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田中利典師「吉野山と嵐山」(7)風土(ローカル)を忘れてグローバルに突っ走ることの危険性

2023年04月06日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、2016年(平成28年)11月、東京の奈良まほろば館で「吉野と嵐山の縁(えにし)」という講演をされた。師はその講演録を7回に分けてご自身のFacebookに連載された(2023.2.28~3.6)。あまり聞く機会のない貴重なお話なので、当ブログでも追っかけて紹介させていただく。
※トップ写真は、金峯山寺蔵王堂の遠望(2023.3.31 撮影)

最終回の今回は、師ご自身が〈近代との戦いに挑んできた私の真骨頂のまとめ〉とお書きのように、〈グルーバルがローカルを食い尽くす社会〉の危険性に警鐘を鳴らしておられる。コロナ禍で、大都市集中の脆(もろ)さが明らかになった。これを機に、地方に移住する家族も増えてきている。まるで、このような状況を見通しておられたようなお話である。

なお吉野山の桜を京都の嵐山に移植するというニュース、読売テレビの「ウエークアップ」(2023.4.1 OA)で流れていたと、当ブログご愛読者のIさんに教えていただいたので、ここに貼っておく。では最後に、師のFacebook(2023.3.6付)から全文を抜粋する。

「春爛漫」 750年前の再現を!吉野山と嵐山の桜で結ばれた絆

シリーズ「吉野山と嵐山」(7-終)
おはようございます。過日、吉野の桜が京都嵐山に植樹されたことをきっかけにはじめた、著作振り返りシリーズの第7弾は、2016年に東京で開催した世界遺産連続講座「吉野と嵐山の縁(えにし)」の講演録です。吉野の歴史からひもとくので前置きが長くて、なかなか本題の「吉野山と嵐山」の話に入りませんでしたが、今回で最終回を迎えました。

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私はとにかく時間どおりに話を終えるのを信条にしていますのであと、10分で終わります。日本は3年前(講演当時)の東日本大震災以来、原発事故、あるいは豪雨災害、先日は御嶽山での大噴火…などたくさんの自然災害が起き、その度、多くの被害が出て、たくさんの人が亡くなります。

日本というのはずっとそうやって、自然災害に翻弄されながら、ともに生きてきた。地震が起きようが、津波が起きようが、噴火が起きようが、台風が来ようが、豪雨が起ころうが、それは自然が悪いのではなくて、その自然の中で私たちは生かしていただいてきたのです。

でも今の我々は、何かが起こるとですね、自然が悪いように思うんですね。しかし、「自然に善悪」はない。ただ、どうも現代の私たちは自然を善悪で見てしまうようになってしまった。その原因は、私たち日本人が明治以降に、それまでのような、自然と共に生きてきたことを忘れ、風土とか、その土地の歴史とか、文化を大事にすることを捨ててしまったことが大きいのでないでしょうか。

明治以降導入された近代原理主義は、近代にヨーロッパで生まれたグローバリゼーションという、一つの価値観で世の中を全部を覆いつくすことが正しいことである、という見方が根底にあります。それは、マクドナルドが出来て、ケンタッキーが出来て、ジャスコ、ユニクロができて、そのせいで近くの商店がつぶれたり、パン屋や洋装店がつぶれたりするという、そういうような事を起こる方を良しとする、それがずっと広がり続けてきた。いわゆるグルーバルがローカルを食い尽くす社会とでもいうのでしょうか。

自然災害のような何かが起こった時に、それを自然の善悪で考えるという根底には、自然を征服するという一神教の価値観があるのではないかと私は危惧しています。

近代と書きましたが、近代以降私たちはグローバリゼーションという、ヨーロッパ的な一神教の価値観で全部を覆ってしまうことが大事であり、近代以前の日本人が大事にしてきた、人の手ではどうにもならない自然の有り様を受け入れてきた…その場の歴史とか風土とか、そういうものを無視することを優等のように扱ってきたのではないか。そう思うのです。

