今日の「田中利典師曰く」は、〈「加持祈祷の心得」ー昨日の夏期大学講座から〉(師のブログ 2016.9.18 付)。金峯山寺を離れてからも、利典師は夏期大学講座の講師をお務めになっている。今年(2024年)の夏期大学講座では、〈回向作法の概論ですが、死んだら始まる物語を中心に追善回向のあり方を熱く語りました〉。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)
なお回向(えこう)とは〈仏教において、自己が仏道を修めた善い行為や功徳 (くどく) を、すべての人々の悟りのために振り向けることをいう〉(日本大百科全書)。追善回向とは〈死者のために読経など善根を積んで、その功徳を死者にふり向けること〉(例文仏教語大辞典)。では、以下に全文を紹介する。
「加持祈祷の心得」ー昨日の夏期大学講座から
〇私の持論
「葬儀葬祭は霊魂の存在が前提であり、加持祈祷は奇跡が起きるのが前提とされなければならない」「その奇跡は行者の力が起こすのではなく、神仏の力(如来加持力)によると知るべし」「その仏力の働きを学ぶのが加持祈祷作法の基本」
〇修験道の本義
方便門と真実門の真義がある。修行によって呪験力を得るは方便門。真実門とは修は修行によって悟ること、験とは本来自分自身が持つ仏性を指し、この両者を兼備することが修験である。…山の行より里の行=菩薩行
〇加持祈祷とは
加持の「加」は「加被」、「持」は「摂持」。…「仏日の影が衆生の心水に現ずるを加、行者の心水よく仏日を感ずるを持」。祈祷とは祈願、祈念、祈請。加持祈祷とは、自己の願望達成のためだけに仏を利用し手段化するのでなく、本尊に全身心を傾けて帰依(きえ)し、自己を空しくして三昧(さんまい)に入り、本尊と入我我入すること。「三密加持」(三密相応)の修法。
〇三力の大事
三力とは「我功徳力」「如来加持力」「衆生法界力」。加持祈祷を学ぶとは究極、この三力を働かせる世界を作ることである。
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こうして、書き出すとえらい難しい話をしたように見えますが、聞いた人は、もう少し柔らかく伝わったはずです。ながく夏期大学の講師をつとめてきた、いまの私の集大成の講義となりました。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)
なお回向(えこう)とは〈仏教において、自己が仏道を修めた善い行為や功徳 (くどく) を、すべての人々の悟りのために振り向けることをいう〉(日本大百科全書)。追善回向とは〈死者のために読経など善根を積んで、その功徳を死者にふり向けること〉(例文仏教語大辞典)。では、以下に全文を紹介する。
「加持祈祷の心得」ー昨日の夏期大学講座から
〇私の持論
「葬儀葬祭は霊魂の存在が前提であり、加持祈祷は奇跡が起きるのが前提とされなければならない」「その奇跡は行者の力が起こすのではなく、神仏の力(如来加持力)によると知るべし」「その仏力の働きを学ぶのが加持祈祷作法の基本」
〇修験道の本義
方便門と真実門の真義がある。修行によって呪験力を得るは方便門。真実門とは修は修行によって悟ること、験とは本来自分自身が持つ仏性を指し、この両者を兼備することが修験である。…山の行より里の行=菩薩行
〇加持祈祷とは
加持の「加」は「加被」、「持」は「摂持」。…「仏日の影が衆生の心水に現ずるを加、行者の心水よく仏日を感ずるを持」。祈祷とは祈願、祈念、祈請。加持祈祷とは、自己の願望達成のためだけに仏を利用し手段化するのでなく、本尊に全身心を傾けて帰依(きえ)し、自己を空しくして三昧(さんまい)に入り、本尊と入我我入すること。「三密加持」(三密相応)の修法。
〇三力の大事
三力とは「我功徳力」「如来加持力」「衆生法界力」。加持祈祷を学ぶとは究極、この三力を働かせる世界を作ることである。
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こうして、書き出すとえらい難しい話をしたように見えますが、聞いた人は、もう少し柔らかく伝わったはずです。ながく夏期大学の講師をつとめてきた、いまの私の集大成の講義となりました。