都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
本日より3日間は、「懐石料理の起源」、「懐石料理の作法」、「会席料理の起源」について書いてみたいと思います。
古くから、寺院では、獣肉、魚、鳥をさけた料理がつくられてはいましたが、「精進料理」として確立を見たのは、鎌倉時代の禅宗においてでした。
これには、道元禅師の功績も大きかったのです。
どうげん〔ダウゲン〕【道元】
[1200~1253]鎌倉前期の禅僧。京都の人。日本曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。諱(いみな)は希玄。比叡山で修学し、のち入宋して天童如浄の法を嗣(つ)いだ。帰国後、建仁寺に住し、京都に興聖寺を、さらに波多野義重の請により越前に永平寺を開いた。勅諡号(ちょくしごう)、仏性伝東国師・承陽大師。著「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」「普勧坐禅儀」「学道用心集」など。
大辞泉
この料理は、禅宗とともに、中国から輸入されたものであったが、その禅宗とともに、日本的なものとなりました。
懐石とは、「懐(ふところ)に石を抱く」という意味です。懐石料理は文字通りの事に起源があります。それは、修行中の禅僧に由来します。
もともと修行中の禅僧の食事は、午前中に一度だけと決められていました。そのため当然夜になるとお腹が空き、体温が下がってきます。そこで、「温石(おんじゃく」)、温めた石を懐に抱いて飢えや寒さをしのいでいたのです。
これから、懐石(かいせき )と申せば、禅僧を指した。また、「懐石」という言葉は、「わずかながら空腹を満たし、身体を温める質素な食べ物」を意味するようになりました。
禅宗には、「薬石」という言葉があります。「薬石」とは厳しい戒律で修行僧が空腹に耐え切れぬ夜に食べる事を許された「お粥」の事です。
その後の安土桃山時代に茶道と禅宗が結びつき茶道が確立していきました。その中で茶道の創始者である「千利休」が禅料理の精神をさらに追求し茶道に取り入れ、狭い茶室でも簡単に食べることができる「懐石料理」を完成させました。
懐石料理とは、日本古来の「一汁三菜(いちじゅうさんさい)」という食法を基本にした料理で、通常は茶の湯の席でお茶をいただく前に出されるものです。
いちじゅう‐さんさい【一汁三菜】
日本料理の献立の一。汁一品に膾(なます)・平皿(ひらざら)・焼き物の三品を添えたもの。
大辞泉
一汁三菜をもう少し詳しくいうと、ご飯、お吸い物(一汁)、菜三品、香の物(漬物)を基本とした献立の事です。汁とは味噌汁の事を指し、菜三品とは膾(なます:生魚を切り刻み酢で味付けしたもの)・煮物・焼き物の三種を指します。
茶会の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の和食コース料理を指しています。
また、料亭や割烹などの日本食を扱う料理店で懐石料理を提供するところが増え、茶事における懐石を特に「茶懐石」と表わして区別することもあります。
懐石料理には、「旬の食材」「素材の持ち味を活かす」「親切心や心配りをもった調理」という三つの大原則があります。この原則にも「千利休」の「侘びの思想」が色濃く反映しています。
わび【侘び】
《動詞「わ(侘)びる」の連用形から》1 茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。→寂(さび)2 閑寂な生活を楽しむこと。3 思いわずらうこと。悲嘆にくれること。
大辞泉
「懐石料理」というと、高級な日本料理のイメージがありますが、けっしてそうではないのです。
禅僧の「精進料理」に端を発し、「千利休」の侘びの心を持って完成された質素な料理なのです。
したっけ。