我々日本人は迷信っぽい話であっても、不確かな噂話の類であっても、猪突猛進してパニック状態になることがある。
オイルショック時のパニックは良い例で、石油原料とはあまり関係のない「トイレットペーパーの買い占め」が起こった。当時ワタシは小学4年生くらいだったが、オカンが買い込んだトイレットペーパーが、屋根裏倉庫に積まれて、クイズのハズレ商品の「○○一年分」よろしく、それこそ「拭ききれない数」になっていたのを思い出す。
この場合、「右から左」で飛ぶように売れた製紙業者が、ほくそ笑んだくらいで、誰にも大した迷惑がかからなかったろうから、結局今となっては笑い話のようになってしまうが、笑えない話もいくつかあるように思う。
今までに環境問題についての取り組みや市民運動が各地で起こっているが、その成果が「ホンモノだったのか?」という検証が必要だ。
そこで1970年代に滋賀県で起こった「粉石けんの推奨と洗剤の無リン化運動」の現状はどうなっているのだろうかと調べてみた。
http://jsda.org/w/06_clage/4clean_197-3.html
http://eco.goo.ne.jp/word/nature/S00004_qa.html
http://www.aquabiwa.jp/aqua/env-quality.html#t03
この運動は「洗剤に含まれるリン」が琵琶湖の富栄養化=水質汚染の「最悪玉」だとして「リンを含む合成洗剤」を追放する条例の制定までに至った運動だ。しかし、上記H.P.の資料によると、運動後、現在に至るまで琵琶湖内のリンの割合はじりじりと下がってはいるものの、水質に関していうと、透明度に関してはほとんど横ばいで改善されていない状況のようだ。逆にその他の湖内の汚れを示す「COD(化学的酸素要求量)」や「クロロフィルa」、「DO(溶存酸素)」の数値はじりじりと上がって悪化しているようだ。
これらをシロート考えで分析?してみる。運動発足以降の「洗剤の無リン化」、「1970年台初頭には普及率5%以下だった下水道普及率が2000年前後には65%を越えた」等の努力は、洗剤に含まれるリンを入口と出口で封鎖するにも等しい。であったのにもかかわらず、汚染の数値が横ばい、もしくは、じりじりと悪化しているのであれば、「洗剤のリンは主犯ではなかったのでは?」という予測がたってくる。
やはりそれは正解だったのか、琵琶湖の石けん運動を進めてきた、びわ湖会議も、最近では総合的な運動に方針転換をしているということらしい。
総合的に考えるというのなら、シロートのワタシにも思い当たるフシがある。
ワタシには今から15年ほど前、バス釣りに凝って琵琶湖通いをした時期があった。その時の経験だが、ワンドの中に田んぼのドロ濁りが入ると、エラのドロ詰まりの影響なのか、土中に含まれる農薬の影響なのかは解らないが、大量の小魚が腹を返して浮かぶ姿を見ることがあった。
他にもある。
琵琶湖の周囲には元々アシが多く茂っていた。アシには水質浄化機能があり、琵琶湖固有の魚達の産卵場であるハズなのに、多くが伐採されて湖岸道路が整備されているが「これらも水質悪化の原因の一つでは。」とも思っていた。(今では植え直す運動もあるらしいが…。)
別に滋賀県民でもないワタシが、釣りをしながら琵琶湖を見ただけでこれくらいのことは思い当たったのに、その当時に「リン以外にも原因になりそうなものがあることに何故気付かなかったのか」ということに不思議さを感じる。
とにも、かくにも、この運動の影響で、例えばもし、無リン化した洗剤が作れずに倒産した会社があったり、リンを配合した洗剤の在庫を抱えて苦労した会社や個人があったとしたら、気の毒でならない。当時を振り返った記述の一部に「結果はともあれ、市民の運動が企業や行政を動かしたのは評価できる。」とあるのを見て、なんとなく無責任だと思うのはワタシだけだろうか?。
当時も今もリンは汚染原因の一つには違いないということなので、手遅れになる前に手を打ったのは「仕方がないこと」だったのかも知れないが、一つの現象や物質を捉えて、みんなで魔女狩りのように吊し上げるのは、総合的な判断が出来ないうえ、本質が見えず、危険な行為だと思う。近頃でも、環境問題や食品等に対し、いい加減なデータや根拠づけをもって「○○悪者説」を唱えて世間を扇動する本=トンデモ本が出版されたり、運動が起こることがある。だが、それを受け止める側の我々一般庶民は、決してヒステリックにはならず、慎重に判断する姿勢が必要だと思うのだが、どうだろうか…。
