都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今欧州各国では新型大腸菌O104の脅威にさらされています。新型大腸菌が出現する背景には清潔すぎる環境があるのだそうです。彼らは生き延びるために、更なる凶暴さを増しているのだそうです。
病原菌はいつ何処で私たちに襲い掛かるかわからないのです。
メリー・マロンは1900年代初頭にニューヨーク市周辺で散発した腸チフス(Typhoid fever)のうち7回は彼女が発生源だったそうです。そのため、彼女は1907年にNorth Brother Islandの病院に一旦拘留されましたが、1910年、食品を扱う職業にはつかないこと、定期的にその居住地を明らかにすること、という2つの条件つきで、隔離病棟から出ることを許され、再び自由を得ました。
「釈放」されてしばらくの間、メアリーは衛生局との取り決めを守って、洗濯婦など食品を扱わない家事使用人としての職に付き所在を定期的に連絡していたが、やがて連絡が途絶えて消息がつかめなくなりました。
次に彼女の居場所が明らかになったのは、釈放から5年後の1915年、再び腸チフス流行の感染源として見つかったときだったのです。
そのとき彼女は調理人として、しかもニューヨークの産婦人科病院で、偽名を使って働いていたそうです。そこで引き起こした腸チフスで25人の感染者と、2人の死者を出したのです。友人のためにゼリーを作ったのが原因だともいわれています。
この事件をきっかけに、彼女は再びに隔離され、亡くなるまでの23年間もの間、身柄を拘束されたのです。
普段は健常者と何ら変わらないままに隔離された彼女の、その後の人生を知る手掛かりは少ないのですが、病院内で看護師、介護人、研究室の技術補佐員としての仕事をしていたことが記録に残っているそうです。1932年に心臓発作から身体麻痺になり、その6年後の1938年、子供たちの声が聞こえる小児科病棟の近くに移されたベッドで息を引き取ったのです。
メアリーの死後、病理解剖の結果から、彼女の胆嚢に腸チフス菌の感染巣があったことが判明したそうです。
アイルランドからの移民だったメアリー・マローン(Mary Mallon, 1869年9月23日 - 1938年11月11日)は、世界で初めて臨床報告されたチフス菌(Salmonella enterica serovar Typhi)の健康保菌者(発病はしないが病原体に感染している不顕性感染となり感染源となる人)で、「腸チフスのメアリー(Typhoid Mary、タイフォイド・メアリー)」という通称で知られることとなったのです。
彼女は、自分が腸チフスの保菌者であるという自覚を持たなかったために、「邪悪な感染源」、もう一つは「不運な社会的被害者」という、二つの見方がなされたのです。いずれにしても、偏見と言う名のレッテルを貼られた彼女の人生は、苦難に満ちたものであったことは容易に想像できます。
「腸チフスのメアリー(Typhoid Mary)」のエピソードは、公衆衛生の意識を高めるための教材として、今も語られているそうです。
ちょう‐チフス【腸チフス】
水や食物に混入した腸チフス菌によって起こる消化器系感染症。高熱が持続し全身が衰弱するほか腸出血を併発することもある。日本では近年減少したが、輸入感染症としてみられる。感染症予防法の3類感染症の一。
大辞泉
考えてみれば、恐ろしい話です。何の罪もないのに23年間も身柄を拘束され、生涯を終えたのですから・・・。
まだ、解明されていない病気がどこかに潜んでいるかもしれません。次のメアリーは、あなたかも知れないのです。
したっけ。