年をとったせいか、近頃、今やっていることが「あと、何年間続けられるのか?」ということを気にするようになってきた。例えば磯釣りや渓流釣りであれば、足腰が衰えすぎないように気を使っていれば20年くらい、船釣りだともう少し伸びて25年くらいだろうか?。
釣りの場合はまだ良い。年間の釣行数は20日以上あるので、少なくとも4~500回は行ける計算になり、余裕はまだあるが、スキーとなると話は別だ。現在でも年間の滑走日数が平均4日程度なうえ、体力的にやれそうな年数は既に15年を切っているだろう。したがって、計算上は残された時間が60日程度になるのだ。
そんな中にあって、更なるピンチがやってきた。昨年まで我が家では、スキー旅行が冬場の定番イベントであったのだが、ナゼか今年は息子が行きたがらないのだ。何度か説得しても譲らず、首を縦に振らない。仕方がないので兄家の甥っ子達は?と尋ねてみても、只今受験中とあって無理そうだ。
「かくなる上は単独行動しかない。」と、先週末に意を決したのであった。
その昔、20歳代だった頃はサッカー・サポーターの「弾丸ツアー」よろしく、一人で土曜の夜に長野県の白馬方面に向かって中央道+一般道を7時間近くをひた走り、翌朝まで駐車場で仮眠をとった後に1日中滑って、日曜の夜中に帰宅するようなスケジュールも平気でこなしていたが、まさかこの年ではそれは出来そうにもない。しからば、行き先は近場になるのは仕方がない。
近場だと兵庫県・西宮市民であるボクにとっては昔から、「ハチ・ハチ北」などの兵庫県北部の方面か、「びわ湖バレイ」などの滋賀県北部方面が頭に浮かぶのだが、あいにく当日は昼からの天候が雨の予報なので、自宅よりも西にあるスキー場は全てパス。残るは滋賀県方面になる。
しかし、志賀高原の一ノ瀬スキー場のようなワイド&フラットな急~中斜面を年甲斐もなくブッ飛ばすことが大好きなボクにとっては、びわ湖バレイのような、谷沿いの細いコースが多いところはパスしたい。
アレコレ迷った挙げ句、選択したのは滋賀県北部の余呉方面にある「余呉高原リゾート・ヤップスキー場」だった。↓


ペア・リフト4本、コース5本という小規模ながら、コースマップを見る限り初級コースが少なく、最大傾斜は33度、バーンもやや広いように感じるので、ボクの希望は満たしてくれそうだ。↓

自宅から約2時間で到着し、営業開始までの間に少し仮眠をとったが、尿意を及ぼし、トイレへと向かう。その帰りに事件?は起きた。
無事用を済ませた帰りに前下がりの駐車場を車に戻る途中で、氷結した部分で思いっきり足を滑らせてしまったのだ。
コケた瞬間、柔道で言うところの「後ろ受け身」の体勢をとったため、臀部を強打することは避けられたが、前方に投げ出された足が駐車を制限するために置かれていた赤いプラスチック製の大型コーンを蹴ってしまい、それが駐車場を大きな音と共にスッ飛んで行った。
当然まわりの大注目を浴び、音を聞いて振り返った青年3人組に「大丈夫ですか?」と声を掛けられ、オマケに手まで差し伸べられる始末だ。自分が招いた結末ながら、コレにはプライドが大いに傷付いてしまった。
大きくヘコんだ心に鞭を打ち、準備を済ませてゲレンデへと向かう。「Yahoo!スポーツ スキー&スノー」
http://outdoor.yahoo.co.jp/snow/
での下調べ通り、初心者コースが少ないのが原因なのか、家族連れは少なく、リフト待ちも少なそうに見える。↓

早速、リフト券=12:30分まで利用可能な午前券を買い、一番長いCリフトに乗って上部へと向かう。途中で見た中斜面の「パレ・ブランシュ・コース」も結構ワイドなので楽しそうだ。↓

頂点に降りた後はコース標識↓

で確認し、まずは準備運動代わりに「ブレバン・コース」を滑ってゆく。
一度下部まで降りた後は再びリフトに乗って、お待ちかねの「パレ・ブランシュ・コース」をブッ飛ばしてゆく。斜面はやや右下がりの片斜面ながら、この手の斜面は、やはり気持ちがイイ。
最上級、33度の「マッター・ホルン・コース」であっても、距離がないので、萎えたオジサンの足には丁度イイ感じだ。↓

