中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

たくましき世代

2008-11-22 09:57:50 | その他
 先週こそはと、釣行計画をたてていたのだが、親戚に不幸があってそれどころではなくなった。 そしてオヤジと共に葬式へ行くことになった。一通り式が進み、食事の時間になった。こういう時によくあるパターンだが、昔話に花が咲き、やがてはオヤジ達兄妹の少年時代の話題になっていった。

 オヤジは5人兄妹の2番目で次男として生まれた。故郷は和歌山の田舎町?=というよりも田舎そのものだが、時代は戦前、少年だった頃のオヤジ達兄妹は家業のお祖母さん(私ににとっての)食品、日用品から釣具までが揃う「何でも屋」と、お祖父さん(私ににとっての)がやっていた大工との兼業を手伝いをする毎日だったそうだ。
 しかし、時代が時代だけに物資が豊富にあるわけでもなく、大事な商品を取り崩して使ったり、食べたりする訳にはいかないので、半ば自給自足の生活をしていたそうだ。日常の糧を得るのは近くの自然の中だ。川ではアユ、ウナギを、海ではイガミ(ブダイ)やグレ(メジナ)を釣り(あるいは獲り)、山では鳥を捕まえて食卓に添えることがよくあったそうだ。
 当時は粗末な道具しかないので、時にはそれに手を加えてより使いやすくしたり、時には道具そのものを一から作っていたそうだ。更に大工の手伝いもさせられていたので、特に男兄弟はみんな「おかげで手が小器用になった」と言っていた。そして、兄妹あるいは一人で知恵を絞り、よりたくさんの獲物を捕るための努力をしていたそうだ。

 以前にこのブログでも触れたが、少年時代に人から与えられる、「出来合い物」ばかりで育った人間よりも、自分で考え、工夫することを覚えた人間の方が困難に遭遇した時にはそれに立ち向かう根性が湧きたち、それを乗り越える知恵が働くのでは?と、小野田寛郎さんも言っていた。オヤジの人生に振り返ってみると、それも正解かなと思える。

 オヤジは明治生まれの両親の元に生まれ、日々家業の手伝いを無償で行い、学校では戦前、戦中の軍国主義教育を受けて育ったが、中学卒業のあたりで敗戦を迎えて方針が180度変わり、「今日から民主主義ですよ」と言われた世代だ。
 その後、オヤジは頑張って勉強し、某国立大学を卒業したが、運が悪いことに卒業寸前に朝鮮戦争の好景気が終わり、一変した大不況の中での就職活動の末にようやく見付けた仕事が全国ドサ回りの営業部員という仕事だった。
 この時代には、それこそ極寒の北海道網走で地元のおばあさんに同情され「何の事情があってここに来たのかは知らんが、不憫じゃの~。」と泣き出されるような環境の中、汽車を乗り継ぎ、営業マンとして全国を回っていたそうだ。
 そんな苦労をしながらも数年経ったある日、労働争議に巻き込まれ、あえなく退職(というかクビ)せざるを得なくなり、その後母と縁があって結婚して中島物産を引き継ぐが、何度もの危機を乗り越えようやく落ち着いた頃にバブルが崩壊するという波乱万丈の人生を送った。
 そんな人生を送り、今80歳近くになったが、一貫して言えることは心身共にタフだということだ。こんな人達がそこら中に沢山居たからこそ、我が日本は戦後奇跡の復興を果たしたのだろう。

 オヤジの人生を見ると、少なくとも幼少から培った体験や苦労が身になり、知恵となるということは確かなようだ。私もその血を引き継いではいるはずだが、まだまだ足りないのだろう。やがて我が息子がワタシの人生を振り返る時には「オヤジはタフだった。」と言われてみたいものだ。そのためにはまだまだ修行が必要だ。また、我が息子が未来の我が孫にそう言われるよう、いろんな経験を子供に積ませてやりたいと思う、今日この頃なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする