■福井へ■
ボクにとっては、鷹巣~玄達で沖釣りをする際に素通りすることがほとんどの福井市周辺。観光で訪れたのは東尋坊と越前海岸くらいのモノで、関西の隣県でありながら、あまり知らない。
ある日、家族三人でぶらっと訪問できる観光地はないのか?と考えていた時にふと思いつき、訪問することに相成った。
■永平寺■
妻の実家が曹洞宗(と言っても、熱心な信者ではないようだが)なので、その総本山の一つである永平寺をまずは目指した。
永平寺は福井北インターから約15分で到着するほどの距離にあり、アプローチは近い。
周囲には駐車場が多数あるのだが、当然ながら門前にあるものが一番近い。そこに到達するまでの各駐車場前では呼び込みが熱心なので、つい入ってしまいそうになるが、誘惑?に負けずに登り切ったことが正解だったようで、運良く門前の駐車場に残り後1台のところでギリギリ車を滑り込ませることができた。
永平寺の伽藍は山の斜面に沿って展開されており、法堂やその他の施設が渡り廊下階段で連結されているから、靴を脱いだ状態で内部を巡ることになる。
一般の訪問者は、まず通用口の自販機で入場券を購入し、吉祥閣(きちじょうかく)という建物の中で、修行僧から寺の概要についての説明を受ける。そこから先はフリーで行動できるのだが、他の寺院に比べると写真撮影の自由度が高く、禁止されているのは場所によってはストロボ撮影と、全般には僧侶を直接撮ることのみということだ。
曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」と言い、ただひたすらに坐るということ、それも九年間坐り続けた達磨大師のように、壁に向かって黙々と坐り続ける面壁座禅なので、伽藍内の構築物よりも、一人一人の個人の修行が重視されていることが、上記した「写真撮影に関する考え」に至った経緯なのか?と勘ぐってみた。
■傘松閣■
自由行動に入ってすぐに到着するのが、傘松閣(さんしょうかく)という建物だ。ここには156畳敷の大広間があって、その天井には230枚の天上絵が描かれている。絵の題材?は花鳥が基本にになっているのだが、「鯉(こい)」「唐獅子(からじし)」が2枚ずつと「栗鼠(りす)」が1枚の計5枚が隠れていて、それを探し出して祈願すると、願いが叶うと言われているのだそうだ。
禅宗であるこの寺とかけ離れたこの発想を不思議に思っていたが、この絵は平成14年の元禅師の750回大遠忌の記念事業の一環として平成5年から2年の歳月をかけて完成させたモノなのだそうだ。そういえば建物は鉄筋コンクリートであったことから、この願掛けも「さもありなん」の話だった。
■七堂伽藍■
傘松閣を出て更に進むと本来の回廊部に入る。この回廊で連結されている部分が、鎌倉時代中期からの構築物であるところの七つの堂宇「七堂伽藍」になる。
回廊の中心部にあたる仏殿には釈迦牟尼仏とその左右に弥勒仏(みろくぶつ)阿弥陀仏(あみだぶつ)を祀っている。未来を現すのが弥勒仏で、過去が阿弥陀仏、そして現在を現すのが釈迦牟尼仏でその三尊を合わせて三世如来と呼ぶのだそうだ。(仏殿の写真は写し忘れていた…。)
仏殿を過ぎて更に登り、最上部に到達したところにあるのが法堂(はっとう)になる。ここは修行僧に説法をする場所であり、法要儀式も行われているところでもあるそうだ。
禅宗らしく質素な伽藍内では一番きらびやかとも言える装飾された内部の中央には藤原時代作の聖観世音菩薩が祀られている。
法堂を過ぎ、七堂を巡り終えつつある頃、見下ろせば一番下にある山門が開いていた。
吉祥閣の中で、修行僧からうけた最初の説明では、三門が開くのは法主であるところの禅師が出入りする際と、修行僧が入山する際の受け入れと、彼らが修行を終えた後に出てゆく際にのみだと聞いていただけに、珍しい光景なのかも知れない。
その三門の両側には魔物の進入を防ぐために四天王が祀られている。山門西側に置かれている「増長天(ぞうちょうてん)」は南方を、その横の「広目天(こうもくてん」は西方をそれぞれ守護し、山門東側に置かれている「多聞天(たもんてん)」は北方を「持国天(じこくてん)」は東方をそれぞれ守護しているという、意味合いがあるそうだ。
塗りが鮮やかだけに三門との調和が取れておらず、違和感があったので調べてみると平成に入ってから修復されたのだそうだ。
■寂光苑■
伽藍を出て寂光苑(じゃっこうえん)という庭園へと足を伸ばす。このあたりは昭和~平成にかけて開発?された区域であるだけに、それぞれが新しく、風格と言った空気感は感じない。
この中で一番目を引くのが、玲瓏の滝(れいろうのたき)なのだが、これも人工物であるそうで、そういった意味では寂光苑全体が伽藍との時代差がありすぎて別物のような雰囲気があった。
しかし、考えてみれば、これら新規の構築物等々が徐々に整備されているのは、檀家や地元民に支えられている証である。京都、奈良以外では予算が足りないのか、傷んでいるのを放置しているかのような寺があるだけに、人々から愛され?恵まれているのがよく判る寺であった。
ボクにとっては、鷹巣~玄達で沖釣りをする際に素通りすることがほとんどの福井市周辺。観光で訪れたのは東尋坊と越前海岸くらいのモノで、関西の隣県でありながら、あまり知らない。