結局このスキー場では12本滑ったが、少々飽き始めたので、向かいにある「ベルク余呉」へと足を伸ばすことにした。↓


実は、この二つのスキー場は共通リフト&駐車券になっているので、飽きれば移動OKというメリットがある。↓

案内標識を見ると駐車場から見て手前が超初心者コースになっており、その裏側に滑り応えのありそうなコースが展開するレイアウトになっているようだ。↓

場内に入ってビックリ、こちらのスキー場は先程とは一転して子供連れがやたらと多く、混雑していた。↓

久しぶりに「リフト待ち」した後は、逃げるように裏側へと向かう。しかしながら、ナゼか3コースの内、2本がクローズ↓

していて、「ヒルマン・コース」の1本しかコースがない。
このコースは滑り始めこそ林間コース調↓

だが、序盤を過ぎるとバーンの幅が、やや広がるので、↓

限られた条件の中ではマズマズのコースだった。
リフト待ちの時間はゼロだったこともあって↓

このコースを6本滑ったところで午前券のタイムリミットである、12:30を迎えた。
今回は単独で、強行軍でのスキーになったワケだが、滑っている最中に感じない、サビしさとワビしさが、リフトに乗っている際には容赦なくボクを襲っていた。ペアリフトの中央にオジサンが一人座する姿は、山に「ポッツ~ン!」と、こだまが響くがごとくである。
しかしながら、負けてはいられない。
「コレであと59回に減った残りの時間を、これからも大切に滑って行かなければならないのだ。」
と、強がりを言ったまではイイのだが、撤収中に、ナゼか首筋の筋肉が痛いことに気が付いた。
「スキー中は一度もコケてはいないハズだが…。」
「ということは、あの時の転倒なのか…?」
どうやらボクは駐車場での転倒で、軽いムチ打ち症になったようである。
寄る年波には勝てないことを感じさせられ、何とも情けないムードの中、今から約430年前に、賤ヶ岳の合戦で羽柴秀吉に敗れた柴田勝家が北ノ庄(福井市)まで逃げ戻った北国街道↓

を逆にたどり、一人寂しく、トボトボと家路に就くのであった。
釣りの場合はまだ良い。年間の釣行数は20日以上あるので、少なくとも4~500回は行ける計算になり、余裕はまだあるが、スキーとなると話は別だ。現在でも年間の滑走日数が平均4日程度なうえ、体力的にやれそうな年数は既に15年を切っているだろう。したがって、計算上は残された時間が60日程度になるのだ。
そんな中にあって、更なるピンチがやってきた。昨年まで我が家では、スキー旅行が冬場の定番イベントであったのだが、ナゼか今年は息子が行きたがらないのだ。何度か説得しても譲らず、首を縦に振らない。仕方がないので兄家の甥っ子達は?と尋ねてみても、只今受験中とあって無理そうだ。
「かくなる上は単独行動しかない。」と、先週末に意を決したのであった。
その昔、20歳代だった頃はサッカー・サポーターの「弾丸ツアー」よろしく、一人で土曜の夜に長野県の白馬方面に向かって中央道+一般道を7時間近くをひた走り、翌朝まで駐車場で仮眠をとった後に1日中滑って、日曜の夜中に帰宅するようなスケジュールも平気でこなしていたが、まさかこの年ではそれは出来そうにもない。しからば、行き先は近場になるのは仕方がない。
近場だと兵庫県・西宮市民であるボクにとっては昔から、「ハチ・ハチ北」などの兵庫県北部の方面か、「びわ湖バレイ」などの滋賀県北部方面が頭に浮かぶのだが、あいにく当日は昼からの天候が雨の予報なので、自宅よりも西にあるスキー場は全てパス。残るは滋賀県方面になる。
しかし、志賀高原の一ノ瀬スキー場のようなワイド&フラットな急~中斜面を年甲斐もなくブッ飛ばすことが大好きなボクにとっては、びわ湖バレイのような、谷沿いの細いコースが多いところはパスしたい。
アレコレ迷った挙げ句、選択したのは滋賀県北部の余呉方面にある「余呉高原リゾート・ヤップスキー場」だった。↓


ペア・リフト4本、コース5本という小規模ながら、コースマップを見る限り初級コースが少なく、最大傾斜は33度、バーンもやや広いように感じるので、ボクの希望は満たしてくれそうだ。↓

自宅から約2時間で到着し、営業開始までの間に少し仮眠をとったが、尿意を及ぼし、トイレへと向かう。その帰りに事件?は起きた。
無事用を済ませた帰りに前下がりの駐車場を車に戻る途中で、氷結した部分で思いっきり足を滑らせてしまったのだ。
コケた瞬間、柔道で言うところの「後ろ受け身」の体勢をとったため、臀部を強打することは避けられたが、前方に投げ出された足が駐車を制限するために置かれていた赤いプラスチック製の大型コーンを蹴ってしまい、それが駐車場を大きな音と共にスッ飛んで行った。
当然まわりの大注目を浴び、音を聞いて振り返った青年3人組に「大丈夫ですか?」と声を掛けられ、オマケに手まで差し伸べられる始末だ。自分が招いた結末ながら、コレにはプライドが大いに傷付いてしまった。
大きくヘコんだ心に鞭を打ち、準備を済ませてゲレンデへと向かう。「Yahoo!スポーツ スキー&スノー」
http://outdoor.yahoo.co.jp/snow/
での下調べ通り、初心者コースが少ないのが原因なのか、家族連れは少なく、リフト待ちも少なそうに見える。↓

早速、リフト券=12:30分まで利用可能な午前券を買い、一番長いCリフトに乗って上部へと向かう。途中で見た中斜面の「パレ・ブランシュ・コース」も結構ワイドなので楽しそうだ。↓

頂点に降りた後はコース標識↓

で確認し、まずは準備運動代わりに「ブレバン・コース」を滑ってゆく。
一度下部まで降りた後は再びリフトに乗って、お待ちかねの「パレ・ブランシュ・コース」をブッ飛ばしてゆく。斜面はやや右下がりの片斜面ながら、この手の斜面は、やはり気持ちがイイ。
最上級、33度の「マッター・ホルン・コース」であっても、距離がないので、萎えたオジサンの足には丁度イイ感じだ。↓

結局このスキー場では12本滑ったが、少々飽き始めたので、向かいにある「ベルク余呉」へと足を伸ばすことにした。↓


実は、この二つのスキー場は共通リフト&駐車券になっているので、飽きれば移動OKというメリットがある。↓

案内標識を見ると駐車場から見て手前が超初心者コースになっており、その裏側に滑り応えのありそうなコースが展開するレイアウトになっているようだ。↓

場内に入ってビックリ、こちらのスキー場は先程とは一転して子供連れがやたらと多く、混雑していた。↓

久しぶりに「リフト待ち」した後は、逃げるように裏側へと向かう。しかしながら、ナゼか3コースの内、2本がクローズ↓

していて、「ヒルマン・コース」の1本しかコースがない。
このコースは滑り始めこそ林間コース調↓

だが、序盤を過ぎるとバーンの幅が、やや広がるので、↓

限られた条件の中ではマズマズのコースだった。
リフト待ちの時間はゼロだったこともあって↓

このコースを6本滑ったところで午前券のタイムリミットである、12:30を迎えた。
今回は単独で、強行軍でのスキーになったワケだが、滑っている最中に感じない、サビしさとワビしさが、リフトに乗っている際には容赦なくボクを襲っていた。ペアリフトの中央にオジサンが一人座する姿は、山に「ポッツ~ン!」と、こだまが響くがごとくである。
しかしながら、負けてはいられない。
「コレであと59回に減った残りの時間を、これからも大切に滑って行かなければならないのだ。」
と、強がりを言ったまではイイのだが、撤収中に、ナゼか首筋の筋肉が痛いことに気が付いた。
「スキー中は一度もコケてはいないハズだが…。」
「ということは、あの時の転倒なのか…?」
どうやらボクは駐車場での転倒で、軽いムチ打ち症になったようである。
寄る年波には勝てないことを感じさせられ、何とも情けないムードの中、今から約430年前に、賤ヶ岳の合戦で羽柴秀吉に敗れた柴田勝家が北ノ庄(福井市)まで逃げ戻った北国街道↓

を逆にたどり、一人寂しく、トボトボと家路に就くのであった。