都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
テレビや映画などで、平安時代の貴族たちが、お酒を飲む場面があります。しかし、よく見ていると、時々透明なお酒を飲んでいる場合があります。それは全くのデタラメです。
その頃は濁酒(にごりざけ)、麹(こうじ)と蒸した米と水でつくった醪(もろみ) を醸造した酒で、どろどろと白くにごった酒でした。
どぶろくの起源については諸説あり、中国の揚子江/黄河流域の稲作文化の直接伝播(紀元前3500年ごろ)に伴って伝わったという説や自然発酵による独自の発生説など諸説あります。どちらにせよ、3世紀後半の魏志倭人伝には倭人は酒を嗜むといった記述があり、どぶろくの歴史は長いのです。
この濁酒をこしたものが清酒です。
伝説によると、慶長5年(1600年)ころ、摂津鴻池(せっつこうのいけ)の酒造家、山中勝庵(やまなかしょうあん)の酒蔵で、ある男が鬱憤(うっぷん)晴らしのつもりで酒の中へ灰を放り込んだところ、清らかに澄んだ酒になったとあります。
これ以後、庶民の間でも、濁酒に灰を入れこした清酒が愛好され、かの発明者は鴻池財閥を築くまでになったといわれています。
清酒の風味は、色が琥珀、香りが芳醇、味が濃密をよしとしています。また、五味といって、甘・酸・辛・苦・渋が程よく調和した酒が尊ばれます。俗に「こく」といわれるものは、これらが調和した状態にことです。
ところで、清酒が愛好され広まった後も、濁酒は自家用として、いたるところで作られてきました。
島崎藤村が「にごり酒にごれる飲みて草枕しばしなぐさむ」とうたったのは明治時代のことです。
最近では、成熟した濁酒をほうっておいて、上澄みだけを採った「中汲(なかくみ)」 と呼ばれる酒を売っている店もあります。
酒の語源は「女将」の時に書いたように古代「栄え水(さかえみず)」と呼んでいたのが訛ったといわれています、「栄え水」とは、飲むと晴々する水という意味です。
晴々しない「自棄酒(やけざけ)」は体に悪いので御注意下さい。
「どぶろく」の語源は定かではない。平安時代以前から米で作る醪(もろみ)の混じった状態の濁酒のことを濁醪(だくらう)と呼んでいたのが訛って、今日の「どぶろく」になったと言われています。
したっけ。