都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「白玉の歯にしみ通る秋の夜の酒は静かに飲むべかりける」 -若山牧水-
と、日本酒をたたえる歌がありますが、温めて飲む酒、新鮮なときほど旨い酒は、世界でも珍しいのだそうです。
米から作られた、口当たりのやわらかい日本酒は、今では世界的にも良く知られるようになりましたが、遠い神話の時代を考えると、日本酒は日本古来の酒とも言えないようなところがあります。
稲作農耕文化が定着する以前、縄文時代の人々も酒を作っていました。
その原料は野ブドウ、スモモ、アンズなどの果実や、ガマズミやカジノキなどの木の実、そしてイモ類でした。
原料から考えると、それはいわゆる日本酒ではなくて、果実酒などのリキュール的なものであったことが想像できます。これは以前に書いた「猿酒」に近いものだと思われます。
「日本書紀」には、有名な「素戔男尊(スサノオノミコト)」の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の話しが出てきます。八岐大蛇を酒に酔わせて退治する話しです。
その記述は「素戔男尊(スサノオノミコト)」が「衆果(あまたこのみ)をもって酒八かめを醸(かも)せ」と教えたというのです。衆果とは、いろいろな果物のことです。
八岐大蛇が酔ったのは、米でつくった酒ではなく、果物製のリキュールだったわけです。
歴史の初は、このようなリキュール酒だった日本酒が、いつから米製の酒になり、リキュール造りが消えてしまったのかは定かではありません。
しかし、応神天皇、仁徳天皇(古事記の干支崩年に従えば、応神天皇の崩御が西暦393年、仁徳天皇の崩御が西暦427年)の頃には、中国や朝鮮から醸造工が渡来していることが記録に残っているそうです。
稲の渡来を考えると、日本酒もまた、外国から渡ってきたのではないかと考えられるのです。
したっけ。