都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
女性には大変侮辱的な言葉「ブス」にはどういう由来があるのでしょう。女性のためにもはっきりさせましょう。
夏になると、紫色の美しい花を咲かせるトリカブトという植物があります。皆さ
んも御承知のとおり、この花には、猛毒が含まれています。昔の人はこの毒を取り出し槍や矢の先に付けて動物を射止めたのです。また矢の先に付けて武器として戦に用いたのです。
この毒に当たると、大きな熊が一瞬(17秒前後)のうちに倒れたといわれます。このトリカブト
からとった毒のことを「附子(ぶす)」というのです。
この「附子(ぶす)」が傷口に入ると、脳の呼吸中枢が麻痺してしまい、感情や思考力が停止し、全く無表情になってしまうのです。
そこで、この無表情になった状態のことを「ブスだ」といい、それが転じて、表情がない人、美しくない人のことを「ブス」と呼ぶようになったというわけです。
すなわち、みんなが笑顔で明るい表情であれば、「ブス」はいなくなるということです。笑うことが出来る動物は人間だけです。だから、人は顔色をうかがったりして、人の心を探るのです。
ちなみに、この「附子(ぶす)」は鉄砲の伝来(1543年)以降、あまり武器としては使わなくなっていきました。
しかし、漢方薬としては重宝がられるようになりました。ほんのわずか摂取すると、強心剤や 強精剤としてのこうかを発揮するのです。漢方薬では「附子(ぶし)」というようです。
トリカブトの名の由来は、花が古来の衣装である鳥兜・烏帽子に似ているからとも、鶏の鶏冠(とさか)に似ているからとも言われている。保有する毒の成分はアコニチン・メスアコニチン・ジェスアコニチンで主に根っこに多いそうです。
トリカブト毒の利用が始まった時代は定かではないが、島根県古浦遺跡(弥生時代前期)から出土した高さ17cm弱の小さな甕(かめ)方の土器がトリカブト毒を煮詰めるために用いられたものと考えられている。
また、東北地方の石器時代と推定された遺跡から見つかった碗形石器が、アイヌの人たちがエゾトリカブトの根を潰すときに使っていた石臼と酷似していると主張する研究者もいる。
文献としてトリカブトを用いた毒矢に言及している最古のものは中国で後漢代より三国頃に成立した本草書である「神農本草経(しんのうほんぞうぎょう)」で「その汁を煎じ詰めたものを射罔(いもう)といい鳥や獣を殺す」と記している。また、南朝の范曄(はん よう、398年 - 445年)が撰述した「後漢書」の西域伝には「西夜国(現在のパミール山地)では白草の毒を煎じて矢に塗る。あたればたちまち死に至る」とある。白草はフェロックス・トリカブトらしい。
さらに、明代に著された「遼東志(りょうとうし)※」にサハリンのアイヌが毒矢を使うことが記さ れているというが、アラスカ西北端のイヌイットをはじめ、アリューシャン、カムチャッカ、千島などに居住した古アジア族の末裔は、近年までトリカブト毒を海獣猟などに使用していたことが知られている。
※遼東:中国、遼寧(りょうねい)省南東部の地域。遼河の東をいう。
したっけ。