中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

イベントは多々あれど…

2010-10-16 12:30:32 | その他
■ええじゃないか■

 先日、近代史の本を読んでいると幕末期の一大ムーブメントの一つである「ええじゃないか」についての記述があった。
 この「ええじゃないか」は時代劇にも時折描かれ、歴史の教科書でも触れられているが、その内容は、「『天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ』として、民衆がみんなで『ええじゃないか』を連呼しつつ踊った」という程度に紹介されている。
 しかし、実際にはもっとハチャメチャであり「ええじゃないか」に続く言葉は地方によって違いはあるが、ココでは書けないような卑猥過ぎる言葉もあった。民衆は仕事も放り出して集団トランス状態の内に踊り狂いつつ、仮装までして町や街道を練り歩き、正に「酒池肉林」の状態にふけっていたようだ。
 そして、その発端は一説には「薩長」の幕府転覆計画の一部であったとも言われている。

 この「ええじゃないか」の実態を知ったボクは、つい現代の「クリスマス」を思い浮かべてしまった。


■クリスマス■

 日本においてクリスマス関連行事が一般化されていったのは1900年頃、東京銀座のデパートが大売り出しに利用し始めたのがキッカケということだそうだ。だからキリスト教徒が祝っていた「本物」以外の一般は、最初っからそういう俗な「紐付き」のスタートを切っていたのだ。
 そんなことは全く知らなかったが、団体行動が苦手で「右向け右」と言われれば「右向け左」をやってしまうボクのような人間にとって、ずっと昔から日本での12/24~25日にかけての状態に対しては数々の疑問があった。
 関連行事が当たり前になり、プレゼントを待つ子供たちが多くいる中、クリスマスに向き合う姿勢そのものは個人の自由だから何も言わない。しかし、キリスト教信者であれば日頃からの神との繋がりから「聖なる日」と感じるのは当然の話だが、そうでない人達が何故「聖なる日」と感じ、何故ロマンテックな気分になれるのかが理解できないのだ。そういう人達の心理は不届きにも「キリスト教における神を日本に古来からある八百万の神々と同列に思っているのだろうか?」とも考えられるが、本当のところは映画やCM、歌、etc…それらの繰り返しによる刷り込みだろう。だとしたら、情報操作による一種の集団催眠であるから、何となく空恐ろしいモノがある。

 更には、日本ではそんなロマンチック?なムードに便乗してホテルの中でバチ当たりにも「性なる日」を過ごそうとたくらむ人の多いこと、特にバブル期には(今もかな?)つきあっている彼女も居ないのに1年前から高級ホテルに12月24日分の予約を入れる人達が居たから、それに賭ける意気込みたるや、凄まじさまで感じてしまう。
 そういえば、先日、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組を見ていると、江戸時代後期の「お蔭参り(お伊勢参り)」の様子を紹介していた。その道中でも既婚、未婚、男女の区別無く、乱れまくっていたそうだ。それこそ道端でもそんな光景が見掛けられたようだから、この旅が今で言うところのアバンチュールを楽しむ旅であったことがうかがい知れる。
 この「お蔭参り」の乱れようと幕末の「ええじゃないか」での乱れよう、そして現代の「クリスマス」の実情とを重ね合わせれば、どうやら我々日本人の心のどこかに「神聖なもの」と、一番俗なる「営み」を結びつける心理が脈々と潜み続けていることが見えてくるから笑ってしまう。昔からポルノやAVに「尼さんモノ」や「喪服モノ」のジャンルがあるのは「そのせいだったのか?」とまで勘繰ってしまった。


■ハロウィン■

 今月末にやってくるという「ハロウィン」というイベントがある。
 調べてみると、ケルト人にキリスト教を普及させる際に、その地にあった土着信仰の上にキリスト教の教義を被せたことに始まり、更には翌日の11月1日が諸聖人の日だったことから、その前夜祭としての意味を上乗せして現在に至るということらしいが、そんな経緯もあってか、諸聖人の日を優先するカトリック教徒が多い地域では「宗教的意味はない」として、あまり普及していないようである。特にロシアではロシア正教の司祭が「死のカルト」であるとして批判しているということであるし、公立学校内で普及しないように教育省が通達まで出しているということだ。
 その理解し辛い成り立ちと、今でこそ警察の規制が入って下火になったとは言え、数年前の外国人+便乗日本人による東京のJR手線や大阪のJR環状線を占拠しての迷惑行為が「負」のイメージを作り出しているから、へそ曲がりとしてはつい拒絶してしまうイベントの一つだ。
 日本では近年、スーパーなどでは「ハロウィン・コーナー」として用品が販売されていて、そこに「Happy Halloween」と掲げられているが、黒とオレンジが基調になったその毒々しい色合いは、まるで「オレを食うと死ぬぞ!」と警告する毒虫の配色のようで、その品々を眺めるほどに、これのどこがハッピーなのかボクには全然理解ができないでいる。

