■答えの出なかったテーマ■
ボクには、「若気の至り」ともいうべきか、青少年期のある頃に人間の善意と偽善の違いについて思い巡らせる時期があった。
その頃は「本当の善は本能から自然発生するもの」であって、それ以外の、善意を示す側が善を行おうと意識した瞬間に「見返りを期待する心」や「その人や周りに良く思われたい心」がどこかに潜んでいるのものと考え、「それら意識的なものは全部偽善なのだ。」と解釈しようとしていた。
しかし、やがてはそんなボクも、良き友人達と出会いながら大人になり、良き妻と結婚ができて人生経験を積むにつれて自然とこなれてきたのか、意識することは少なくなったが、ふと読んだある本の中に「これだったのか?!」と膝を打つ部分があった。それは以前にもこのブログで紹介した司馬遼太郎著「二十一世紀に生きる君たちへ」だった。
この本の中で司馬遼太郎氏はこう著している。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
この一節は、忘れかけていた青少年時代の疑問への答えが出た瞬間であり、「目からウロコが落ちた」瞬間でもあった。「善意や思いやりは意識して鍛え、培ってゆくものだったのだ!」と…。
■バットマン■
そして、今年に入ってしばらく経った頃、ある映画を見た。それは以前から話題になった映画であるから見た人も多いと思うが、新生バットマン・シリーズとして各方面からの評価の高い、「バットマン・ビギンズ」と「ダークナイト」であった。
映画の内容は見て貰うとして細かくは書かないが、この新生になったシリーズは従来通りのハードボイルド的なアクション中心のシリーズとは違い、心の葛藤といった、よりシリアスな内容がメインになっている。そのテーマとは「正義とは何か?」「人間は本当の正義や善を持ち得ているのか?」だ。(と、ボクは思っている。)ボク個人としては更に「生善説に対する生悪説の挑戦」とまで昇華させてしまったが、視点を国家単位に置き換えれば、アメリカという国が抱えている「行き詰まるイラクやアフガニスタン情勢」が写ってくるだろう。
「バットマン・ビギンズ」の方は、バットマン生誕への経緯を絡めながらも、まだ以前のシリーズからの雰囲気を継承しているが、ラストは次作への布石となっている。だが、このシリーズのメインは「ダークナイト」の方にあるとボクは思うから、もしも興味が湧いたのなら、必ず2作続けて見て欲しい。
特に「ダークナイト」ではジョーカー役の「故、ヒース・レジャー」の怪演による、人間に内包された悪をえぐり出してゆく様と、バットマンとその仲間達が正義を貫くあまりに、それがより強大な悪を生み出してしまうという、ジレンマとの闘いが見物だ。
この映画を見た後にボクは「正義の確立は困難を極め、その定義すら難しい」と、再確認したが、上述の「善」の話と合わせて、ボクのような目で見る人がそう多く居るとは思わないし、第一に善や正義を語るほど人間が出来ているワケでもないので、この感想は他人への参考意見にならないかも知れない。しかし、以前に紹介したように「二十一世紀に生きる君たちへ」は子供に読ませたい本の中で、そして「ダークナイト」は今までボクが見た映画の中で5本の指に入ることは間違いのないところなので、そんなことは抜きにして沢山の人達に読み、あるいは見て欲しい作品だということだけは確かなのだ。
新生バットマン・シリーズは全部で4部作になっているらしく、続編の撮影は始まっているようだ。今から既に待ち遠しい毎日を送っているのである。
ボクには、「若気の至り」ともいうべきか、青少年期のある頃に人間の善意と偽善の違いについて思い巡らせる時期があった。
その頃は「本当の善は本能から自然発生するもの」であって、それ以外の、善意を示す側が善を行おうと意識した瞬間に「見返りを期待する心」や「その人や周りに良く思われたい心」がどこかに潜んでいるのものと考え、「それら意識的なものは全部偽善なのだ。」と解釈しようとしていた。
しかし、やがてはそんなボクも、良き友人達と出会いながら大人になり、良き妻と結婚ができて人生経験を積むにつれて自然とこなれてきたのか、意識することは少なくなったが、ふと読んだある本の中に「これだったのか?!」と膝を打つ部分があった。それは以前にもこのブログで紹介した司馬遼太郎著「二十一世紀に生きる君たちへ」だった。
この本の中で司馬遼太郎氏はこう著している。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
この一節は、忘れかけていた青少年時代の疑問への答えが出た瞬間であり、「目からウロコが落ちた」瞬間でもあった。「善意や思いやりは意識して鍛え、培ってゆくものだったのだ!」と…。
■バットマン■
そして、今年に入ってしばらく経った頃、ある映画を見た。それは以前から話題になった映画であるから見た人も多いと思うが、新生バットマン・シリーズとして各方面からの評価の高い、「バットマン・ビギンズ」と「ダークナイト」であった。
映画の内容は見て貰うとして細かくは書かないが、この新生になったシリーズは従来通りのハードボイルド的なアクション中心のシリーズとは違い、心の葛藤といった、よりシリアスな内容がメインになっている。そのテーマとは「正義とは何か?」「人間は本当の正義や善を持ち得ているのか?」だ。(と、ボクは思っている。)ボク個人としては更に「生善説に対する生悪説の挑戦」とまで昇華させてしまったが、視点を国家単位に置き換えれば、アメリカという国が抱えている「行き詰まるイラクやアフガニスタン情勢」が写ってくるだろう。
「バットマン・ビギンズ」の方は、バットマン生誕への経緯を絡めながらも、まだ以前のシリーズからの雰囲気を継承しているが、ラストは次作への布石となっている。だが、このシリーズのメインは「ダークナイト」の方にあるとボクは思うから、もしも興味が湧いたのなら、必ず2作続けて見て欲しい。
特に「ダークナイト」ではジョーカー役の「故、ヒース・レジャー」の怪演による、人間に内包された悪をえぐり出してゆく様と、バットマンとその仲間達が正義を貫くあまりに、それがより強大な悪を生み出してしまうという、ジレンマとの闘いが見物だ。
この映画を見た後にボクは「正義の確立は困難を極め、その定義すら難しい」と、再確認したが、上述の「善」の話と合わせて、ボクのような目で見る人がそう多く居るとは思わないし、第一に善や正義を語るほど人間が出来ているワケでもないので、この感想は他人への参考意見にならないかも知れない。しかし、以前に紹介したように「二十一世紀に生きる君たちへ」は子供に読ませたい本の中で、そして「ダークナイト」は今までボクが見た映画の中で5本の指に入ることは間違いのないところなので、そんなことは抜きにして沢山の人達に読み、あるいは見て欲しい作品だということだけは確かなのだ。
新生バットマン・シリーズは全部で4部作になっているらしく、続編の撮影は始まっているようだ。今から既に待ち遠しい毎日を送っているのである。