団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「藍の歴史」について考える

2012-01-30 10:11:26 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

」は、その起源をエジプトに遡るといわれますが、世界のあちこちで、有史以前より自然発生的に、藍色を含む植物から、取り出されてきたというのが実態のようです。

Photo_3たとえばヨーロッパでは「ウォード(大青)」という藍が有史以前から使われてきましたが、イギリス、フランス、ドイツなどでは、6世紀頃から盛んに栽培され、16世紀には一大産業となっていました。しかし、そのヨーロッパの藍、「ウォードもインド藍(マメ科の植物)」の輸入が16世紀に始まると、徐々に衰え、18世紀にはほとんど姿を消してしまいます。

Photo_2 エジプトの藍の歴史は古く、テーベ古墳で発掘された紀元前2000年頃のミイラには、藍で染めた麻布が巻かれていたそうです。当時すでに藍はエジプトで栽培されており、その後インド・中国へと広がり、オーストラリアを除く全世界で栽培されたといわれています。

インドでの藍染紀元前2000年頃といわれており、この当時すでに製藍は輸送に便利なように固形化されていたといいます。紀元前1世紀には一部欧州へも輸出されていて、インド原産の青色染料として「インジカン(インドからきた)」と呼ぶようになったそうです。これが藍の代名詞「インジゴ」となったそうです。

中国の古書に藍が表れるようになったのは紀元前1世紀ころからで、荀子(じゅんし:前313ころ~前238ころの思想家)の「青は之を藍に取りて、藍よりも青し」との名言は誰でも知ってのとおりです。

中国では当初藍は薬用に用いられたそうです。葉は毒虫に刺されたときや腫物に貼用し、果実は中国で古くから漢方薬として解熱・解毒に服用されたそうです。その後染色用として用いられるようになったといわれています。

Photo_4 アメリカにはアメリカ原産の「ナンバンコマツナギ(別名アメリカ藍)」が自生していました。

藍の染色布はガラガラ蛇等の爬虫類の嫌う臭いを持っており、200年前よりアメリカではカウボーイたちが藍の葉をジーンズの染色に用いたのもこのためであるといわれています。意外にもジーンズの青が藍の仲間だったのです。そのジーンズも現在は殆ど人造藍で染色されており、世界中の若者を中心に愛用されています。

日本には飛鳥時代に中国から持ち込まれたといわれています。飛鳥時代とは、崇峻天皇5年(592 年)から和銅3年(710年)の118年間にかけて飛鳥に宮・都が置かれていた時代をさします。

藍染は古くは夏季だけの染色でした。藍は刈り取ってすぐに用いられ、葉を直接桶などに仕込んで「藍建て」して染色したものと思われます。

あい-だて【藍建て】

藍染めで、水に溶解しない藍玉(あいだま)をアルカリ溶液で還元させ、水に溶ける白藍(しろあい)にし、染色できる状態にすること。

大辞泉

室町時代には、「藍甕(あいがめ)」を土中に埋めて保温し、火壷を設け加温する藍建の方法が発明され、また藍草を発酵させて蒅(すくも)を作り出し、夏場だけでなく年間を通じて染色できるようになり、現在の藍染の手法はこの当時に確立されたといわれます。

Photo_5青縞(あおじま)」は、江戸時代後期 (天明年間)に騎西周辺の農家の副業として始まった藍染めの綿織物です。糸を染めた後布に織り上げるため、糸の染めむらによって縞柄のように見えることからこう呼ばれています。青縞の生産は、北埼玉地方の羽生、加須、行田が中心で、野良着をはじめ、足袋の表地などにも用いられてきました。農業の機械化に伴い需要が激減し、現在は数軒で技術を伝えるのみとなっているそうです。

Photo

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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