中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

一次産業の衰退

2009-04-18 12:39:38 | その他
 このブログで以前にも触れたが、東京以外の日本テレビ系列で放送されている「たかじんのそこまで言って委員会」という番組を毎週欠かさず見ている。これは政治、経済、環境など今問題とされている事柄をテーマとしてとり上げ、それを解説をするゲストとメンバーとの意見のやり取りを見る番組だが、毎回画面に向かって嫁さんと二人で「そうや、そうや」とか「それはないんとちゃうか~」とツッコミを入れつつも意見を交わしている。そんな中、先々週でとり上げられたのが日本の農政だった。

 何でも日本の農政は減反政策により農家は補助金漬けになり、やる気をそがれている現状に加え、そこに生まれた優遇政策や利権を悪用する人達がはびこっているそうだ。それを監督するハズの役人達も例の如く誰も責任を取らないしというか、そもそも責任を取るシステム自体が存在しないという、聞き飽きたパターンになっているのを知った時には、怒りや呆れを通り越してしまっているワタシが居た。

 何もコレは農業に始まったことではない。それは釣りをしていればよく理解できることだ。

 ワタシ自身、全国各地の海で釣りをしているが、「何故こんな田舎の防波堤が立派に作られ、しかも不相応に広い埋め立て地が広がっているのか?」であるとか「ある特定の漁村の船や家が近隣の地区と比べて立派に、豪華になっているのか?」と感じることがよくある。釣りをしながら船頭さんに聞いたり、後で調べたりすると、不適切な税金投入の結果であったり、発電所建設に対して、ただただ反対者を黙らすための保証金を受け取った結果であったりすることが多いようだ。その結末に漁民のヤル気が増し、漁村の繁栄があれば文句はないが、そんな話はあまり聞かない。

 新たに渓流釣りを始めると、それまで気が付かなかった内水面での問題や矛盾を「今更ながら」感じるようになった。以前にも書いたが、日本の河川は大小様々な堰とダムだらけだということに気が付いた。今でこそ大阪府の橋下知事を始めとする建設反対派の意見が高まった結果、建設を断念したダムもぼつぼつと増えているが、実際に川を歩き、そこかしこに建設されている現実を目の当たりにすると、こと環境面に関してはもう手遅れのような気がする。そんな中、とある釣り場ガイド本を読んだ後に疑問を持ったので調べていると、ある河川での象徴的な話に行き着いた。

 とある河川の誇り高き川漁師達は、昔は豊かだった川の幸で生計を立てていた。やがてその川の上流に発電用のダムが出来ることになったが、それと同時にダムの機能を保持するためには年に数回底に溜まった土砂や泥を抜かなければならないことにもなった。土砂や泥を流すとどうなるかというと、魚たちは土砂に飲み込まれて死んでゆくことで激減し、底石は埋まり、生態系のサイクルそのものが破壊されてしまうのだ。そして今、その川で生計を立てていた川漁師達の多くは誇りを棄て、補助金をもらって養魚場を運営し、そこで育てた魚をその川に戻すことで生計を立てて居るそうだ。しかしながら、毎年魚は土砂に流されるので、始めから流されることを織り込んだ放流をするという、魚たちにとってははなはだ迷惑であり、「何のために増やし、放流するのか?」という部分が本末転倒な状態になっているのだ。

 他の河川についても一部を除き、似たり寄ったり、もしくはそれ以下の状況下にあるようだ。ヤル気のない漁協の場合だと、補助金と釣り人から徴収した遊漁料で養魚場から魚を購入し、それを放流してその年の活動はほとんどオシマイで、あとは川がどうなろうとほとんど無関心という風に見える。そこに放流する魚にしても問題がある。本来ヤマメが生息しているハズの河川に「近くの養魚場の条件ではこちらの方が飼育しやすいから。」という理由でアマゴを放流している漁協が結構あるのだ。ただコレはマシな方で、ワタシが実際に、このブログでもレポートしたように、外来種であるニジマスを「価格が安いから」という理由で放流している河川も多いようだ。イワナを含めてこれら鱒族は交雑するのでタチが悪く、日本固有の天然種なんてモノの運命はすでに「風前のともしび」になっているのだろう。無秩序な放流は「生態系の破壊」へと繋がるので、悪者扱いする人が多いブラックバス(コレも最初は食用として輸入されたのだが…。)だけを批判出来ない現実がここにあると思う。
 固有種を守るために活動している釣り人達も居ると聞くが、現在の環境下であっても、ある程度は受け入れないと渓流釣りは成立しないと思うし、ワタシ自身も情けないかな、場違いなアマゴであれニジマスであれ実際に釣れれば楽しいので、自己矛盾があるのは確かだ。だからエラそうなことは言えないのだが…。

 渓流から山を眺めても同じことが言える。コレも以前に触れたが、不自然に杉や檜ばかりに植林された挙げ句、売れずに放置されている山が多くある。コレも政策の失敗や補助金漬けのなれの果てなのだろう。

 今頃になって「食料自給率が4割しかない!」と都会の皆は騒ぎ、やれ「国産品を」であるとか「地産地消を」とか叫んでいるが、これほどまでに農業、漁業、林業という一次産業が荒廃してしまった現在では立て直すことは困難を極めると思うし、単に消費者の気まぐれや御都合だけで「増産しろ」と言っても、すぐには無理な話だ。
 恐らくそういった流れを地方=特に田舎で暮らす人達はとっくに気が付き、小さな叫び声を上げていたのだと思う。しかしながら、それが届かず諦めた結果が今日の状況なのだろう。
 せめて、これ以上の荒廃を防ぐ為にも我々と、その後を継いでゆく子供達、特に都会で暮らす子供達が自然を見、手に触れる機会を増やし、そこで共に何かを感じることの大切さを更に痛感している今日この頃なのである。
コメント
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