人生、とりわけ青年期に良き師に出会うことはその後の生き方に大きな影響を及ぼす。師と呼ばれる人にも色々あって「ほめて伸ばすタイプ」や「スパルタ・タイプ」等、いったいどれが正解なのか判断することは難しい。
「ほめて伸ばすタイプ」の第一は吉田松陰を挙げたい。少し前に読み終えた司馬遼太郎著「世に棲む日々」は、まさに良き師と生徒(弟子?)との出会いと、その後を綴っている。
この小説は日本の将来に危機感を持った吉田松陰がアメリカへの密航を企て、失敗し、後に死罪になるまでの間、山口県の萩で開いていた松下村塾(しょうかそんじゅく)が前半の舞台になっている。そこに塾頭として通い、松陰の死後はその遺志を受け継いだ高杉晋作と彼の死までを描いた作品だ。
何しろ師である吉田松陰は司馬遼太郎氏に「吉田寅次郎(松陰)という人物はあらゆる人物に対し、おそろしいばかりの優しさを持った人物で、しかもその優しさと聡明さをもって人の長所を神のような正確さで見抜き…。」と言わしめた人物だ。だから吉田松陰の指導を受けた青年達は後の人生において、その能力を最大限に発揮してゆく。松下村塾で学んだ人物としては他に伊藤博文がおり、やや期間が短いので?マークが付くが山県有朋や、その他の明治政府の要人を多数輩出している。また塾生ではないが門人の一人として木戸孝允らにも影響を与えているということだから、日本の将来を担ぐ(維新を担う)人達に一つの基軸を教えたのが吉田松陰だと言っても過言ではない。
「スパルタ・タイプ」としてはマイナーな存在だが、ワタシ自身が生徒として一部を実体験している、兵庫県西宮市立今津中学の音楽教師「得津武史先生」をあげたい。
この先生が指揮する当時の今津中学ブラスバンド部は何年もの間、全国コンクールで金賞を取り続けており、出身者の中には数々の有名ミュージシャンとの競演で知られ、ワタシの尊敬するドラマーである、「村上”ポンタ”秀一氏」等が居る。
その先生の生涯を描いたのが「天国のマーチ~得津武史の生涯」という小説だ。
この小説の存在を知ったのは偶然にもワタシの爺さんのことを調べていたときのことだった。ワタシの爺さんは和歌山県出身で、上海事変の際は砲兵連隊の一員として出征していたが、その連隊について調べていると、時期は異なるが、同じ連隊に何とその得津先生が属しており、その事について詳しく書かれたのがこの小説だと知ったのだ。そしてその後、購入に至った次第だ。
小説の内容や出来は???だったが、当時を振り返るには充分だった。
このブラスバンド部の練習量はものすごい。それこそ甲子園を目指す強豪高校の球児並だ。何しろ朝は早朝から授業が始まるまで、その後は昼休みも、モチロン放課後も夜8時頃(あるいはもっと遅かったかも…)まで毎日繰り返しており、部員に正月以外の休みは基本的にない。
得津先生はスパルタ指導&強烈なキャラクターの人物だ。練習内容は部員ではなかったワタシには小説で読んだ範囲と当時に部員から漏れ聞いた話でしか、うかがい知れないが、大声で怒鳴られるのはモチロンのこと、簡単に折れてしまう指揮棒に変わって「天ぷら棒」と呼ばれる料理用の菜箸(さいばし)で容赦なくビシビシと叩き(シバき)まわされ、更に覚えが悪い場合にはマジックで顔にひげを書かれた部員まで居たようだ。
我々一般生徒が先生の授業を受けることもあるにはあったが、それは申し訳程度の回数で、しかも、「おまえらは足が臭いから音楽室には入れたくない」だの「カーペットのゴミを拾え」だのと言って生徒を困らせることが多かった。その貴重な授業?以外は何故かもう一人居た別の音楽教師が受け持つことが多かったから、どうやら先生はブラスバンド専属という待遇で今津中学に在籍していたようだ。小説でも触れられていたが、昼寝をするために先生専用のベッドが隠し置かれており、そんな点を見ても今の常識は全く通用しない教師であった。「言われてみれば納得」の話だが、先生は当時隆盛を誇った日教組にも所属していなかったということだから、そのハミ出しぶりは今となっては凄まじい。
そんな得津先生だったが、ウラの部分では部員の行く末を案じ、深い愛情を持った先生であることはブラスバンド部員はよく感じていたそうだ。だから部員の多くに愛され、慕われ続けていたのだろう。我々一般の生徒にとっても、どこかでユーモアを感じさせる部分があって何故か憎めない存在であったのは確かだ。
「ほめて伸ばす」吉田松陰にしても「スパルタ」の得津武史先生にしても、アプローチは違えど師と生徒(弟子?)を結ぶのは信頼関係だ。今は「個性」が優先され「体罰」が否定される時代であるのかも知れないが、モチロン相性もあるだろうけど、個人的意見としては大事なのはお互いの信頼関係で、それさえあれば、どちらであっても構わないような気がする。かく言うワタクシめは、自分で言うのも何だが、ひねくれ、ネジ曲がった青年期を送っていただけに自分側に信頼される要素がなかったせいか、「師」と呼べるほど大きな存在に出くわした経験がない。だからそのような経験をした人がうらやましい。そんな風に感じた2冊であった。
