都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
またまた、主旨の分からない質問だよ。オヤジがいつも言ってるだろ。質問は分かるようにしれって・・・ 。
一枚しか持ってねえやつは、毎日洗うかもしれねえ、三日に一回かもしれねえ。十枚持ってるやつは、毎日洗う必要がねえだろうよ。そうだろ。せいぜい一週間に一回洗えば間に合うだろうよ。一枚ずつ毎日洗うなんて馬鹿はいねえと思うよ。
オレが推測すると、オメエらの質問の主旨は、「同じタオルを何日洗わずに使いますか?」じゃねえかと思うが、どうでえ。
でもオヤジは素直にオメエらの質問に答えてやるよ。「毎日なんか洗わねえよ!」
したっけ。
盆踊りは、広場の中央に「やぐら」を立て、やぐらの上で音頭とりが音頭を歌い、参加者はその周囲を回りながら音頭にあわせて踊る形式が一般的である。「念仏踊り」が起源といわれています。
櫓(やぐら)とは日本の古代よりの構造物・建造物、または構造などの呼称。矢倉、矢蔵などの字も当てられる。
「念仏踊り(ねんぶつおどり)」とは、踊り手と歌い手が分かれているもので、自ら念仏を唱えながらおどる「踊念仏」とは区別される。
起源としては、菅原道真が889年から889年の4年間、讃岐(現在の香川県にあたる)の国司(古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏)を勤めた時に行った「雨ごいの踊り」とされ、翌年から村人達が感謝の意味で踊ったのが今に残る。
「念仏踊り」となったのは1207年に法然上人(ほうねんしょうにん:平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧侶で、浄土宗の開祖。源空)が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして「念仏」を唱えるようにさせた事によるといわれています。
現在でも香川県綾歌郡綾川町滝宮では8月25日に「竜宮の念仏踊」が行なわれ、全国に残る「念仏踊り」のルーツとして国の重要無形文化財に指定されている。
がれ、一遍上人の開かれた時宗と共に、全国へと広まったとされています。
当時一遍上人は小さな紙片に「南無阿弥陀仏」と名号を書きその札を配り歩きました。これは一遍上人独自の布教活動で、今でいう広告のビラ配りと同じようなものですが、一遍は配るときに、この名号札そのものに絶対的な力があると説いたため、人々は救いを得ることができる証拠品として、大事に受け取ったのでした。そして人々は喜びのあまり自然に体が踊り出したといいます。この踊りを続けるうちに、人々は法悦状態(いわゆる恍惚状態)になったといいます。
そして室町時代になると、鐘や太鼓を叩きながら念仏を唱えて踊るようになり、時代とともにさまざまな趣向が取り入れられて風流な色彩を強めていきました。
江戸時代には、民謡なども加わって娯楽的な行事として根を下ろしていき、現代に至っています。
ところで「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える宗派は主に3つあります。時代的に まず始めは法然上人が開いた浄土宗で、さとりに至るいくつかの方法の中から、特に念仏を選び取り、念仏を口に称えることで救われると説きました。次に親鸞聖人が開いた浄土真宗では南無阿弥陀仏への信心が起きたときに既に救われていると説きます。しかしその後の一遍の開いた時宗では、更に進んで「南無阿弥陀仏」という名号そのものに絶対的な力があると説きました。ひたすら名号を称えれば、阿弥陀仏と衆生と名号とが渾然一体になり、そこに救いの世界ができあがるとされます。
本来、盆踊りはお盆にかえってきた祖霊を慰める霊鎮め(たましずめ)の行事です。上記のように、念仏踊り(念仏を唱える人と踊る人がいます)から 踊り念仏(自分で念仏を唱えながら踊る)に発展した民族芸能が盂蘭盆(うらぼん。いわゆるお盆のこと)と結びつき、精霊を慰めたり送り出したりする行事になりました。15日の晩に盆踊りをし、16日に精霊送りをするのもそのためです。
俳句では秋の季語である。(暦の上では既に立秋を過ぎてから行われるものである。)かつては夜通し行われることが多かったが、近年は深夜まで行われることは少なくなっている。
私の若い頃までは、各町内会が盆踊りを開催し、他町内からの参加者もあり盛んに行われていました。今は、商店街やスーパー等が「納涼盆踊り大会」を開催しています。
したっけ。