都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
2012年夏。日本は国中が「節電騒動」に巻き込まれています。いわずと知れた「原発停止」に端を発しています。
昨日はこちらでも、32.3度でした。政府と電力会社が掲げる「節電の夏」はどうなるのでしょう。
1970年代の夏。同じようなことがあったのを覚えていますか?
1970年代は2度、原油の供給ひっ迫の影響から原油価格が高騰する「オイルショック」がありました。
1度目は1973年(昭和48年)でした。社会現象としてよく語られるのは、トイレットペーパーの買い占め騒動です。店頭からトイレットペーパーが消えたのです。発売日は予告され長蛇の列でした。
オイルショックのことをよく知らない世代の方でも、この騒動については耳にしたことがあるのでは・・・。
「第一次オイルショック」と言われる1973年には、エネルギー対策の一環として、深夜の電力消費の抑制をしました。
「テレビの深夜放送の休止(たぶん11時終了?)」、「ネオンサインの早期消灯」、「ガソリンスタンドの日曜休業」、「プロ野球のナイターの開始時間の繰り上げ」、「週刊誌や漫画雑誌のページ数の削減」といった資源の削減が行われました。
そして、「大型公共事業の凍結・縮小」、「雇用調整(新規採用の停止、残業時間の短縮など)」、「関連産業の技術方向の見直し」など色々な対策をとりました。
そして、1979年(昭和54年)に「第二次オイルショック」が起きました。
この時には、第一次オイルショックを経験済みだったため、第一次で実施した省エネルギー対策(深夜放送の自粛、ガソリンスタンドの日祝日休業など)と、企業の自助努力による合理化などで、混乱は少なかったはずです。
その年(1979年)6月6日、オイルショック後の省エネルギー対策で登場したのが半袖スーツ「省エネルック」です。大平正芳首相自らが首相官邸で国民にアピールしました。涼しそうに見えましたが「かっこいい」という反応は少なく、半そでスーツはほとんど普及することはなく、ほとんど忘れられた存在になって定着しませんでした。
実を言うと、このとき私も半そでスーツを買いました。紳士服売り場に一斉に並びましたから買った人も多いと思います。
その後、1994年(平成6年)、羽田孜元首相が半袖スーツを愛用したことで一時的に話題になりました。
2012年夏。クールビズは取りざたされていますが、深夜の電力消費の削減は何故行わないのでしょう。当時、先にあげた、「テレビ」、「ネオン」、「ガソリンスタンド」、「ナイター」等のほか飲食店も11時閉店でしたが文句を言う人はいませんでした。
深夜に、たいした意味もないものを延々と放送することをやめるだけでもかなりの電力削減になると思うのですが。
政治家の大先生諸氏が、オイルショックの経験を忘れているとは思えません。
私には、福島の事故の検証も終わらないうちの、大飯原発を再稼動したお歴々には、こういったことを実行することで「原発なし」でも大丈夫という結果を恐れているようにしか見えないのですが・・・。
原発にどれだけの金銀財宝が埋まっているのか知る由もない私の僻み(ひがみ)でしょうか。
★おまけ★
半袖のワイシャツのことです。ホンコンシャツは商標名ですが、1961年(昭和36年)に大流行しました。それまで、半そでのワイシャツはなかったのです。当時、中学生だった私も着ていました。袖先にV字の割れ目があるので、ちょいとめくって着るのがオシャレでした。
したっけ。