オイルショック時のパニックは良い例で、石油原料とはあまり関係のない「トイレットペーパーの買い占め」が起こった。当時ワタシは小学4年生くらいだったが、オカンが買い込んだトイレットペーパーが、屋根裏倉庫に積まれて、クイズのハズレ商品の「○○一年分」よろしく、それこそ「拭ききれない数」になっていたのを思い出す。
この場合、「右から左」で飛ぶように売れた製紙業者が、ほくそ笑んだくらいで、誰にも大した迷惑がかからなかったろうから、結局今となっては笑い話のようになってしまうが、笑えない話もいくつかあるように思う。
今までに環境問題についての取り組みや市民運動が各地で起こっているが、その成果が「ホンモノだったのか?」という検証が必要だ。
そこで1970年代に滋賀県で起こった「粉石けんの推奨と洗剤の無リン化運動」の現状はどうなっているのだろうかと調べてみた。
http://jsda.org/w/06_clage/4clean_197-3.html
http://eco.goo.ne.jp/word/nature/S00004_qa.html
http://www.aquabiwa.jp/aqua/env-quality.html#t03
この運動は「洗剤に含まれるリン」が琵琶湖の富栄養化=水質汚染の「最悪玉」だとして「リンを含む合成洗剤」を追放する条例の制定までに至った運動だ。しかし、上記H.P.の資料によると、運動後、現在に至るまで琵琶湖内のリンの割合はじりじりと下がってはいるものの、水質に関していうと、透明度に関してはほとんど横ばいで改善されていない状況のようだ。逆にその他の湖内の汚れを示す「COD(化学的酸素要求量)」や「クロロフィルa」、「DO(溶存酸素)」の数値はじりじりと上がって悪化しているようだ。
これらをシロート考えで分析?してみる。運動発足以降の「洗剤の無リン化」、「1970年台初頭には普及率5%以下だった下水道普及率が2000年前後には65%を越えた」等の努力は、洗剤に含まれるリンを入口と出口で封鎖するにも等しい。であったのにもかかわらず、汚染の数値が横ばい、もしくは、じりじりと悪化しているのであれば、「洗剤のリンは主犯ではなかったのでは?」という予測がたってくる。
やはりそれは正解だったのか、琵琶湖の石けん運動を進めてきた、びわ湖会議も、最近では総合的な運動に方針転換をしているということらしい。
総合的に考えるというのなら、シロートのワタシにも思い当たるフシがある。
ワタシには今から15年ほど前、バス釣りに凝って琵琶湖通いをした時期があった。その時の経験だが、ワンドの中に田んぼのドロ濁りが入ると、エラのドロ詰まりの影響なのか、土中に含まれる農薬の影響なのかは解らないが、大量の小魚が腹を返して浮かぶ姿を見ることがあった。
他にもある。
琵琶湖の周囲には元々アシが多く茂っていた。アシには水質浄化機能があり、琵琶湖固有の魚達の産卵場であるハズなのに、多くが伐採されて湖岸道路が整備されているが「これらも水質悪化の原因の一つでは。」とも思っていた。(今では植え直す運動もあるらしいが…。)
別に滋賀県民でもないワタシが、釣りをしながら琵琶湖を見ただけでこれくらいのことは思い当たったのに、その当時に「リン以外にも原因になりそうなものがあることに何故気付かなかったのか」ということに不思議さを感じる。
とにも、かくにも、この運動の影響で、例えばもし、無リン化した洗剤が作れずに倒産した会社があったり、リンを配合した洗剤の在庫を抱えて苦労した会社や個人があったとしたら、気の毒でならない。当時を振り返った記述の一部に「結果はともあれ、市民の運動が企業や行政を動かしたのは評価できる。」とあるのを見て、なんとなく無責任だと思うのはワタシだけだろうか?。
当時も今もリンは汚染原因の一つには違いないということなので、手遅れになる前に手を打ったのは「仕方がないこと」だったのかも知れないが、一つの現象や物質を捉えて、みんなで魔女狩りのように吊し上げるのは、総合的な判断が出来ないうえ、本質が見えず、危険な行為だと思う。近頃でも、環境問題や食品等に対し、いい加減なデータや根拠づけをもって「○○悪者説」を唱えて世間を扇動する本=トンデモ本が出版されたり、運動が起こることがある。だが、それを受け止める側の我々一般庶民は、決してヒステリックにはならず、慎重に判断する姿勢が必要だと思うのだが、どうだろうか…。