 それはさておき日本での展開は、一部で町興し的な仮装行列イベントがあるものの、ほとんどの場合で集客なりグッズの販売なりと、後ろで商売と紐で繋がっているのが見え見えだ。
 そんな中、小さなコミュニティ内では「仮装した子供達が『トリック・オア・トリート(Trick or Treat)』と訪問先で唱えると、お菓子がもらえる」という活動?をしているようだが、知り合いでもない家に、打ち合わせなしでインターホン越しにそれを唱えても、誰もがお菓子をくれるほどには普及はしていないだろう。それどころか、「トリック・オア・トリート」は「イタズラされるか、もてなすか?」の意だが、多くの場合で本当のイタズラと思われてしまう可能性の方が高いと思う。現状ではそれほどの広がりはないものと予想しているが、その裏付けにスーパーやホームセンターの売り場面積は、ここ近年でそれほど広がっている様子はない。

 まぁ、現状の「子供のイベント」として受け止めればどうってこと無いのだろうけど、JRでの事件は大人の仕業だ。だからボクは「仮装」+「バカ騒ぎ」という繋がりで、ついつい上述の「ええじゃないか」と関連づけてしまった。


■紐付きのイベント達■

 商魂たくましいイベントとしてバレンタインデーのチョコレートの話もあるが、この件はもう語り尽くされているから、ココでは書かない。だが、商売絡みで利用されているイベントは、何も外来種ばかりではない。毎年2月にやってくる節分の「恵方巻」がそうだ。

 「恵方巻」とは節分に、その年の恵方に向かって巻きずしを無言で丸かぶりするという行事で、そのルーツは大阪「船場の商人」の習慣とも、海苔問屋の習慣とも言われているが、実のところ定かな根拠はないと言われている。
 因みにウチは万延元年(1860年)創業の昆布問屋がルーツであり、以来昆布と関わり続けて150年にもなる。昆布とワカメ、そして海苔は言わば親戚のようなものであるから、その商習慣などは共通する。それに船場周辺で昆布関連の製造卸をしていた時代もある。しかし、ここ近年TVなどで採り上げられるようになってからはともかく、以前はそんな習慣は聞いたことすらなかったし、子供の頃にバリバリの船場商人の婦人であった祖母に食わされた経験もない。念のために母に確認したこともあるが、「そんな習慣は全くなかった。」と答えていた。だから、もし元になるイベントがあったとしても、それは極ピンポイントの「お遊び」程度だと予想され、ボクとしては諸説ある中の一つである「単なる海苔関連業者のキャンペーン説」をとりたい。
 しかし、この「恵方巻」は大きく世間に紹介され始めてからそんなに時間が経っていないのに、最近の記述では既に「伝統行事」とされている。節分だけに「鰯の頭も信心から」で始まったのかも知れないが、その普及スピードたるや「恐るべし」である。


■昔からの国民性?■

 成り立ちや経緯を自分で考えることをせず、ワケの解らぬ間にこういった「楽しげな」イベントに「我も我も」と集まる心理は、我々日本人の心理には古くから内在していて、今も継続されているようである。
 こういった動きはバブル期のように景気が良いときにも起こるが、「ええじゃないか」の時代は社会不安や、抑圧に対する爆発だった。それでも上述したような単なるお遊びであれば、気に入らなければ参加しなければいいだけのことなので全く問題はないが、大きな実害が出ることもある。
 戦前は「バスに乗り遅れるな」のスローガンを掲げた新体制運動の下、国民総出でアジア進出に躍起となった時代であり、それがあの大戦争に繋がった。そして土地神話やバブル景気とその崩壊は記憶に新しい。これらが良い例だろう。

 今度一大ムーブメントが起こるのはどのタイミングなのだろうか?。その結末が、単なるへそ曲がりの野暮な親父がボヤけば済む程度であればイイのだが…。

 ハーメルンの笛吹き男の話は以前に書いたから、今度はピノキオの話を…。
 勉強と努力が嫌いなピノキオは、すぐに楽しげな話に乗って騙される。周りには忠告をする者もいるが、それを聞かずにひたすら突き進み、次々にヒドイ目にあってしまう…。(原作では本当に死んでしまうらしい)その後、物語では爺さんと再会し、改心して人間にしてもらえるが、現実社会なら取り返しがつくかどうか…。あ~オソロシや(でも、深読みのしすぎかな?)
コメント
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