■人生初の封切り日■
諸事情があって思ったように釣りに行けず、悶々とした日々を送っている今日この頃。世間は3連休という中、家でジッとしてはいられないので、妻と連れだって久しぶりに映画を見に行った。近くの映画館へと向かったのは2月11日で、「太平洋の奇跡」という作品を人生初の封切り日に見に行った。
この太平洋の奇跡という映画は太平洋戦争(大東亜戦争)後半、日本の統治領だったサイパン島での戦いで、正規守備隊が玉砕後も住民を守りつつゲリラ化し、島の北部にあるタッポーチョ山に立て籠もって500日以上も降伏を拒み続けた大場栄大尉以下の戦い=実話を描いた作品だ。
■ザ・パシフィック■
昨年の7月~9月にかけて、ヨーロッパ戦線を描いた「バンド・オブ・ブラザーズ」に続いて、エグゼクティブ・プロデューサーにトム・ハンクス氏とスティーヴン・スピルバーグ氏を迎えて作られた太平洋戦争がテーマの長編TVドラマ「ザ・パシフィック」が、WOWOWで公開された。作品自体は未だ日本語版がDVD化されておらず、ボクは見ていないのだが、「ザ・パシフィック」について語るトム・ハンクス氏のインタビュー記事を読んだ際に、ある箇所にボクの目が行っていた。「太平洋の奇跡」を見る数ヶ月前のことだ。
その中でトム・ハンクス氏は「太平洋戦線で戦ったアメリカ兵たちの勇敢さを称えたい気持ちはある。しかし同時に、アメリカ兵が日本の人々に何をしたか、ということも知ってもらいたい」と語っていたのだ。実は「太平洋の奇跡」の公開に際して「この点が描かれているのだろうか?」との思いがあって興味をもっていたのだが…。
■「容赦なき戦争」■
互いの論理で正義を唱えていても実際の戦場ではそれが成り立たず、残虐な行為に至ることが多い。何もコレは旧日本軍だけの話ではなく、アメリカであっても同じだということはベトナム戦争やイラク戦争での事例をみれば判断できるだろう。しかしソレが一変して太平洋戦争中に関しては旧日本兵の行為のみが声高に聞こえ、他からはほとんど聞こえてこないのだ。コレを不思議に思っていたのだが、トム・ハンクス氏のインタビュー記事をキッカケに自分なりに色々と調べているうちに、とある本に出逢った。それがジョン・W・ダワー氏著「容赦なき戦争」だった。
●文庫本タイプで1680円!●
この本は副題にあるように、人種主義がいかに戦争を加速させ、凄惨にさせるかがせるかがテーマであるのだが、その中の一部に史上初の大西洋横断無着陸飛行を成功させ「翼よ、あれがパリの灯だ 」で有名なチャールズ・A. リンドバーグ氏が太平洋戦争中に南太平洋諸島へ軍事顧問として赴任した経験を記した参戦記の一部がとりあげられている。(リンドバーグ氏の参戦記そのものもあるのだが、只今絶版中)
実はそれが、トム・ハンクス氏の言う残虐行為そのものであり、例えばそれは、無抵抗の日本兵捕虜を殺害することは言うに及ばず、それ以前に捕虜を捕らない=初めから敵を全滅させるつもりの米兵部隊の話であったり、輸送機による移送中に無抵抗の多くの日本兵捕虜を空から突き落とすオーストラリア兵の話であったりするのだ。そしてそういった日本兵に対する行為と、元々彼らの心にたたき込まれている戦陣訓が言うところの「生きて虜囚の辱めを受けず」とが重なり合ったことが、捕虜になるよりも死を選ぶ原因になっていたとこの本には記されている。
著者のジョン・W・ダワー氏とチャールズ・A. リンドバーグ氏は、共にその後はピューリッツァー賞を受賞するほどの人達なので、まさかこの話がウソとは思えない。だとすると、「太平洋の奇跡」に描かれている大場大尉達が降伏しないという判断は「米軍に対する単なる疑心や自分たちの誇り」といった精神的なことよりも、より現実的に「出て行けばどうなるのか」が見えていたからではなかったのか?とも思えてしまう。
