団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「藍」について考える

2012-01-29 09:54:49 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「藍」とは、ある種の植物の中に含まれている成分が変化して生じた、藍色の色素を含む染料のことです。

また、それを生み出す植物のことや、色のことをいいます。藍の色素は、「インジゴ(インジゴチン)」と呼ばれ、これを繊維に染めつけることで、藍色の染色ができます。

「インジゴ」とは、本来はインドで栽培されている藍植物からとれる天然藍(インド藍)のことを指し、「インドからきたもの」というのが本来の意味ですが、その中に含まれる色素の物質名ともなっています。

あい〔あゐ〕【藍】

1 タデ科の一年草。高さ5080センチ。茎は紅紫色で、葉は長楕円形。秋、穂状に赤い小花をつける。葉・茎から藍染めの染料をとり、京都・大坂・阿波が産地として知られた。果実は漢方で解熱・解毒に使う。古く中国から渡来したとされる。たであい。あいたで。《季花=秋》「この村に減りし土蔵やの花/秋郷」

2 濃青色の天然染料の一。1や木藍(きあい)などの葉や幹から得られる。インジゴ。

3 藍色(あいいろ)

大辞泉

「青は藍より出でて藍より青し」ということわざがありますが、藍染めの青い色は、「JAPAN BLUE」として世界に知られるほど深く鮮やかな日本の色なのです。

Photo_2 日本では、「蓼藍(たであい)」というタデ科の植物から藍が作られています。藍染めは、古くから行われていたと思われるが、近世になって木綿が広がったことに伴って、全国で盛んにタデアイが栽培され、染められるようになった。江戸時代には、「阿波の国(現在の徳島県)」が最大の生産地であった。

阿波藍」の起源は平安時代、徳島の山岳地帯で阿波忌部(いんべ)氏が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために、栽培が始まったと伝えられています。

最古の資料は『見性寺記録』というもので、その中には「宝治元年(1247年)」に藍住町の見性寺という寺を開基した「翠桂(すいけい)和尚」が、そのころ寺のあった美馬郡岩倉(現在の美馬市脇町)で藍を栽培して衣を染めたと記されているそうです。

その後、藍づくりは吉野川の下流域に広がっていきました。文安2年(1445年)1月から翌年1月までの1年余りの入船及び関銭賦課の記録『兵庫北関入船納帳』には、文安2年(1445年)に大量の葉藍が阿波から兵庫の港に荷揚げされたと記録が残っているそうです。

庶民の染料として、大量に作られていた日本の天然藍も、江戸時代末期には色素含有量の多いインド藍が輸入され、明治になると、ドイツで開発された合成インジゴの輸入も増えたため、その生産量は激減しました。

また、第二次世界大戦でその栽培が禁止されたために、藍の生産は途絶える寸前まで行った。しかしながら、徳島の「藍師」が、戦争中も種を守り、副業をしながらも藍作りを続けきたことで、現在でもその伝統が生き続けているそうです。

ヨーロッパの「ウォード」が18世紀に途絶えたのとは対照的です。

そして、人々の生活が豊かになったことで、天然染料による染色が見直され、手作り独特の暖かさを人が求めだしたということで、藍も見直されてきています。

 日本の藍は、「蓼藍(たであい)」の葉を、発酵により堆肥状にすることで作られPhoto_4ている。現在徳島で実際に行われている過程はだいたい次のようなものだそうです。

      葉を刈り取り、1cm程度に刻みます。

      扇風機で送風し、茎と葉に分けます。

      乾燥した葉を、土間のある建物の中で発酵させ、「蒅(すくも)」と呼ばれる染料にします。 その場所は、寝床と呼ばれます。

      発酵は100日間ほどかかります。その間、34日ごとに水をやり、「切り返し」と呼ばれる混ぜ合わす作業を行います。「蒅」を作る人のことを「藍師」と呼びます。「蒅」作りで重要なのは、与える水の量と発酵の温Photo_3度だそうです。

      「切り返し」を行ったあと、保温をする必要があれば、筵(むしろ)をかけておくそうです。

      できあがった「蒅」は、俵につめて、全国の染色家のもとへ発送されるそうです。

Photo

したっけ。

コメント (12)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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