都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
コロポックル(十勝芽室伝説)
十勝芽室町の言い伝えの一つにコロポックルの話があります。北海道 が蝦夷と呼ばれた昔。魚獲りや、狩りにすぐれた小人族のコロポックルが芽室の新嵐山付近で暮らしていたそうです。その伝説をご紹介します。
はてしない草原と密林が続く十勝原野には、まだ一筋の道もなく昼夜問わず野獣の泣き叫ぶ中、十勝川支流美生川を登り魚影を追う一団がいた。それはコロポックル族であった。
美生川は川幅も狭く水量も手ごろで魚の数はどの川よりも多く、更に上流へと登っていくと山峡の中の大きな滝にたどり着いた。その場所が丸山であった。滝の下流は魚を手掴みできるほど豊富な漁地であり、山々には、山ブドウ・コクワ・野イチゴ、原野にはウバユリを始め、野草が群生し、この丸山を一族の安住の地と定め、早速、竪穴住居を作りました。
コロポックル族の生活は「雨が降ったときや、日照りが強いとフキの下で休み、腹が減ると 狩をし、満腹になると寝る」など平和で優雅な暮らしをしていた。
ある日、大変恐ろしい話しが伝わってきた。それは身の丈6尺(約182cm)あまりある眼光鋭く、頭髪の多い猛虎かと思われる異民族が攻め登ってくるということであった。
コロポックル族は、丸山の断崖を砦として異民族の襲撃を防ぐことにした。サケを追って美生川を登ってきた異民族は、コロポックル族の「安住の地を守る強固な砦」に向かって激しい攻撃を加えた。
その後、このような戦いが二度繰り返されました。ところが数年後、猛獣の吠える上伏古の原野を突破した異民族は、なだらかな砦の背面に回り、怒涛のように押し攻め砦を奪い取ってしまった。
その後、安住の地~丸山からコロポックル族の姿は消えてしまった。
(以上芽室町郷土読本より)
十勝地方でコロポックル伝説は数多くありますが、唯一、芽室町丸山に異民族との古戦場跡(砦跡)と、それにまつわる伝説が特に有名な話として伝えられております。
アイヌの伝説ではコロポックルは蕗の下に隠れて、その姿を現さないそうで、「森の妖精」「森の神様」ともいわれています。
北海道内でコロポックル伝説の多おおい地域はどこですか。
十勝支庁です。「十勝のアイヌ伝説」(平原書房)によれば、帯広市シアルルのコロポックル、芽室町のメムロコロポックル、清水町のカム・コロポックル、本別町のポンベツコロポックル、上士幌町シペ川コロポックル、音更町コロポックル伝説、陸別町のリクンベツコロポックル等、7カ所あります。芽室町では子ども向けの絵本を作るなど郷土愛と伝統文化の継承に力を入れています。
十勝地方に残る伝説では、コロポックルはアイヌに迫害されたために土地を去ったといわれ、去り際にアイヌに言った呪いの言葉「トカップチ(水は枯れろ、魚は腐れの意)」が十勝の地名の由来とされる。
コロポックル(ヨハネ伝説)
コロポックルの族長・ヨハネは長い年月を経て村を治めてきた。 ヨハネは長い役目を終え、再び眠りに。次に目覚める時は何時の日になるだろうか。
コロポックルの民は尋ねた。
「族長、あなたが眠りについたら、私たちはどうすればいいのですか。」
族長・ヨハネは静かに答えた。
「貴方たちは旅立ち、そして自由を手に入れなさい。コロポックルになかった出会い、そして経験が待っている。私が眠りにつき、この村が秋になり、冬になって枯れてしまうが悲しむ事はない。なぜなら、貴方たちのまた新たな運命の木が目を出すからだ。貴方たちは、今までの歴史と文化や全てが詰まった運命の木を育てていきなさい。それが私の願いです。」
コロポックルの族長・ヨハネは再び族長の霊木の祭壇で永い眠りについた。
民はコロポックルから名残惜しむように旅立った。
自由と明日を手に入れるために・・・
コロポックル伝説②
むかし、アイヌコタン(村)に幾日も幾日もの長い間厳しい寒さが続き、アイヌコタン(村)の人々は食べる物もなく寒さと飢えのために大変こまっていた時、どこからともなく現れ毎日の様に山の幸を運んでくれる者がありました。
そのおかげでアイヌコタン(村)の人々は飢え死にせずに生き延びることが出来ました。
のちに蕗(ふき)の下に住んでいる小人のおかげとわかり、アイヌコタン(村)の人々はその小人をコロポックルと呼び、幸せを運ぶ救いの神様、願いの神様として祭るようになったと伝えられています。
コロポックルとは、アイヌ語で蕗(ふき)の下の人、地下に住む者の意味。
アイヌの伝説にでてくる小人の神で、いたずらもするが、人間に幸せをもたらしてくれる神でもあります。
コロ=蕗 ポク=下 ウン=いる クル=者、人
コロポックル=蕗の下にいる者
コロポックル伝説③
「ふきの葉の下の人」を意味するコロポックルは、背の高さがアイヌのひざまでしかない小人族で、雨のときには一枚のふきの葉の下に二十人ぐらいが雨宿りをして暮らしていました。北海道各地にあるたて穴は、この民族の遺跡であるといわれています。
その土地により、人によって少しずつ違いがあるが、多く伝えるところでは、今の小学生ぐらいの身長で動作がとても速く、戦いのときなど敵のまたの間をくぐったり、肩の上にのぼったり、しかも鋭い石おのをもっていたので、アイヌの人たちはたいへん悩まされたということです。