ところが現代はある意味、一神教世界が作り上げてきた近代そのものが壊れかけている。ユニバーサル、グローバルと言ってきた欧米人の価値観で世界中を覆うことが正しいのかどうか、どうも怪しくなってきた。そんな時代を迎えていると私は考えます。

文化というのはカルチャー、耕すということが由来でありますから、土なんです、風土なんです。自然の在り方が基調となっている。その土地土地、その環境風土が継承してきたものを大事にする方が大切なのではないか。もう少し言うと、風土(ローカル)とグローバルなものとは、やはりどこかでうまく棲み分けをしなくてはいけない。マクドナルドとケンタッキーとジャスコとユニクロだけになってはいけないわけです。

でも、出来てしまったもの、進んでしまったものはもう仕方がないから、ある程度の付き合いは要るにしても、自分たちが過去から携えてきたものも見直し、大事にするということがこれからは極めて重要なのだと私は思っています。吉野と嵐山の関係性というのも、ひとつはそういう日本の歴史の極めて象徴的なものなのですけれども、そういうことも今はあんまり重要視しない、大事にしなくなってきた。

けれどもですね。そういうことを大事にしてきたのが日本人だったのでしょう。足利尊氏も、後醍醐天皇を滅ぼしたけれども、その後醍醐天皇の菩提を弔うためにわざわざ、後醍醐天皇のおじいさん・ひいおじいさんが建てた離宮に天龍寺を建てた。これはそういう歴史、その土地が持ってきた風土を知っていたと同時に、ずっと大事にすることが当たり前であったからなのではないか。そういうことを大事にすることが、極めて重要なんだと。

東京の人にこういう話をするのは本当はどうなのかなとも思いますが、東京というのは新しい街で、そういう千年単位での長いスパンではあまり記憶されていない土地柄なのかもしれません。逆に言うと、ヨーロッパの近代主義、グローバルなもので、東京という街をつくることが、近代都市としての機能を携えた良い街であるという、そういう欧米重視伝説の上に成り立っているのですが、本当にそうなのでしょうか、ということ。

もちろん、江戸は江戸なりの、例えば浅草の文化やいろんなものもあるでしょうし、そういうのを大事にしている所は今でも残ってるはずですが、より風土や文化を大切にすることに目を向けるのがこれからを考えるキーワードであると私は思っています。

ただし、ですね。物というのは何でも大事なんですよね。人も、有名な人物が大事だけじゃなくて、一般の人みんなの生活、それぞれが大事なんです。けれどもですね、特殊なものでないと代表できない、残らない、ということがあります。

たとえば、昭和という時代はいろんな人がいて、昭和の時代に生きた人はみんな立派だと思います。というか、みんながそれぞれ意味があると思うんですが、やはり昭和という時代を考えたときに、たとえば美空ひばりや石原裕次郎、そういう人を思うことで、その時代が象徴される。

いま大河ドラマで『軍師官兵衛』をやってますが、あの戦国時代を代表する人として黒田官兵衛を考えることがあの時代を象徴している。場所にしてもそうで、特殊な場所であるからこそ日本を代表するようなものになる。吉野と嵐山の関係を含めて、吉野にはそういうものがたくさんある、ということでございます。それぞれが持ってきた歴史、風土を大事にする中で、特殊なものがその風土全体を代表するということが言えるのだと思います。

(中略)吉野には長い歴史があって、たぶんあとこの講座も、それぞれの時代の中で吉野とかかわりの深かった人が次々と紹介されます。今日は「亀山上皇と後嵯峨上皇、吉野と嵐山」ということでお話ししましたが、ともかく吉野の嵐山が本家で、京都の嵐山は分家であるということだけ分かっていただければ、本日の話は成功したと思います(笑)。ご静聴ありがとうございました。

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最後は筆者渾身の蛇足です(笑)。近代との戦いに挑んできた私の真骨頂のまとめですが…。全7回…長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。みなさまの暖かいご感想をお待ちしています。
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