都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
これからに季節、お腹の調子が悪くなることも多いと思います。誰でもが、一度は飲んだことがある薬、「正露丸」は、今でこそ「正」という字を使いますが、第二次世界大戦までは「征」の字を使って「征露丸」と書いていたそうです。
陸軍軍医学校の教官だった戸塚機知三等軍医正は、1903年にクレオソート剤がチフス菌に対する著明な抑制効果を持つことを発見します。
これに関しては異説もあり、正露丸の元祖だと主張している大幸薬品は、陸軍よりも1年早い1902年に、大阪の薬商である中島佐一が「忠勇征露丸」という名前で製造販売を開始したと主張しているそうです。
「征露丸」は日露開戦のムードにのったネーミングでした。「征露」という言葉はロシアをやっつけるという意味で、その当時の流行語であった。当時、日本の軍隊は、戦闘による死者よりも、病気による死者のほうが多かったそうです。
そこで、征露丸も軍隊の薬として配られました。しかし、実際には脚気による死者が多く、征露丸では死者は減らなかったそうですが、その後下痢や腹痛に効くことが認められ、一般的に広まりました。
日露戦争ならびに第二次世界大戦終結後、厚生省により国際信義上「征」の字を使うことには好ましくないとの行政指導があり、「正露丸」と改められました。
しかし、奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは、現在も一貫して「征露丸」の名前で販売を続けているそうです。
ラッパのマーク以外の「正露丸」も数多く存在します。何故でしょう。
この疑問に関して、昭和49年(1974)の朝日新聞、3月6日に「正露丸は普通名詞、苦い争い20年にケリ」と題した記事が紹介されたそうです。内容を要約すると、ラッパのマークの大幸薬品が独占使用権を以前から主張していたのに対し、一般普通名詞として自由使用を訴えてきた数社の薬品会社間における決着が最高裁の判決によりようやくついて、自由使用権が認められたということでした。その結果、現在30社ほどの会社の正露丸が販売されているのです。
あなたが使ったことがあるのはどの正露丸ですか・・・。
したっけ。