都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「会席料理(かいせきりょうり)」は日本料理の形式の一つ。「俳席料理(はいせきりょうり)」が本来の名称で、そのおこりは江戸の初期俳諧(はいかい)の祖ともいえる「松永貞徳(ていとく)」の門人「山本西武(さいむ)」が、京都二条寺町の妙満寺で「百韻興行」を催したとき(1629)に始まるとされています。
ひゃく‐いん【百韻】
連歌・俳諧で、100句を連ねて一巻きとする形式。懐紙4枚を用い、初折(しょおり)は表8句・裏14句、二の折・三の折は表裏とも各14句、名残の折は表14句・裏8句を記す。
大辞泉
はい‐かい【俳諧/誹諧】
1 こっけい。おかしみ。たわむれ。2 俳句(発句(ほっく))・連句および俳文などの総称。3 「俳諧の連歌」の略。4 「俳諧歌(はいかいか)」の略。
大辞泉
この席に酒食を出して、俳席に出席した人たちが会食し、それを「俳席料理」といったのです。
俳席で提供される料理ですから「簡素」であるが「礼儀正しく」、酒は「会の終わりに少量」出していました。それがしだいに崩れ、俳諧のほうも百韻から簡易化した歌仙(36句)になり、俳諧の行事が終わらないうちに、杯(さかずき)を交わし、歌をうたうといった酒食本位の俳席が「延宝(えんぽう)年間(1673~81)」に始まりました。
俳席料理は「宴会本位の会食」になり、いつしか「会席料理」というようになりました。1771年(明和8)には料理屋が江戸・深川八幡(はちまん)近くにでき、各所に続出するに至って、料理屋料理として急速に進展し、内容も一段と複雑になり「高級化」した「宴会料理」となった。
会席料理は西洋料理のディナーと同じで、一つの型をもつ定食となったが、関東の会席料理では、口取りのグループに属する料理は折詰めにして持ち帰る方式をとっていました。
昭和の初めからは、関西式の、出た料理をその場で食べる「食切(くいきり)料理」の形態となってきたそうです。
「懐石料理」は「一時的に空腹を満たす軽い食事」のことです。
「会席料理」は「酒を楽しむための料理」のことです。和食料理屋で出て来る料理は普通「会席料理」です。この会席料理は酒席を前提に献立が組まれています。
したっけ。