チラチラ雪も舞うがときどき陽も差す穏やかな日となった。最高気温も2℃まで上がったらしい。
そんな穏やかさに誘われて散歩がてらにお城へ行った。
目的は、2つ。昨年秋に建てられた司馬遼太郎文学碑と、野鳥観察がてらお墓へ。
先日も絵ろうそくまつりでお城へ行ったが、初めて碑の前に立った。
碑文は噴火の際の磐梯石の表と裏に埋め込まれてた銅板に刻まれていた。
場所は、三の丸、博物館入り口の秋月悌次郎歌碑の近くで、同じく昨年建てられた山本八重像の横だ。
碑文には、随筆「歴史を紀行する」と、小説「王城の護衛者」からの抜粋文で、なるほど、本当の会津を表現する司馬さんの心だと思った。
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《会津藩というのは、封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作のように思える。》(「歴史を紀行する」)
《容保が、京を戦場に死のう、といったとき、慟哭の声がまず廊下からあがった。この声はまたたくまに満堂に伝播し、みな面を蔽(おお)って泣いた。
「君臣、相擁し、声を放って哭(な)けり」
と、この情景を、劇的な表現で会津の古記録は語っている》(「王城の護衛者」)
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【司馬遼太郎文学碑】
いずれもときどき手に取っている著書だが、あらためて司馬さんからいろいろ教えられていることに感謝した。
入院の度に持参したのは、きまって「街道をゆく」シリーズで、歴史を思い、人間を思い、生き方を思った。
遠い昔から積み重ねられたそれぞれの土地の歴史をたどり、知らないことを知る。その都度、実に楽しい旅となった。
碑を撮り、続いて八重像と悌次郎歌碑を写した。 近くに土井晩翠先生の像もあった。
【八重の像】 【秋月悌次郎 歌碑】 【土井晩翠先生の像】
【拙ブログ『神のような人 秋月悌次郎』2010-04-15 | 文芸
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/0d6cbe95f4879840ef2d14b66c011010 】
城の南口にあるお墓へ参った。膝上の雪を固めながら進んで、父に母に元気を報告した。
お城のお堀はすべて全面結氷、いつも見るサギやカモの姿は見あたらなかった。
野鳥も少なく、カラス以外はカシラダカに会っただけだった。
お城はいつも凛としてそびえていた。雪吊りの多行松が美しかった。
【荒城の月歌碑】 【鉄門(くろがねもん)】
今度はお彼岸にみんなで訪ねることだろう。待ちわびる本当の春も近い。
観光客がちらほら、今日は芦ノ牧温泉か?東山だろうか?