都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

年末最後の「大晦日」は旧年と新年の区切りの日です。その夜は、新年の神様である年神様が来るのを寝ないで待つ日です。
「晦日(みそか)」とは「三十日(みそか)」のことです。太陰暦の1ヶ月は29日と30日でした。29日が小の月、30日が大の月です。
ですから、12月30日は1年最後の三十日ですから「大晦日」となったのです。
「大晦日(おおみそか)」を「大晦(おおづごもり)」、「大年/大歳(おおとし)」、「除夜(じょや)」、「年夜(としや)」、「年一夜(としひとや)」、「除夕(じょせき)」、「年越し」などといいます。
昔は日没が一日の境でしたから、大晦日の日暮れが新年でした。ですから、大晦日の日が暮れるとお正月だったのです。
大晦日の夜には、神社の境内では火を焚き神主が夜を徹して罪や穢れ(けが-れ)を清める「大祓え(おおはら-え)」を行います。
寝ずに、夜明けを待ちますので、夜が明けると「あけましておめでとうございます」と挨拶をしたのです。
寺院では、午前零時前から除夜の鐘をつき始め、年をまたいで百八回鳴らします。十二ヶ月と二十四節気と七十二候をあわせた数の百八です。
古くは日が暮れると年棚に供え物をし、家族そろって年取りの祝い膳を食べていました。
北海道では、今でも大晦日から「お節料理」を食べます。
「年越し蕎麦」の風習が始まったのは、江戸時代以降のことです。金箔を延ばしたり飛散した金銀細工の粉を寄せ集めたりするのに蕎麦粉が使われていたことから「暮れの金銭の回収」にかけたというものです。
蕎麦が切れやすいという性質を持っていることから、「旧年の災厄をすっぱり断ち切る」「一年中の借金を打ち切る」という商家の風習でした。
この風習は年末に限らず、毎月行なわれていたようです。
「年越し蕎麦」の風習は江戸中期、元禄時代頃から庶民にも広まりました。蕎麦を食べることにより「蕎麦のように細く長く幸せに生きる」という延命長寿、蕎麦は「胃腸を綺麗にする」から五臓の汚れを取り、無病息災の願いが込められています。
『蕎麦事典』(新島繁著1920~2001)によると、鎌倉時代に博多の「承天寺」で年を越せない貧しい人に、「そば餅」を振る舞ったところ翌年から運が向いてきたことから年越しそばがはじまったそうです。
「承天寺」には「そばうどん発祥の地碑」があるそうですが、そばの発祥は、1574年の木曽の定勝寺の記録に登場したのが最古といわれていますので、あくまでも伝説です。
余談ですが、新年が旧暦の12月30日の日暮れから始まりますので、初夢は1日の朝の夢のことでした。
今は、2日の朝に見た夢を初夢といっています。
したっけ。