「ほめて伸ばすタイプ」の第一は吉田松陰を挙げたい。少し前に読み終えた司馬遼太郎著「世に棲む日々」は、まさに良き師と生徒(弟子?)との出会いと、その後を綴っている。
この小説は日本の将来に危機感を持った吉田松陰がアメリカへの密航を企て、失敗し、後に死罪になるまでの間、山口県の萩で開いていた松下村塾(しょうかそんじゅく)が前半の舞台になっている。そこに塾頭として通い、松陰の死後はその遺志を受け継いだ高杉晋作と彼の死までを描いた作品だ。
何しろ師である吉田松陰は司馬遼太郎氏に「吉田寅次郎(松陰)という人物はあらゆる人物に対し、おそろしいばかりの優しさを持った人物で、しかもその優しさと聡明さをもって人の長所を神のような正確さで見抜き…。」と言わしめた人物だ。だから吉田松陰の指導を受けた青年達は後の人生において、その能力を最大限に発揮してゆく。松下村塾で学んだ人物としては他に伊藤博文がおり、やや期間が短いので?マークが付くが山県有朋や、その他の明治政府の要人を多数輩出している。また塾生ではないが門人の一人として木戸孝允らにも影響を与えているということだから、日本の将来を担ぐ(維新を担う)人達に一つの基軸を教えたのが吉田松陰だと言っても過言ではない。
「スパルタ・タイプ」としてはマイナーな存在だが、ワタシ自身が生徒として一部を実体験している、兵庫県西宮市立今津中学の音楽教師「得津武史先生」をあげたい。
この先生が指揮する当時の今津中学ブラスバンド部は何年もの間、全国コンクールで金賞を取り続けており、出身者の中には数々の有名ミュージシャンとの競演で知られ、ワタシの尊敬するドラマーである、「村上”ポンタ”秀一氏」等が居る。
その先生の生涯を描いたのが「天国のマーチ~得津武史の生涯」という小説だ。
この小説の存在を知ったのは偶然にもワタシの爺さんのことを調べていたときのことだった。ワタシの爺さんは和歌山県出身で、上海事変の際は砲兵連隊の一員として出征していたが、その連隊について調べていると、時期は異なるが、同じ連隊に何とその得津先生が属しており、その事について詳しく書かれたのがこの小説だと知ったのだ。そしてその後、購入に至った次第だ。
小説の内容や出来は???だったが、当時を振り返るには充分だった。
このブラスバンド部の練習量はものすごい。それこそ甲子園を目指す強豪高校の球児並だ。何しろ朝は早朝から授業が始まるまで、その後は昼休みも、モチロン放課後も夜8時頃(あるいはもっと遅かったかも…)まで毎日繰り返しており、部員に正月以外の休みは基本的にない。
得津先生はスパルタ指導&強烈なキャラクターの人物だ。練習内容は部員ではなかったワタシには小説で読んだ範囲と当時に部員から漏れ聞いた話でしか、うかがい知れないが、大声で怒鳴られるのはモチロンのこと、簡単に折れてしまう指揮棒に変わって「天ぷら棒」と呼ばれる料理用の菜箸(さいばし)で容赦なくビシビシと叩き(シバき)まわされ、更に覚えが悪い場合にはマジックで顔にひげを書かれた部員まで居たようだ。
我々一般生徒が先生の授業を受けることもあるにはあったが、それは申し訳程度の回数で、しかも、「おまえらは足が臭いから音楽室には入れたくない」だの「カーペットのゴミを拾え」だのと言って生徒を困らせることが多かった。その貴重な授業?以外は何故かもう一人居た別の音楽教師が受け持つことが多かったから、どうやら先生はブラスバンド専属という待遇で今津中学に在籍していたようだ。小説でも触れられていたが、昼寝をするために先生専用のベッドが隠し置かれており、そんな点を見ても今の常識は全く通用しない教師であった。「言われてみれば納得」の話だが、先生は当時隆盛を誇った日教組にも所属していなかったということだから、そのハミ出しぶりは今となっては凄まじい。
そんな得津先生だったが、ウラの部分では部員の行く末を案じ、深い愛情を持った先生であることはブラスバンド部員はよく感じていたそうだ。だから部員の多くに愛され、慕われ続けていたのだろう。我々一般の生徒にとっても、どこかでユーモアを感じさせる部分があって何故か憎めない存在であったのは確かだ。
「ほめて伸ばす」吉田松陰にしても「スパルタ」の得津武史先生にしても、アプローチは違えど師と生徒(弟子?)を結ぶのは信頼関係だ。今は「個性」が優先され「体罰」が否定される時代であるのかも知れないが、モチロン相性もあるだろうけど、個人的意見としては大事なのはお互いの信頼関係で、それさえあれば、どちらであっても構わないような気がする。かく言うワタクシめは、自分で言うのも何だが、ひねくれ、ネジ曲がった青年期を送っていただけに自分側に信頼される要素がなかったせいか、「師」と呼べるほど大きな存在に出くわした経験がない。だからそのような経験をした人がうらやましい。そんな風に感じた2冊であった。