都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「名刺」は世界中で使われており、その歴史も各国独自で発展してきたようです。しかし、「名刺」は、何故「名紙」ではないのでしょう。
そもそも「名刺」の起源は中国だと言われています。すでに7~10世紀(唐の時代)の書物にも登場しているそうです。当時は訪問先が不在のときに「木や竹の札」に自分の名前を書き、戸口に刺して訪問したことを知らせていました。
「名刺」という呼称は、その「木や竹の札」を「刺」と呼んでいたことに由来するそうです。
し【刺】
1 突き刺すもの。とげ。はり。2 なふだ。名刺。
大辞泉
他にも、官僚社会では地位のある人にお会いする際の取り次ぎとして用いたり、何かの正式な席に欠席しなければならない場合にも挨拶代わりに使用したりしたようです。
ヨーロッパで最初に「名刺」が使われたのは16世紀のドイツだと言われています。ドイツでも訪問先が不在だったときに、訪問したことを知らせるために自分の名前を書いたカードを残すという使われ方をしていたそうです。
その後18世紀には「名刺」はヨーロッパの社交界では欠かせないものとなります。当時はすでに形式や使い方のマナーもありました。この頃の名刺には華やかな図柄が入っており、特に銅版画を入れたのもが多かったようです。
また、19世紀の中頃には写真入り名刺が登場しています。フランスの写真家「アドルフ= ウジェーヌ・ディスデリ」が名刺サイズのポートレートを発明しました。この写真のサイズが57mm×82mmだったそうです。よって、現在もヨーロッパの名刺と日本の名刺は大体同じような大きさのようです。日本の名刺のサイズは91×55 mmが標準サイズです。
日本で名刺が使われ始めたのは江戸時代で、和紙に墨で名前を書いたものだったようです。当時の使い方は今とは違い、中国やドイツと同じで訪問先が不在の際に、戸口の隙間に挟んで来訪を知らせる目的で使われたそうです。
現代の形に近い印刷された(おそらく、一枚の木版で刷られた)名刺を使うようになったのは幕末開国(1860年代)の頃からだといわれています。自分の名前の上に紋所が入り、使い方も役人たちが外国人と接するために使うようになりました。明治時代(1868-1912)以降にはもっと盛んに使われるようになり、鹿鳴館時代(1851-1854)には日本の社交界でも必需品となりました。
その後、一般の人々の間でどう普及していったかはよくわかっていないそうです。
名刺交換はまず先に目下の人が目上の人に渡します。ただ、先方への訪問の際は、「お邪魔します」という意味を込めて訪問者が先に出します。
また訪問者の方が明らかに目上である場合は、訪問を受けた側が先に出します。
弔事で渡す場合は、右上に「弔」や「謹弔」と書き、左下の角を表側に折っておきます。慶事の場合、右上に「御祝」「御年賀」などと書き、左下角は折りません。
日本人は面倒くさいことを考えます。
「名刺」とは、「戸口に刺すもの」だったので「名紙」ではなく「名刺」だったのです。
したっけ。