中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

見たいモノと見たくないモノ、そして見なければならないモノ

2010-10-23 12:30:07 | その他
■救出劇■

 チリの鉱山で起きた落盤事故とその救出劇。暗黒の空間に閉じこめられたことに耐えた彼らが無事救出される様子は、TVの報道番組はもとより、ワイドショーでも採り上げられ、それを見つめていた者からは、「彼らに感動と勇気を貰いました。」等、そのコメントは、まるで映画を見た後のようなの声も聞こえてくる。
 ボクも「無事で良かった」と素直に拍手を送った人間の一人ではあったが、それとは平行して、特に救出作業が本格化してチリ国旗が大きく掲げられたあたりから、少々の不安を感じていた。
 調べれば、この事故が起きるまでチリのピニェラ大統領の支持率は降下を続けていたが、この救出が本格化し始めた頃からは急上昇しているそうだ。
 マトモに見れば、陣頭指揮を執った大統領の求心力が高まるのは道理としては間違ってはいない。しかし、実際、チリ議会の野党からは追及されているようだが、ピニェラ大統領は自身が救出劇の主役になるために、欧州訪問予定日より前に閉じ込められた作業員が救出されるよう、予定を変えさせて強行したという嫌疑を掛けられているそうだ。コレが本当だとしたら正に33人の命は「プロパガンダ」に利用されているということになるし、実際に関係者周辺から「人気取りに使うな。」との批判の声が作業途中から現在も上がり続けているそうだ。
 また、象徴にもなっている救出カプセル「フェニックス」の投入も事故発生時には「もっと簡易な別モノで良い」と政府が判断していたのに、それが今や上海万博のパビリオンに展示するというところまで方針が変わっているようだ。

 ボクらはほとんどの場合で日本の報道を見る機会しかないのだが、その様子を見る限り、一度注目を浴びるモノを見付けると、一斉に集中砲火の如く取材攻勢が加熱するようだ。
 エスカレートは、この事故が注目されて以来ずっと続いており、救出された人々の周辺に礼金という次元を越えた”報酬”として金を要求されながら取材を続けているという。そんな流れの中、本来は報道陣が入れないよう、警察官がガードしている病院の内部を取材するために、親族にホームビデオを持たせて隠し撮りさせるTV局まで現れたが、これには「コレはチョッと行き過ぎだな」と思わざるを得ない。「それをどのように依頼したのか?」を考えると、やりきれない気分になるし、映像を見る限り入院している本人がカメラに気付いている様子がなかったため、「同意を得ていたのか?」という部分にも疑問が残るのだ。
 更には、これは日本人記者のことではないらしいけど、中にはより良いカメラ・アングルを得るために報道機関同士で金を掴ませようとする動きまであったそうだ。
 救出された33人は現在、ヒーローとして扱われているそうだが、別の会社からウチで働かないかとの誘いや、各種のチケットプレゼントをする企業など、様々な売名行為が持ちかけられており、さらには映画化の話もあるそうだ。
 正に状態はバブルである。しかし話題性がなくなり、誰も採り上げなくなった時に彼らがどうなるのかを考えると、現状の加熱しすぎる対応は無責任であると思う。もしも、持ち上がるだけ持ち上げられた後に梯子を外されたとしても、彼ら33人全員がそれに耐えてくれることを望むばかりだ。

 反面、その裏では、大きく報道されていないことがある。実はチリの鉱山には以前から指摘されている危険箇所が多くて、今年に入っても30人規模の死亡事故が起こっているし、過去にも04年、07年にも大規模な鉱山事故が相次ぎ、多くの命が失われているが、有効な手だてをとってきていなかったそうだ。
 また、33人が救出された鉱山では361人が働いていたが、一部の作業員を除き、10月初旬に、ほとんどの人に解雇通知が届いたそうだ。そしてその人達に退職金は支払われていない。更には次の仕事もなく、政府から何の援助もない。サンホセ鉱山では17日、33人全員救出に感謝をささげるミサが行われたが、解雇された作業員たちは、参列も拒否されたそうだ。
 救出された33人はヒドイ目にあった分の保証を経営側に、と言いたいところだが、この場合は既に廃坑となって保証能力はないだろうから、チリ政府が肩代わりすべきは当然だとは思うが、そういった裏にある事情を知れば「大きく報道されて世界の注目を浴び、その結果手助けされるべきは、裏側も同じではないのか?」とも思ってしまう。

 国が変われば事情も違うし感覚も違う。だから日本人の目でチリの鉱山事情を判断することは難しいのかも知れない。しかし”救出劇”を見る(見た)人が演出された内容に感動し、更に「何か物語はないのか?」を期待すればするほど、取材はウケる方に向かってエスカレートしてゆく。そして、それと同時に如何にも人間臭いイヤな部分も、より多く見えてくるだろう。
 様々な情報が溢れる中、「見たいモノと見たくないモノ、そして見なければならないモノ」は得てして同じ場所にあることが多い。だからこそ我々は、感情に流されない、大きく客観的に俯瞰する目を常に鍛えておかなくてはならないと思うのだが、どうだろうか?。

コメント
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