団塊オヤジの短編小説goo

Since 11.20.2008・時事ニュース・雑学・うんちく・豆知識・写真・動画・似顔絵師。雑学は、責任を持てません。

コメントについて

「記事に無関係なコメント、誹謗中傷等のコメントは私の判断で削除させていただきます。また、名前の記入のないときは、場合によっては削除させていただきます。ご了承くだい。楽しいコメントをお待ちしています」

都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

蝦夷栗鼠をオリンパスで撮る

2009-08-09 11:09:14 | 写真

庭の野鳥餌台にエゾリスがやってきました。ヒマワリの種を食べています。

20090809_003 20090809_002 20090809_001 20090809_004

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金魚の起源について考える

2009-08-09 09:33:46 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

金魚の起源は、諸説諸々唱えられているのですが、2000年ほど前に中国南部地方の揚子江下流域で誕生したと言われています。元々の先祖は、フナという魚で、突然変異によって生まれた赤い色彩のもの(ヒブナ)を、選別交配、系統維持されたものが現在の金魚となっているそうです。

Harutoriko Hibuna 北海道釧路市春採湖(はるとりこ)には現在もヒブナが棲息していま。昭和121221日に国の天然記念物に指定されました。雄の数が極めて少なく、処女生殖をしているそうです。ウグイなどの精子の刺激で卵は発生を開始するそうです。

中国語ではチュンユイと言うようですが、この発音がお金が有り余る金余(チュンユイ)と同じところから、縁起のいい観賞魚として珍重されたといわれています。

この金魚がいつ日本へ伝えられたかというのはいろいろな説があって、断定はしにくいのですが、室町時代中期に明(当時の中国)から文亀2年(1502年)に、泉州(現在の大阪)に伝わったとされる記録が残っているそうです。

輸入当初はまだ大変珍しく貴重な魚であり、一部の貴族の間で飼育されているだけでした。その後、江戸時代の文化・文政年間1804年~1829年)になると一般にも広く養殖普及されるようになり、庶民の間でも飼育されるようになってきました。

さて、金魚の町といえば大和郡山です。古くから金魚の産地として知られてきました。

郡山の金魚の起源は、元文3年(1738年)に郡山藩士佐藤三左衛門が溜池で発見したとも、享保9年(1724年)柳沢吉里が甲府から郡山城へ国入りした時、家臣の横田又兵衛が金魚を持参したとも伝えられています。

Photo いずれにしても江戸時代中期から郡山では藩士の間で趣味としての金魚飼育が広まっていたのでしょう。当初、趣味として育てられていた金魚ですが藩財政の窮乏につれて、下級武士の間で内職的な側面をもつようになっていきます。やがて農家とも組み、諸国へと販路を広げていきました。郡山金魚の名声が高まっていた頃、廃藩となったために職を失った士族の中には金魚の飼育を本業とするようになり、集団的な養魚場も作られて郡山金魚の基礎を築いていきました。

 金魚自体は奈良からはじまったものではありませんが、金魚の大量生産を始めたのは郡山だと言って差し支えないでしょう。

Photo_2 全国一の地場産業として発展するのですが、その裏には金魚研究に力を尽くした郡山藩士小松春鄰父子や藩士の事業援助に力を注いだ旧藩主柳沢保申とその後継者保恵の功績が大きく影響したものと思われます。

明治28年(1895年)には勧業博覧会に出品、明治33年(1900年)にはアメリカ・セントルイス博覧会にも出品、内外の名声を得たのです。第二次世界大戦では壊滅的な状態になりましたが、経済の復興とともに再び盛んになっていきました。金魚は平和な時代の象徴だといえるかも知れませんね。

日本の夏に欠かせない金魚は身近な存在として愛されてきました。衣装の文Photo_3 様をはじめ焼き物、漆、浮世絵など伝統工芸品にもさまざまに登場、豊かな金魚文化をも作り上げてきたのです。

Photo_4 Photo_5 Photo_6 Photo_7 Photo_8 Photo_9 代表的なものに、ランチュウ出目金和金流金などがあり、およそ数十種類の品種がいて、中には高知県の「土佐金」、愛知県の「地金」などのように県の天然記念物になっている種もいて、熱烈なファンが多く存在する奥の深い世界となっています。

現在日本での主な産地は、奈良県大和郡山市、愛知県海部郡弥富町、東京都江戸川区春江町が3大産地となっています。しかし、現在は熱帯魚人気の勢いに押され、年々規模を縮小していっている傾向にあるようです。

したっけ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

もしも、お手すきでしたら、ぽちっとお願いします^^


絵手紙ランキング