ある日、家族三人でぶらっと訪問できる観光地はないのか?と考えていた時にふと思いつき、訪問することに相成った。
■永平寺■
妻の実家が曹洞宗(と言っても、熱心な信者ではないようだが)なので、その総本山の一つである永平寺をまずは目指した。
永平寺は福井北インターから約15分で到着するほどの距離にあり、アプローチは近い。
●永平寺前にあった案内板●
周囲には駐車場が多数あるのだが、当然ながら門前にあるものが一番近い。そこに到達するまでの各駐車場前では呼び込みが熱心なので、つい入ってしまいそうになるが、誘惑?に負けずに登り切ったことが正解だったようで、運良く門前の駐車場に残り後1台のところでギリギリ車を滑り込ませることができた。
●永平寺門前の様子●
永平寺の伽藍は山の斜面に沿って展開されており、法堂やその他の施設が渡り廊下階段で連結されているから、靴を脱いだ状態で内部を巡ることになる。
●伽藍の全体図●
一般の訪問者は、まず通用口の自販機で入場券を購入し、吉祥閣(きちじょうかく)という建物の中で、修行僧から寺の概要についての説明を受ける。そこから先はフリーで行動できるのだが、他の寺院に比べると写真撮影の自由度が高く、禁止されているのは場所によってはストロボ撮影と、全般には僧侶を直接撮ることのみということだ。
曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」と言い、ただひたすらに坐るということ、それも九年間坐り続けた達磨大師のように、壁に向かって黙々と坐り続ける面壁座禅なので、伽藍内の構築物よりも、一人一人の個人の修行が重視されていることが、上記した「写真撮影に関する考え」に至った経緯なのか?と勘ぐってみた。
■傘松閣■
自由行動に入ってすぐに到着するのが、傘松閣(さんしょうかく)という建物だ。ここには156畳敷の大広間があって、その天井には230枚の天上絵が描かれている。絵の題材?は花鳥が基本にになっているのだが、「鯉(こい)」「唐獅子(からじし)」が2枚ずつと「栗鼠(りす)」が1枚の計5枚が隠れていて、それを探し出して祈願すると、願いが叶うと言われているのだそうだ。
禅宗であるこの寺とかけ離れたこの発想を不思議に思っていたが、この絵は平成14年の元禅師の750回大遠忌の記念事業の一環として平成5年から2年の歳月をかけて完成させたモノなのだそうだ。そういえば建物は鉄筋コンクリートであったことから、この願掛けも「さもありなん」の話だった。
●傘松閣の天井絵●
■七堂伽藍■
傘松閣を出て更に進むと本来の回廊部に入る。この回廊で連結されている部分が、鎌倉時代中期からの構築物であるところの七つの堂宇「七堂伽藍」になる。
●回廊の階段部●
回廊の中心部にあたる仏殿には釈迦牟尼仏とその左右に弥勒仏(みろくぶつ)阿弥陀仏(あみだぶつ)を祀っている。未来を現すのが弥勒仏で、過去が阿弥陀仏、そして現在を現すのが釈迦牟尼仏でその三尊を合わせて三世如来と呼ぶのだそうだ。(仏殿の写真は写し忘れていた…。)
仏殿を過ぎて更に登り、最上部に到達したところにあるのが法堂(はっとう)になる。ここは修行僧に説法をする場所であり、法要儀式も行われているところでもあるそうだ。
禅宗らしく質素な伽藍内では一番きらびやかとも言える装飾された内部の中央には藤原時代作の聖観世音菩薩が祀られている。
●法堂内部●
法堂を過ぎ、七堂を巡り終えつつある頃、見下ろせば一番下にある山門が開いていた。
吉祥閣の中で、修行僧からうけた最初の説明では、三門が開くのは法主であるところの禅師が出入りする際と、修行僧が入山する際の受け入れと、彼らが修行を終えた後に出てゆく際にのみだと聞いていただけに、珍しい光景なのかも知れない。
●開かれた三門●
その三門の両側には魔物の進入を防ぐために四天王が祀られている。山門西側に置かれている「増長天(ぞうちょうてん)」は南方を、その横の「広目天(こうもくてん」は西方をそれぞれ守護し、山門東側に置かれている「多聞天(たもんてん)」は北方を「持国天(じこくてん)」は東方をそれぞれ守護しているという、意味合いがあるそうだ。
塗りが鮮やかだけに三門との調和が取れておらず、違和感があったので調べてみると平成に入ってから修復されたのだそうだ。
●増長天(左)と広目天(右)●
●多聞天(左)と持国天(右)●
■寂光苑■
伽藍を出て寂光苑(じゃっこうえん)という庭園へと足を伸ばす。このあたりは昭和~平成にかけて開発?された区域であるだけに、それぞれが新しく、風格と言った空気感は感じない。
この中で一番目を引くのが、玲瓏の滝(れいろうのたき)なのだが、これも人工物であるそうで、そういった意味では寂光苑全体が伽藍との時代差がありすぎて別物のような雰囲気があった。
●玲瓏の滝●
しかし、考えてみれば、これら新規の構築物等々が徐々に整備されているのは、檀家や地元民に支えられている証である。京都、奈良以外では予算が足りないのか、傷んでいるのを放置しているかのような寺があるだけに、人々から愛され?恵まれているのがよく判る寺であった。
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