もっとも、民間人の多いサイパン島での戦いは、「他の南太平洋諸島での戦いとは別であった」と言われても否定するだけの知識がボクにはないし、実際に民間人全体の約6割もが保護され、「玉砕した」と言われていた軍人であっても全体の1割強が捕虜となったということが米軍の姿勢を証明するという説もあるが、反面、実際に大場大尉の部下であった田中徳祐大尉(一説には中尉)の手記に、出て行った婦女子を含む民間人の悲惨な末路が書かれていることも事実だ。
そんな話を考慮したうえで見ると、どうしても「太平洋の奇跡」での描写はソフトに見えてしまうが、今の日本映画界ではコレ以上の描写は無理だったのかも知れない。
内容についてはこれ以上とやかくは言わないけれど、こういった映画を見ることによって「人々が太平洋戦争とその時代を知ろうとするキッカケになれば…。」と思うばかりだ。
ボクが今言いたいのは、何も過去の現実を知って恨みを募ろうとすることではない。事実は事実として受け止め、「何があったのか?」を知り、そこからスタートしなければ他国と真の友好関係を築くことは出来ないと思うからだ。ただし個人間は別として、国家間でその構築が本当に可能かどうかは判らないが…。
これまで我々戦後世代の多くは、この時代についての勉強を怠ってきた。その結果、知識の土台がないために、どこからともなく聞こえてきた感のある「風聞的」なモノに導かれたり、ことあるごとに各方面から一方的に言われたことを受け入れるばかりだった。そして気付けばそこから生まれた歪みに飲み込まれ、身動きが取れなくなることが近年では特に多くなっているように思う。
それらに立ち向かうには「まず自分から知ろうとすること」、これが大切だと思う。更にはそれが現在の国難とも言うべき外交での失敗を取り戻すことにつながっていくのだと思うのだが、どうだろうか…。
諸事情があって思ったように釣りに行けず、悶々とした日々を送っている今日この頃。世間は3連休という中、家でジッとしてはいられないので、妻と連れだって久しぶりに映画を見に行った。近くの映画館へと向かったのは2月11日で、「太平洋の奇跡」という作品を人生初の封切り日に見に行った。
この太平洋の奇跡という映画は太平洋戦争(大東亜戦争)後半、日本の統治領だったサイパン島での戦いで、正規守備隊が玉砕後も住民を守りつつゲリラ化し、島の北部にあるタッポーチョ山に立て籠もって500日以上も降伏を拒み続けた大場栄大尉以下の戦い=実話を描いた作品だ。
■ザ・パシフィック■
昨年の7月~9月にかけて、ヨーロッパ戦線を描いた「バンド・オブ・ブラザーズ」に続いて、エグゼクティブ・プロデューサーにトム・ハンクス氏とスティーヴン・スピルバーグ氏を迎えて作られた太平洋戦争がテーマの長編TVドラマ「ザ・パシフィック」が、WOWOWで公開された。作品自体は未だ日本語版がDVD化されておらず、ボクは見ていないのだが、「ザ・パシフィック」について語るトム・ハンクス氏のインタビュー記事を読んだ際に、ある箇所にボクの目が行っていた。「太平洋の奇跡」を見る数ヶ月前のことだ。
その中でトム・ハンクス氏は「太平洋戦線で戦ったアメリカ兵たちの勇敢さを称えたい気持ちはある。しかし同時に、アメリカ兵が日本の人々に何をしたか、ということも知ってもらいたい」と語っていたのだ。実は「太平洋の奇跡」の公開に際して「この点が描かれているのだろうか?」との思いがあって興味をもっていたのだが…。
■「容赦なき戦争」■
