳しい。専門書ながら順調に版を重ね、すでに4刷が決定している。
私は木材商の家に生まれ、家業の浮沈を目の当たりにしてきた。勤務先では10年以上地球環境問題に関わり、その過程で田中氏にもお目にかかっている。本書は、40年近く森林や林業と関わってきた田中氏の日本林業への「黙示録」である。
本書冒頭を飾るのは「『林業の成長産業化』は机上の空論」だ。《補助金で木材生産は拡大しているが、木材の使い道が十分にない。市場でだぶついて木材価格を下落させる。利益が薄くなるから、量で稼ごうと伐採量を増やす。しかし木材の使い道は増えず、また価格が落ちる…》。
「外材に責任押しつける逃げ口上」のくだりには、目からウロコだった。《なぜ日本の林業は衰退したのか。メディアがこの問題を説明するのによく使われる言葉は、「安い外材に押されて」である》《これは間違い、というより責任を外材にかぶせる逃げ口上にすぎない》《国の統計によると、92年にはスギの丸太価格が、98年にはスギ製材価格が、外材より安くなった。つまり現状は、「国産材は外材より安いのに売れない」のである》《業績が不振となったら、その原因を探って改善する。これが経営の王道である。しかし林業界にそうした改善努力は行われなかった。責任を外材という外部要因に押しつけて、国に支援を求めたのである》。
「国産材を世界一安く輸出する愚」では《国産材の原木価格は極めて安い。そして木材価格は、ここ30年ずっと下がり続けている。では、国産材の生産コストはどうだろう。実は「世界一高い」と言われているのだ》《莫大なコストをかけて育て、収穫した木を、採算度外視で海外に安売りしている…これが実情なのではないか。なぜ、総合的に見て赤字になるような取引が進むのだろうか。それが可能なのは莫大な補助金があるからだ》。
「地球環境という神風の扱い方」では、地球温暖化対策という新たな「補助金名目」ができたことを皮肉たっぷりに紹介する。《(京都議定書で)間伐推進が二酸化炭素吸収に役立ち、地球温暖化防止につながるという理屈をひねり出す。そして、地球のためだからと莫大な補助金を投入し始めた》《第一次安倍政権では、この地球温暖化防止を名目に大幅な補助金増額が行われた。林業現場で安堵の声が上がっていた。「これで五年間は食っていける」。そんな声を聞いた。同時に改革の目は潰(つい)えた》。
本書の6分の1ほどは「第3部希望の林業」に割かれているが、これは社交辞令のようなものだろう。その証拠に第3部の出だしは《(日本林業は)根本的・構造的に産業としての体裁が整っておらず、自然の摂理にも従わず、政策が誤った方向に進んでいる》《ほとんどの林業関係者が改革の必要性を感じつつも、何をやったらよいのかわからず戸惑っているのではないだろうか。さらに言えば、やる気を失い改革自体に興味を持たなくなっている》。
絶望からの出発。今、林業家が立ち上がらなければ、日本林業の未来はない。
『絶望の林業』(新泉社刊)を読んで暗澹(あんたん)たる気分になった。著者は日本で唯一の森林ジャーナリストで生駒市在住の田中淳夫氏だ。本書の帯には《補助金漬け、死傷者続出、低賃金、相次ぐ盗伐、非科学的な施策…官製“成長産業”の不都合な真実!》と手厳しい。専門書ながら順調に版を重ね、すでに4刷が決定している。
私は木材商の家に生まれ、家業の浮沈を目の当たりにしてきた。勤務先では10年以上地球環境問題に関わり、その過程で田中氏にもお目にかかっている。本書は、40年近く森林や林業と関わってきた田中氏の日本林業への「黙示録」である。
本書冒頭を飾るのは「『林業の成長産業化』は机上の空論」だ。《補助金で木材生産は拡大しているが、木材の使い道が十分にない。市場でだぶついて木材価格を下落させる。利益が薄くなるから、量で稼ごうと伐採量を増やす。しかし木材の使い道は増えず、また価格が落ちる…》。
「外材に責任押しつける逃げ口上」のくだりには、目からウロコだった。《なぜ日本の林業は衰退したのか。メディアがこの問題を説明するのによく使われる言葉は、「安い外材に押されて」である》《これは間違い、というより責任を外材にかぶせる逃げ口上にすぎない》《国の統計によると、92年にはスギの丸太価格が、98年にはスギ製材価格が、外材より安くなった。つまり現状は、「国産材は外材より安いのに売れない」のである》《業績が不振となったら、その原因を探って改善する。これが経営の王道である。しかし林業界にそうした改善努力は行われなかった。責任を外材という外部要因に押しつけて、国に支援を求めたのである》。
「国産材を世界一安く輸出する愚」では《国産材の原木価格は極めて安い。そして木材価格は、ここ30年ずっと下がり続けている。では、国産材の生産コストはどうだろう。実は「世界一高い」と言われているのだ》《莫大なコストをかけて育て、収穫した木を、採算度外視で海外に安売りしている…これが実情なのではないか。なぜ、総合的に見て赤字になるような取引が進むのだろうか。それが可能なのは莫大な補助金があるからだ》。
「地球環境という神風の扱い方」では、地球温暖化対策という新たな「補助金名目」ができたことを皮肉たっぷりに紹介する。《(京都議定書で)間伐推進が二酸化炭素吸収に役立ち、地球温暖化防止につながるという理屈をひねり出す。そして、地球のためだからと莫大な補助金を投入し始めた》《第一次安倍政権では、この地球温暖化防止を名目に大幅な補助金増額が行われた。林業現場で安堵の声が上がっていた。「これで五年間は食っていける」。そんな声を聞いた。同時に改革の目は潰(つい)えた》。
本書の6分の1ほどは「第3部希望の林業」に割かれているが、これは社交辞令のようなものだろう。その証拠に第3部の出だしは《(日本林業は)根本的・構造的に産業としての体裁が整っておらず、自然の摂理にも従わず、政策が誤った方向に進んでいる》《ほとんどの林業関係者が改革の必要性を感じつつも、何をやったらよいのかわからず戸惑っているのではないだろうか。さらに言えば、やる気を失い改革自体に興味を持たなくなっている》。
絶望からの出発。今、林業家が立ち上がらなければ、日本林業の未来はない。