エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

 甃のうへ 

2008-04-24 | 教育を考える
                【さくら咲く】  


  今朝は春の雨、庭の新緑が落ち着き、いっそう鮮やかに見える。この時期になると、いわきにいたころ授業中に生徒と眺めた、教室前にあったサクラを思い出す。サクラの花びらが舞い散る情景が懐かしく、目に浮かんでくる。
 それは工業高校の専門の授業だったが、達治の詩「甃のうへ」を板書し、流れる花びらを眺めながら我が青春の感動を語ったものだ。忘れられない、いわきの春の思い出だ。
生徒にはいつもこころ豊かな工業技術者であって欲しい願いからの話しであった。

 ついこの前、長い戦後教育の反省からようやくたどり着いた「ゆとり教育」の見直しが打ち出された。学力不足が言われるが、入試のための勉強が本来の教育ではない。その人の人生観、自然観、哲学は、試験の為の知識の詰め込みからは生まれるはずはない。本当に大切な真の学力や 本当に大切なことは、常に学び続ける意欲、能力であり、社会の変化に主体的に対応できる人間の育成である。さらに感性、情緒などの心と頭とを統合する学習経験こそが大切だ。

 芽吹き始めたみどりや小鳥たちのさえずり、さらには文字の連なりからなる一編の詩に動かされるこころこそが大事だと思う。生きゆく時間の中でのこうした感動こそは人として生きる豊かさに違いない。

昨年の今頃のブログにも同じようなことを書いていた。サクラを眺めるときいつも、心を打つ『甃のうへ』を口ずさんでいる。 
 ★【(参)拙ブログ 「花の散り始めるサクラ」 2007-04-23 】
【http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/27069bc3e62bca7885cb77a272646e63】

  『甃のうへ』    三好達治

  あわれ花びらながれ
  をみなごに花びらながれ
  をみなごしめやかに語らひあゆみ
  うららかの跫音空にながれ
  をりふしに瞳をあげて
  翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
  み寺の甍みどりにうるほひ
  廂々に
  風鐸のすがたしづかなれば
  ひとりなる
  わが身の影をあゆまする甃のうへ