互いの論理で正義を唱えていても実際の戦場ではそれが成り立たず、残虐な行為に至ることが多い。何もコレは旧日本軍だけの話ではなく、アメリカであっても同じだということはベトナム戦争やイラク戦争での事例をみれば判断できるだろう。しかしソレが一変して太平洋戦争中に関しては旧日本兵の行為のみが声高に聞こえ、他からはほとんど聞こえてこないのだ。コレを不思議に思っていたのだが、トム・ハンクス氏のインタビュー記事をキッカケに自分なりに色々と調べているうちに、とある本に出逢った。それがジョン・W・ダワー氏著「容赦なき戦争」だった。
●文庫本タイプで1680円!●
この本は副題にあるように、人種主義がいかに戦争を加速させ、凄惨にさせるかがせるかがテーマであるのだが、その中の一部に史上初の大西洋横断無着陸飛行を成功させ「翼よ、あれがパリの灯だ 」で有名なチャールズ・A. リンドバーグ氏が太平洋戦争中に南太平洋諸島へ軍事顧問として赴任した経験を記した参戦記の一部がとりあげられている。(リンドバーグ氏の参戦記そのものもあるのだが、只今絶版中)
実はそれが、トム・ハンクス氏の言う残虐行為そのものであり、例えばそれは、無抵抗の日本兵捕虜を殺害することは言うに及ばず、それ以前に捕虜を捕らない=初めから敵を全滅させるつもりの米兵部隊の話であったり、輸送機による移送中に無抵抗の多くの日本兵捕虜を空から突き落とすオーストラリア兵の話であったりするのだ。そしてそういった日本兵に対する行為と、元々彼らの心にたたき込まれている戦陣訓が言うところの「生きて虜囚の辱めを受けず」とが重なり合ったことが、捕虜になるよりも死を選ぶ原因になっていたとこの本には記されている。
著者のジョン・W・ダワー氏とチャールズ・A. リンドバーグ氏は、共にその後はピューリッツァー賞を受賞するほどの人達なので、まさかこの話がウソとは思えない。だとすると、「太平洋の奇跡」に描かれている大場大尉達が降伏しないという判断は「米軍に対する単なる疑心や自分たちの誇り」といった精神的なことよりも、より現実的に「出て行けばどうなるのか」が見えていたからではなかったのか?とも思えてしまう。
もっとも、民間人の多いサイパン島での戦いは、「他の南太平洋諸島での戦いとは別であった」と言われても否定するだけの知識がボクにはないし、実際に民間人全体の約6割もが保護され、「玉砕した」と言われていた軍人であっても全体の1割強が捕虜となったということが米軍の姿勢を証明するという説もあるが、反面、実際に大場大尉の部下であった田中徳祐大尉(一説には中尉)の手記に、出て行った婦女子を含む民間人の悲惨な末路が書かれていることも事実だ。
そんな話を考慮したうえで見ると、どうしても「太平洋の奇跡」での描写はソフトに見えてしまうが、今の日本映画界ではコレ以上の描写は無理だったのかも知れない。
内容についてはこれ以上とやかくは言わないけれど、こういった映画を見ることによって「人々が太平洋戦争とその時代を知ろうとするキッカケになれば…。」と思うばかりだ。
ボクが今言いたいのは、何も過去の現実を知って恨みを募ろうとすることではない。事実は事実として受け止め、「何があったのか?」を知り、そこからスタートしなければ他国と真の友好関係を築くことは出来ないと思うからだ。ただし個人間は別として、国家間でその構築が本当に可能かどうかは判らないが…。
これまで我々戦後世代の多くは、この時代についての勉強を怠ってきた。その結果、知識の土台がないために、どこからともなく聞こえてきた感のある「風聞的」なモノに導かれたり、ことあるごとに各方面から一方的に言われたことを受け入れるばかりだった。そして気付けばそこから生まれた歪みに飲み込まれ、身動きが取れなくなることが近年では特に多くなっているように思う。
それらに立ち向かうには「まず自分から知ろうとすること」、これが大切だと思う。更にはそれが現在の国難とも言うべき外交での失敗を取り戻すことにつながっていくのだと思うのだが、どうだろうか…。