都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「正座」は一般的な生活のなかでは文字通り「正しい座り方」だと思っている方が多いと思います。
正座は、古くから日本人の正しい座り方として普及していたものではないそうです。
かつて日本人は時代や身分、着ている物、座る床によって「胡坐(あぐら)」、「立膝(たてひざ)」、「横座り」など様々な座り方をしていました。そして、各々正しい座り方として普及していたそうです。
「胡坐」は、現在では男性の座り方という印象が強いですが、平安・鎌倉時代には宮廷につかえていた女官たちも胡坐をかいていたそうです。その後、1467(応仁1)年から11年間続いた「応仁の乱」以降、社会全体が疲弊、衣料も欠乏し(ついでに儀式のやり方も忘れられた)男性も女性も「袴(はかま)」を穿かなくなります。
男性は正式な場所への外出は袴を着用したが、女性は町方・武家ともに着流し状態になります。そのような服装の変化から胡坐をかくと秘部があらわになる危険が生じたため、女性の間では正座が広まったそうです。
「正座」は芸道・武道の分野では作法の祖形、身体訓練の出発点だそうです。この座り方は同一姿勢を維持することで腹筋と背筋を鍛え、また肩の力を抜いてゆっくり呼吸すれば、精神を統一し、心に平静さを与えてくれるといわれています。
よく、罰として「正座」をさせられることがありますが、「精神統一」などの意味があったのです。
今で言う正座の姿勢は本来「かしこま・る(畏まる)」と呼ばれ、神前・仏前や茶室での儀式的な場面で用いられ、また主君に対して家臣がかしこまる姿でした。
かしこま・る【畏まる】
[動ラ五(四)]1 身分の高い人、目上の人の前などで、おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる。「陛下の御前に―・る」「―・ってあいさつする」2 謹みの気持ちを表し堅苦しく姿勢を正して座る。正座する。
大辞泉
そんな一部の場面でしか用いられなかった正座は、いつ頃一般に普及し始めたのでしょうか。はっきりとはわかっていませんが、寄生虫学や脚気の研究で貢献した医学博士・「入澤達吉(いりさわたつきち:1865-1938)」の論文「日本人の坐り方に就いて」(史学雑誌第三十一編第八号 1920)によると江戸時代の元禄享保頃(1688~1736)に広まったと推測されています。浮世絵などには胡坐をかく美人画もあります。
その後、明治時代の学校の教科書には正しい座り方として掲載され、推奨されていたようです。
1889年(明治22年)に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降、ごく最近に生まれたと考えられています。
昭和中期まで、一般家庭の家には畳が敷かれ、卓袱台(ちゃぶだい)、文机(ふづくえ)がありました。日本人は頻繁に正座する環境に生活していたのです。
私も子どもの頃は、「正座」をして食事をしていました。
しかし現在は、西洋文化の浸透により椅子に座ることが多くなったため、正座をする機会は少なくなってきています。
正座は、長時間続けると疲れるものだと思っている方が多いようですが、足の親指を少し重ね、かかとに尻をのせず外側に向け足裏を自然に寝かせる感じにすることで、しびれが多少回避できるといわれます。
弓術・馬術などの一派で、その礼儀作法が明治初期の学校教育にも採用された「小笠原流」では正座の正しい座り方を提唱しています。それによると正座をすることで、体全体の筋肉が緊張し、脳に刺激を与えて頭の回転がよくなるそうです。
どうですか、正座をして脳に刺激を与えてみませんか?
したっけ。