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田中利典師の「人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり」

2024年10月07日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「人の悪きことはよくよく見ゆるなり…」(師のブログ 2016.10.31 付)。これは蓮如上人の言葉で、原文は〈人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり〉。
※トップ写真は、ウチの近隣公園の桜。コロナ渦中(Stay Home 中)の2020.3.30に撮影

今回の文章の中に〈九紫火星生まれの人は一見冷静沈着のように見えるけど、一端切れると抑えが効かない性分なんだそうな〉というくだりがある。利典師は、「九紫火星」(1955年)のお生まれだったのだ。その性格は、まさにお書きの通りと言われている。

私は「二黒土星」(1953年)の生まれで、一般に〈温和で人当たりがよく、母性あふれる包容力で慈しむ世話焼きタイプ。忍耐強く、縁の下の力持ち役で周りを支えます。穏やかで明るく、みんなに愛されます〉。しかも「九紫火星」の人とは相性が抜群だそうなので、利典師とは、これからも末永くお付き合いいただきたいと、勝手に願っている。では、以下に全文を抜粋する。

「人の悪きことはよくよく見ゆるなり…」ー田中利典著述集281031
過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ欄「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。今日のは、もう20年ちかくも前の、恥さらしなお話。実はこの夏にもスピード違反で捕まったことがあり、なんだかちっとも進歩していないとあいかわらず反省をしています。

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「人の悪きことはよくよく見ゆるなり…」
先日覆面パトカーに捕まった。まっすぐに伸びた走りやすい高速道路で、本人としては、のほほんと走っていたつもりなんだが、制限速度をオーバーしていたらしく、検挙されてしまったのである。

言ったって始まらないと知りつつも、「こんな道路でせこい速度違反を捕まえて、誰が幸せになるちゅうねん」と、思わず違反切符を前にして、警察官に悪態をついてしまった。まったく愚かなことであり、今から思えば、気の毒に、あのときの警察官こそよい面の皮であったろう。

愚かなことと言えば過日、家内と待ち合わせをして、家内が場所を勘違いした。待つ間、なんだか無性に腹が立ってきて、顔を見るやいなや罵詈雑言を雨霰のように浴びせて、人前で大泣きさせてしまったことがある。たかが僅かな時間の遅れである。ホントにホント、愚かなことであった。

九紫火星生まれの人は一見冷静沈着のように見えるけど、一端切れると抑えが効かない性分なんだそうな、などど聞かされると、そうかそうか、あれは九紫火星のせいなんだと、などと、おのれの愚かさはさておき、得心してしまう。益々愚かさに磨きが掛かってしまっている。

「人の悪きことはよくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり」とは蓮如上人の文言であるが、正にそのとおりで、自分の愚かさに本当に目覚めていないから、繰り返し繰り返し同じような愚行をやってしまうのである。

時々でよいから、自分の愚かさと、正面から向き合ってみるのは大切なことである。人前でいくら虚勢を張ってみたって、いいふりを取り繕っていたって、所詮たかが知れているのは自分自身が一番よく知っている。愚行によって、やっと本当の自分に気づくようでは情けない話なのだが、何度繰り返しても一向に気づかない方がもっともっと情けないことになる。

「脚下照顧(きゃかしょうこ)」(あしもとをみよ)によってこそ、自らの根底からの改まりが始められるのではあるまいか。…などと反省ばかりしている今日この頃である。「反省は猿でもする」と言われても仕方がないところであろう。
ー「金峯山時報370号(1997年10月号)所収、蔵王清風」より

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この夏、捕まったと書いたが、このときにはさすがに悪態はついていない。そこだけ、ちょっとは大人になったかな。
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